【働くあのひと case.8】自分を好きになること

8人目は、メーカーの人事・総務で働く、木村 キオナさんです(通称:キオナ)。中学校の同級生で、社会人歴は9カ月。いつも明るくて前向きで、昔から全然変わらないキオナ。今回、思い切ってインタビューのお願いをしたら、なんとお話を聞かせてくれることに。この記事を読み終えたとき、「生きているって、すばらしい」って思えるはずです。

―まずは簡単にお仕事について教えてください!

メーカー(主に薬を扱う会社)の人事・総務で働いています。お仕事は、会社のサポート全般。わたしは本社勤務で、各支店からの頼まれごとはもちろん、会社全体の運営に関わる仕事をしています。

小さいころから喘息持ちで病院通いで、入院することも結構あった。でも、病院が嫌だとは全然思わなくて、むしろ好きで!病院の匂いが好きだったの(笑)
薬はもちろんだけど、漢方にも興味があって、そういう分野でも仕事ができる今の会社で働くことを決めました。就職活動をしているときには、MR(病院に営業に行って、「この薬どうですか?」っておすすめする人)をめざしていたの。だから、大学を卒業するまで、免許をとるために教習所に通っていました。

だけど、大学4年生の時。内定をもらった後に、脳腫瘍があることがわかって、脳の手術をしなきゃいけなくなった。MRとして働くのに必須の、車の運転ができなくなってしまって、今の部署で働くことになりました。

―キオナのfacebook、ずっと見ていました。お話できる限りでいいので、そのときのこと、聞かせてくれると嬉しいです。

大学4先生になったときから、耳が聞こえづらくて、なんだかずっと頭に異変があった。最初は耳鼻科に行ったりしたんだけど、どこにいっても理由はわからなくて。その時ちょうど就活中だったから、「ストレスじゃない?」って言われたりもしてた。

だけど、今の会社に内定をもらったくらいから症状がひどくなって、もうお風呂にも入れないくらい頭が痛くなって、突然むせたりまでするようになった。
さすがにこれはおかしいと思って、また病院に行って検査してもらったんだけど、そこの先生からいきなり「今から救急外来に行ける?」って言われた。
その時は元気だったから、自分に何が起こっているかわからなかった。この後どこにいこうかとか、バーゲンに行って買い物しようとか思ってたのに。
救急外来って、本当に緊急性のある患者さんが運ばれてくるところなのに、そこにわたしは歩いて診察に行って、なんで健康なわたしがここにいるんだろうって、違和感しかなかった。

いろいろ検査されて、最終的に言われたのが、脳腫瘍があるということ。良性の腫瘍ではあるけれど、大きくなりすぎてて、一刻も早く手術してとるようにいわれた。耳が聞こえづらくなってたのは、耳の血管を圧迫してしまうくらい悪化した状態だったから。これは後からわかったことだけど、中学生の時からもうすでに腫瘍はできていたらしくて、それがどんどん大きくなって、ここまでひどくなっちゃってた。

腫瘍が大きすぎてこの病院では手術できない、だからほかに病院を探して、って言われた。両親と一緒に病院を必死に探して、やっと手術できる先生をみつけたんだけど…。
結構、腫瘍が脳の中にあることがわかって、しかもその腫瘍に血管まで通っちゃってて、その血管を止める手術までしなきゃいけなくて、なんか、信じられなかった。

大学4年の卒業間際の1月、14時間以上の手術をした。術後はずっと、寝たきり。
顔の左側と身体の右半身が麻痺してしまう後遺症も残った。例えば、ごはんを食べててよだれを垂らしてしまっても、感覚がないから気付けない。左耳も、ほとんど聞こえなくなった。

歩くこともままならなくて、術後から1ヶ月経った頃、やっと車椅子で移動できるようになった。でも、座ったままでいるのが辛かったから、車椅子で上半身ベルトで固定して移動してた。
やっと普通の病棟に戻ってこれて、車椅子補助でトイレに行けるようになって、そこで初めて自分の顔を鏡で見た。今まで寝たきりだったから、自分の顔を見る機会がなくて。
そしたら、自分の左目が動いていないことに気づいた。目の神経が手術の時に切れてしまって、どうしても繋げられなくて、こうなってしまったらしく…横を向いても、目が前を向いたままで、動いてくれなかった。

絶望した。こんな顔だったら、きっともう一生外にでれないって、もとに戻らなかったらどうしようって、ショックで仕方なかった。
お父さんがわたしを慰めようとして、「どっか欠けてる部分があるほうが可愛いよ」って、必死で説得してくれたんだけど、耐えきれなくて喧嘩した。それまで全然喧嘩なんてしてこなかったのに。わたしを思ってくれているからの言葉だってわかってるんだけど、そんなきれいごと、言い訳にしかならないじゃんって、すごく苦しかった。

いつかは治るのかなあって、顔は元に戻るのかなぁって、わからないままどんどん時間だけが経っていった。お医者さんも、100パーセント元に戻るなんてこと言えないから、「顔は戻りますか」って聞いても、みんな無視。答えてくれなかった。もう自分しか信じられなくて、でもこの先のことなんてわからないのに信じるなんてこと、どうしてもできなかった。実際、死ぬかもとか言われてたけど、ずっとどこかで現実逃避してたから、考えないように、なるべく直視しないようにしてた。手術が終わって、生きているのは良かったけれど、自分がこんな状態になると思わなかった。

その時ちょうど、大学卒業の時期だったの。手術する前は、友達と「卒業旅行に行こうね!」とか話してたり、卒業式の袴まで用意してたのに。それが全部苦しくて仕方なかった。
結局、卒業式で袴を着るってなっても、立ったままでいるという当たり前のことさえもできないから、いろんな美容室に着付けを断られた。最終的にお母さんが探してくれたところで着付けしてもらえたんだけど、でも。
本当は、卒業式なんてでたくなかったんだよね。顔だって崩れた状態だし、身体も辛くて、しんどいのに。周りの友達はみんな「おいでよ」って言ってくれるしで…結局、車いすで出席した。

できる限り体が元に戻るよう、時間があるときにはなるべく動くようにして、必死にリハビリした。術後に気にしていた目もトレーニングして、自分の力で治したの。外出するときは半年間車椅子だったんだけど、歩けるようになりたい一心で頑張って、今は自分の足で移動できるようになった。
だから、手術からリハビリ期間も含めて、社会人になるまで1年半以上かかりました。働き始めたのは去年の9月。

会社の人は、リハビリ始まったくらいから病院の近くに来てくれてたりしてて、わたしが入社するのを待ってくれてた。その時の専務が、すごくいい人だったんだよね。

―お仕事をはじめて、社会に出てみてどう思う?

自分がしている仕事が人のためになってるってわかるから、仕事自体は好きだなと思える!働かない期間が続きすぎると、自分の生きている意味を感じなくなってくる気がして…。
学生のときから、誰かのためになることが好きだったの。高校では生徒会長をやってて、目安箱を設置して学校をよりよくしようとしたり、いくつかボランティアに参加したこともある。だから、今の仕事でのやりがいも、間違っていないなって。
もしもこの先、働かなくてもいいってなったとしても、わたしは働いていたい。

でも、術後から社会復帰するのにかなり時間がかかったから、辛かったこともたくさんある。

特に最初は、ひとりで電車に乗って通勤するのがめちゃくちゃ怖かった。慣れるために週3くらいのペースで外にでるようになったんだけど…その、「外にでる」ってことがすごくストレスだった。
優先席がある電車でも、譲ってくれない人はいっぱいいた。障害者のマークをつけてても、杖をついてても、無視されてしまうことも多かった。若いから元気そうに見られてるのかもしれないけど、本当はずっと身体が辛くて、立ってるのも辛くて、会社の行き帰りがすごくストレスになって。それで一回、倒れてしまったことがある。
ただ会社に行くだけなのに、電車に乗るだけなのに、こんなになっちゃうんだって悲しくて、何より驚いた。自分で意識してなくても、ストレスってこんなにたまるんだと気づいたの。
わたしの場合はこうやって症状で現れたりするけれど、きっとみんなも変わらずそうなのかなって。知らないところで我慢して、ストレス溜めてるのかなと思う。

あとは、上司や周りの人に、「自分にはこういうことができないから、こう配慮してほしい」って伝えるのが、すごく難しいと感じる。だって、20年くらいずっと、元気な人として生きてきたのに。自分がなにができて、なにができないか、まだ全部わかってない。自分の身体だけど、まだまだ理解できてないところがたくさんある。
身体は全然動かないけれど、気持ちだけは大人って感じで。気持ちが追いつかないことがあるんだよね。

歩けなくて車椅子だった時、すごく自分が嫌いだったから、自分を人に見せるのが恥ずかしかった。誰かと一緒にいるときも、周りの人にどう思われるか気になって仕方なかった。
指がうまく動かせないから、財布から小銭を出すのもすごく時間がかかってしまって、コンビニやお店に行くのも怖かった。小銭を出さないで済むように、お会計のときにはいつも千円札ばかり出してた。
会社に入ってからも、ごはんを食べるときにお箸が上手に使えなくて、みんなの前で「おかしいよ、ちゃんと使えてないよ、箸」って注意されてしまって…その言葉に悪気がなかったのはわかってたし、後から謝ってくれたんだけれど、やっぱり気にしてしまって、泣いたりもした。手が動かないから、上手に持てない。普通のお箸は上手に持てなくなっちゃったから、割りばしとか、スプーンとかフォークとかでいつも食べてて…外食するとき、すごく緊張するんだよね。お箸で食べるはずのお料理屋さんに行くと、お店の人に「スプーンありますか」って聞いても「いや、ないけど」って厳しく跳ね返されちゃったりとか、普通にあった。

だから、いつも怖かった。どう思われるか、何言われるか、いつも怖い。
手術して退院したとき、たくさん靴を買っちゃったの。どの靴だったら自分が変って思われないか、どれだったらみんなと同じように歩いてるって思われるか、社会の目をすごく気にしてる。仕事ひとつするのにも、すごく気を遣う。

その反対に、社会にはいい人もいるんだなって、今まで気づかなかったことに気づいたりもするの。困っていたら手を差し伸べてくれたり、気づいてくれて温かく接してくれたり、そういう人もたくさんいるんだって気付けた。
だから、悪いことだけではなかったかな。

―キオナは今の自分のこと、好き?

好きだって、思えるようになってきた。
病気になった後の自分の方が、好きかもしれない。一生元気なままだったら、きっと自分のことをこんなに好きになろうと思わなかった。
自分が自分のことを好きにならなくても、ほかの誰かが自分のことを好きになってくれればいいなって。そうやって、他人に愛を任せたまま生きていたのかもって思うんだ。

障害を持っているからって理由で、自分のことを嫌いになってしまう人ってどうしてもいるけれど、それも個性だっていえるようになったらすごくいいなって。

もともと人と違うことが好きな性格だった。小学校のときには、ランドセルは黄色だったし(笑)人と違うことをやるのが好きで、写真ひとつ見るのにも、人と違った感覚でいる自分が好きだったんだよね。
でも、病気になって、なんかそれって違うのかもって気づいた。本当の意味で人と違うのが好きなんだったら、今こうして障害を持った自分も好きになれてるはずだよなって思ったり。
そうやって、自分のことを見つめ直したりもできるようになった。いままでの自分を振り返ったりもするの。

―どんな自分になりたい?

自分の好きな、自分になりたい。簡単に聞こえるけど、全然簡単じゃなかった。自分の嫌いなところを認められて、好きになれて、「これも個性だよね」って思えるようになるためにも、これからも社会とかかわっていきたい。そのための仕事でもあるなって。

小学生のころ、男子に馬鹿にされた経験が忘れられなかった。その頃は今よりも体重があって、小学生なのに60キロ超えていて…。友達と歩いていても、「お前とあの子が一緒にいるって、お前の体重の重さを強調してるだけだよな」って、笑われてた。
そんな経験があったから、昔わたしを馬鹿にしてきた人たちを見返してやりたい気持ちがすごくて。大学生の時には、痩せるためにとにかく何も食べないとかして、15キロくらい減量したことがあるくらい。

病気になる前の自分を振り返ると、とにかくいろんな人に認めてもらいたいという欲がすごかった。見返したいとかも、きっとそう。バンドのオーディションを受けたり、顔にこだわっていたり、体重とか、人から見られる自分の姿ばかり気にして生きてきた。
でも、いざ病気になって全部失って、じゃあ自分ってこれからどう生きていこうかって考えたら、今まで大事にしてきたことって、実はすごく薄くて、ちっぽけなものだったのかなって気づいたの。
こだわっていた外見についての考え方も変わった。結局、痩せた時に好きって言ってくれる人がいたとしても、そのまま老後になって、その人がわたしのそばにいて支えてくれる保障なんてない。トイレもいけない、お風呂もいけない、なにもできない。そうなったときに、本当に好きでいてくれるかなんて、わからない。手術して自分の顔が変わってしまったからこそ思えること。

過去にいろいろ言われたこととか、障害を持ってしまったこととか、どうしても好きになれない自分の部分ってある。でも、そういう自分の弱いところにいつまでも囚われていてもしょうがないって思えるようになった。誰かの目を気にしたりするよりも、自分で自分の人生を生きたいって思うようになったの。
手術がきっかけで自分を見つめなおすことになったから、本当の意味で0からのスタートになってしまったけれど、きっと手術していなかったら、昔のことをずっとひきずったままだったと思う。何も変わらないまま、生きてた。
他人がどれだけわたしのことを認めてくれて好きになってくれたとしても、結局自分が自分を愛せてなかったら、何も意味がない。自分の溝を自分で埋められなかったら、意味がない。
だから、まずは自分のことをよく知って、好きになろうと思う。本当の意味で「自分を好き」って、わたしはまだ言えないなって思うの。

だから、この経験がターニングポイントなんだって、もっと自分がよくなるためのものなんだって思うようにした!
まだ腫瘍が全摘出できていないから、定期的に検査しながら様子を見ていくって感じなんだけれど、また同じような状態になったら耐えられるのかなって。もう一回同じようになったときに、自分もそうだけど、自分の近くにいる人も耐えられるのかなって、不安になったりもする。
悪いほうに考えることはいくらでもできるけど、今の自分の状態をいい方にもっていけるのも、自分の考え次第だと思うんだ。改めて自分って、本当によく頑張ったなって、よくここまで越えられたなって思えるの。

―お話変わるけれど、キオナにとっての一番の「好き」って何?

伝えること。自分の気持ちが伝わって、その場にいる人みんながひとつになるのが好き。まさに、一体感!大勢の前で話したりするのは少し苦手だけれど、自分が表現したいことが、うまく相手に伝えられたとき、すごくわくわくする。

ずっと音楽が好きだったから、大学生の時にはギターで弾き語りとかもしてた。
でも、病気になって顔が崩れて、口も動かなくなって、ギターを弾くための手はもっと動かなくなって、耳も聞こえなくなって…致命的。大好きな音楽が、もう二度とできないのかもしれないと思ったとき、「今まで頑張ってきたのってなんだったんだろう」って、絶望した。

一時期は音楽を聴きたくないくらい嫌いになったんだけど、ギターって指を動かす練習になるかもって思って、病院にギターを持ってきて練習するようになった。昔ほど上手じゃないけれど、まあちょっとは弾けるかなってくらいにはなれて。
そしたらその頃、ちょうど病院のリハビリ施設で定期会みたいのが開催されることになって。おじいちゃんおばあちゃんなど、リハビリをしに来る人がたくさん集まる会で、わたしはギターで「上を向いて歩こう」を弾き語ることになったの。

演奏はうまくなんて全然なかったけれど、みんながわたしに合わせて歌ってくれた。
その時思ったんだけど、心に響くものって、上手さじゃないんだって。きれいな音楽だけが、いいものじゃないんだって感じたんだよね。滑舌も良いとはいえないし、耳も聞こえないから音程がとれなかったりするんだけど、みんながひとつになるってこういうことなんだ!って感じたの。
そこにいるひとりひとりの思いは違うけれど、それでもみんながひとつになる、その瞬間が忘れられない。
だから、うまくはないけれど、今もたまにはギター弾いたりしてる。

わかってくれる人は、多くなくてもいい。そこにいる誰かに伝わって、2,3人でもいいから想いを伝えられたら、それでいい。
自分がつくった世界って、真似すれば誰かっぽくはなるけど、でも自分だけのものでいたい。自分の方法で、自分だけの何かを伝えたい。

あ。あと、甘いもの食べるのも好き!(笑)


―最後に!キオナにとって「働く」って何?

自分を知ること。
そして、自分を好きになること。

他人と関わらないと、自分の嫌な部分や不得意なことって、わからないと思う。自分ではない誰かと出会って知り合うことで、改めて自分のことを知れるんじゃないかな。短所とか長所とか、きっとひとりで生きていたら気づけない。

仕事をして、自分から社会にでなければ会えない人っていると思うんだよね。
友達との関わり合いだと、自分の好きな人としか会わないから、自然と選んだ人間関係になる。
でも、自分の嫌な部分や好きな部分を知っていくためにも、嫌な人や苦手な人とも関わっていく必要があると思う。その関わり合いで初めて見えるものがある気がする。

小学生の時に国語の授業で読んだ文ですごく印象に残っているんだけど、「人によって、嬉しいとか楽しいとか痛いとか感じ方が違うのに、どうやって人と人ってわかり合っていくんだろう」みたいな。それがずっと忘れられなくて、ああ確かに、人ってどうやってわかりあっていくんだろうって、心のどこかでずっと疑問に思ってる。

電車で席を譲ってくれない人がいたとき、最初は感情が抑えられないくらい憤ったりしたこともあって、駅のホームで倒れて泣いたりとかしちゃってた。そのまま具合悪くなってしまって、救急車呼んだりとかまで。
でも、そういう冷たい人がいるって気づいたからわかることも確かにあるんだよね。自分が障害者になってみて、はじめてそういう人の存在に気づいた。今までずっと健康だったから、そんな人の存在を、きっとわたしは知らなかったし、こういう風に感情が高ぶる自分がいることも、自分のことなのに知らなかったんだよね。

何度も必死に「大丈夫。頑張ろう」って思ってたけど、それでもやっぱり「死にたい」って思ってしまうことも多かった。退院してSNSを見るとみんな楽しそうにしてて、その人達のせいじゃないのにどうしても辛くて仕方がなかった。見るのが苦しくて、一回SNSを全部やめちゃったりとかもした。苦しくて死にたいって思う時こそ、近くにいる人の存在がどれだけありがたいかって、見失っちゃったりもする。
一番近くで支えてくれていた家族のことまでわからなくなっちゃってた。でも、本当に周りの人がいなかったら、きっとわたし、今生きてない。

そうやっていろんな人に支えられてきたけれど、実はわたし、人に頼るってことが本当はずっと嫌いでした。できないって言いたくなかった。できない自分が嫌いだった。頼るのかっこ悪いなって思ってたし、自分の意見を言うのが苦手だった。
でも、「できない」ってはっきり伝えることって大事なんだなって、今の自分になって思う。仕事をするのももちろん、生きていく中で、なんでもそう。それが自分を認めてあげるってことだし、自分を好きになるには、必要なことだって思えるようになった。

社会に絶望する瞬間って、確かにたくさんある。障害を持っているからこそ、その要素はきっと多い。冷たくされて辛くなったり、できない自分に苛立ったり、例えばゆりかもめに優先席がすくないとか、そのほかにも小さなこととか、いっぱい。

だけど、100人がわかってくれなくても、そのうちの数人が理解してくれればいいって、わたしは思います。
今もしも障害を持ってて、社会にでて働くのが怖いって思ってる人がいたら、「そんなに社会って怖がらなくてもいいよ」って伝えたい!冷たい人も確かにいるけれど、その分支えてくれる人も絶対にいる。見てくれている人は、そばに必ずいます。家族でも友達でも、身近には絶対に助けてくれる人はいます。

自分がした体験ってきっとみんなしていないから。こうやって話すことが、誰かのためになればいいなって思います。

中学生の頃、席が前後ろだったこともあって、授業中にたわいもない話をしたなぁ、とか。キオナは誰に対しても平等だったから、その明るさに救われてたなぁとか、いろいろ思い出しました。
昔も今も、キオナは変わらなくて、でもいい意味では変わっていて、今回お話を聞かせてくれて本当に嬉しかったです。

話してくれてありがとう!キオナ、いつかバンドしようね!

#働くあのひと #インタビュー #社会人







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saku

【50人インタビュー】働くあの人

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