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本当の意味で社会を支えているのは、きっと目立つ人じゃない

幼稚園の頃の将来の夢は「ケーキ屋さん」だった。まわりのお嬢さん方が「およめさん」と書くのに目もくれず、わたしはケーキに夢を見て、たまにカードキャプターさくらにキャッキャはしゃぐお気楽な奴だった。
その頃のわたしにとってケーキ屋さんとは、憧れと夢が詰まったお城だった。一年に一度、誕生日に出てくるまん丸のケーキがとても好きで、3月19日は魔法の日だった。絵を描くのが好きで何度も画用紙にケーキの絵を描いたけれど、思えばわたしが書くケーキは全部丸と三角だった。大きな丸と、小さな丸。
今でもケーキはわたしにとって特別で、母の誕生日にはホールケーキを手作りしたりする。フルーツをたくさん載せてプレゼントするのだ。

およめさんはさておいて。

もしも、わたしみたいにケーキ屋に憧れる子供たちが本当にケーキ屋さんになったとしたら。全員揃って夢を叶えてケーキ屋さんになれたとしたら。
パイロットに憧れる男の子が全員パイロットになったとしたら。
全ての子供が夢に見た職業に就いたとしたら。
きっとこの世の中は、続かない。

よくできた世界だな、と思う。
純粋に夢見た職業にそのままなる子供は、きっとこの世の中のごくわずかだ。成長するにつれて社会のことを知って、自分が何になりたいか、何ができるのか。改めて考えさせられて、諭される。勉強するのは受験のため、受験をするのは就職活動のため。出世のレールは目の前に用意されて、そのありがたさと恐怖さを思春期の子供たちはあまり理解ができない。
何も知らない時にただ純粋に憧れたあの夢は、いつのまにか隅へ追いやられていく。何かを知るにつれて知りたい世界が増えて、なりたい自分ができた時、子供の頃にみた夢はいったいどこへいってしまうのだろう。

夢を叶える人が当たり前みたいに勝ち組と捉えられる社会。諦めないでやり遂げることこそが美徳の文化になっていて、諦めるやつは弱いものだと蔑まれる。あのバンドのボーカルも、「諦めないでどんな時も」。逃げ出したいとくじけて、立ち上がって躍起になってまた頑張ろうとするけれど。
逃げたら負けって風潮はいつ消えるのだろう。
他者と勝負をすることでのし上がり、受験も就職もいつのまにか自分じゃない他者との競争が第一線。勝った先に「夢」がある気がして戦い続けて、私たちは逃げ場がなくなってしまっている気がする。

わたしは基本的に根性と執念で自分のやりたい仕事を手にしたけれど。
それはきっと、もう半分運だ。一歩間違っていれば職がなかったかもしれないし、こんな大それたnoteなんて書けない。成功したからきっと書けているんだ。側から見たら、成功者としての薄っぺらい意見だ。

最近、街に出る度に思うことがある。
この社会にはたくさんの人がいて、たくさんの職種があるんだと。
この世の中は、私たちが夢に見ないやりたくないと思う職業に支えられているのかもしれない、と。
これは本当に差別に触れることかもしれないのでサラッと言いたいのだけれども。
誰かがやりたいと思わない仕事にこそ、社会は支えられている。
24時間明かりののつくあの小売店も、汗水垂らして命がけ建物を作ってくれている人も、室内をきれいに掃除してくれるあの人も。きっと当たり前みたいに社会に溶け込んでいるけれど、スポットライトなんて浴びてこなかったのかもしれないけれど。
社会を本当の意味で支えてくれているのは、縁の下の力持ちなのかもしれない。
電車が動くことにありがたさを感じる人は、日本にどれくらいいるのだろうか。
ファーストフードで簡単に食事が出てくることに、自動販売機があることに、感謝できている人はどれほどいるんだろう。
社会の当たり前を作ってくれている人たちのことを、わたしたちはいつもそっちのけだ。

noteの記事を書く方は何かと華やかで、わたしにとっては眩しい。みんな夢を叶えて、自分の道を切り開いて、自分の可能性を信じている。己の仕事に誇りを持っている。

だけど本当の意味で私たち社会を支えてくれているたくさんの人は、きっと表に出てこない。当たり前みたいに裏で働いて、こんな風に夢を語ることは、しないのかもしれない。夢があるのかもしれないけれど、自分の仕事をみんなに知ってもらいたいのかもしれないけれど。
発言する場があまりにもなさすぎる。

確実なことはわからないけれど。当たり前みたいに私たちが過ごす社会は、当たり前なんかじゃきっとない。

もしもこの世の中の人々、全てが夢を叶えられたとしたら。
みんなが女優に、みんながお金持ちに、みんなが花形の職業になったとしたら。
きっと社会は一瞬で終わるのだろう。
残酷だけど、それが真実だ。この国が資本主義である限り、ピラミットはきっといつまでも三角形だ。

だとしたら。
声をあげてこんな風に記事を書く私たちが、社会のリアルを伝えないで誰が伝えるんだろうか。
ニュースもメディアも広告も何もかもから離れて、私たち個人でなにか発信できるこの場所で。成功体験や夢や幸せだけを綴るだけでいいのだろうか。
政治のデモが当たり前だったあの時代。人々は顔を出して抗議をできていたはずなのに、いまのわたしたちは顔を出さないSNSの世界で生きている。身バレがしないから何を言っても大丈夫、批判も中傷も言いたい放題。
そんな社会でいいんだろうか。

この社会を作ってくれている人は、きっと目立たない人だ。そして、当たり前みたいに社会を作る人がいなくなった時、私たちは当たり前みたいに生活ができなくなる。水も火も明かりも、当たり前みたいに得られるのは当たり前みたいにそれを作ってくれる人がいるからだ。

花形じゃないかもしれない。
目立たないかもしれない。
子供の憧れなんかじゃないかもしれない。
だけど、そういう人こそが真の意味で社会を作ってくれているんだ。当たり前は、当たり前なんかじゃないんだ。感謝を忘れちゃいけないんだ。

わたしたち発信者は、ライターは、クリエイターは、
そういう社会の当たり前を、自分ではない他者のことを、絶対に忘れてはいけない。そう思うのです。
そんな社会に、そんな人たちに、どんな形で貢献できるかをわたしは真剣に考えている。
今リアルを伝えないで、いつ伝えられるんだろう。

#エッセイ #コラム #note編集

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