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許すのは、相手のためではなく自分のため

どうしたって、癒えてくれない傷がある。時間が経って歳をとって、過去の自分に嘆くことが少なくなったとしても、古傷ってある日たまに疼くのだ。
チクっとした痛みが目を覚ましたかと思えば、じわじわとウイルスのように広がって、いつのまにか心が侵食されていることがある。

その時は気にしないふりをできたとしても、大人になってふとした瞬間に襲いかかってくる魔物みたいなそれは、心の弱いところに入り込んでわたしを弱くする。
何年たっても、過去ってやつは強い。良い意味でも悪い意味でも、今の自分を揺さぶるのは、ショックの大きかった出来事だ。

他人に言われた言葉を気にしないようになるためには、相当な訓練が必要だった。自分は自分であると確固たる芯を持つことと同時に、他人は他人であると認識し続けながら行動するのは、大分難しかった。
人としての生き方なんてものは、義務教育のどの過程でも教えてくれなかったから、自分がちゃんと人間らしく生きていれているのか、いまだにわからない。なにを物差しに生きていけばいいのかわからないから、経験して感じていくしか手段はない。
100の知見より、1の経験だ。
無駄なことはなにもないのだと、そうであってほしいと思うようにさえなってきた24歳。

あの人があの言葉を吐いたからといって、周りも同じことを思っているとは限らない。
そうであるはずなのに、ドスンと響いたその言葉は、ずっと心に残ってる。いつまでも、出て行ってくれない。

その言葉を気にするのはきっと、どこかでその言葉通りの自分でいなければいけないと思っていたからなのかもしれない。
ブスと言われ、キモいと笑われたあの日の私。
その言葉のような自分でいることに甘んじて、そういることで安心していたのかもしれない。
言われたままの自分でいることが正解だと思って、自分の価値を下げてしまっていたんだろう。
自分にも相手にも、楽な方法をきっと突きつけていた。ネガティブな言葉って、変な方法で人を洗脳する。

同じことを、わたしも誰かにしてしまったことがあるんだろうか。
こんなことを書くわたしもきっと、たくさん人を傷つけてきたんだろう。
傷ついた分、どこかでわたしも罪人になっていたんだろう。

そう思うと、何が正解かわからなくなる。
誰かを傷つけていたという事実を知って後悔しても、わたしはきっと、なにもできない。
謝って許してもらおうともできないし、究極「死ね」と言われても死ねない。
偉そうにこう書いていても、自分は特別な存在なんかじゃない。わたしも、誰かにとっての加害者だ。誰かがわたしにとってそうであるように。

ちょっと考えればわかることだが、人間関係のいざこざにおいて、憎むよりも憎まれる方がとてつもなく辛い。
してしまった過ちに気付いたとしても、それを犯す前になんて時間は戻ってくれない。したこと、吐いた言葉はずっと相手に残るのだ。
ことの重大さに気づいた時には、だいたい遅い。怨まれ続け、嫌われたとしても、もう戻れない。
昔どこかで聞いた、「傷つけるより、傷つけられる人に」とは、このことなのかとさえ思う。
傷ついた分だけ優しくなれるなんて、そんなの綺麗事だとは思うけれど、傷つけた分だけ、人は悪者に確実になる。

後悔って、一番解消できない感情だ。後悔って、ずっと心にこびりついて離れない。
だから間違わないために、慎重にならなければいけないのだ。
相手のためにも、心に刃を向けることなんてしちゃいけない。きっとそれは、すこし意識すれば変えられることなのだ。

忘れられないほどの傷を残されたとして。
そしてそれをしてきた相手に、溢れ出てくる憎しみと悔しさをぶつけたいと思ったとしても。

そんな感情は、持つだけ無駄だ。

自分を傷つけた相手が、後悔や反省をして謝ってくれるわけなんかない。そんなまともな人間なら、最初から人がされて嫌なことなんてしないのである。
今頃きっと、どこかで同じことを繰り返して、誰かを泣かしているのだ。していることの醜さに気づかない愚かな人間は、もうずっとそのままなんだと思う。
だから、泣く必要なんてないのだ。
くよくよ下を向いている暇なんて、ないのだ。

許すのは、相手のためなんかじゃない。

これからの人生を生きる自分のために、許すのだ。
それがたとえ悔しいことだとしても、腑に落ちないことだらけだとしても。
ぐっと飲み込み、そこまでにするのだ。
これからの自分の人生に、なんら関わりのないしょうもない出来事にして、先に進むのである。
それを気にする労力と、重たい過去を抱え込む腕力は、これからやってくる幸せを掴むために使えば良い。
大切にしてくれなかった誰かのために、今の自分を犠牲にする必要なんてないのである。

何かを許せた時、きっと新しい何かがやってくる。
許せず抱えていたその分、新しいものを得ることができるのだ。
そうやって捨てて、また迎え入れて、必要なものだけを抱えて生きていけば良いのだろう。
嫌いな人に対して無理に優しくいようとか、そんなのは考えなくて良い。
不必要なものにこそ丁寧に。おわりはさっぱりと。

その過去を許すのは、相手のためではなくて、これからの自分のためだ。
自分が変われば、きっと未来も変わるんじゃないかって、また夢見心地なことを考えてしまっている。
未来に期待をするのは、変わっていく自分に期待をしていることと同じだと思うんです。

#エッセイ #人生



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