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横書きの世界に出会えてよかった

身も蓋も無い話だが、もはやわたしは読書よりもSNSに夢中なのだろう。
インターネットが大好きだ。
近頃、SNSに対する批判が溢れているけれど、わたしは素直にSNSが好き。あってよかったと思う。
この横書きの世界がなかったら、きっと今のわたしは生きていない。
ツイッターで投稿しすぎると「ツイ廃」とかいわれるし、インスタでお洒落を意識しすぎると「グラマーぶってるwww」といわれがちなこの感じ。
最近では「SNS疲れ」なんて言葉も生まれて、ネットがマイナスなイメージになっているけれど。

どこの誰かわからない、顔の見えないあなたと出会えるこの世界が、わたしは結構好きだ。
好きなのだ。
出会うはずのなかった人と、画面越しに手を繋ぐことができる。共感を得られる、共感をする。
SNSがなかったら、味わえなかったものがたくさんだ。
noteだってそうで、あってよかったと心から思う。
文字を書く喜びも、文字を書きたいと願う誰かの思いを昇華する術も、それが形になっていることが奇跡なのだ。
それに気づかず、目の前にある当たり前を貪るのは、それってどうよ。どうなのよ。

SNSは批評しやすい性質があると思うし、様々な角度から論評が書けてしまう。
多分それのどれにも正解はないのだけれど、なにかに◯が集まれば集まるほど、どんどんSNSが「よくないもの」として扱われてしまっているような気がして寂しい。
批判的に見るのではなくて、ただ楽しめればいいなと思う。
ふさわしい使い方はあるし、最低限のマナーもある。
それを守り享受して、なにかのために使えればいい。
わたしは書くのが好きだから、今日もnoteを開くのだ。
書いて書いて、吐き出して、吸って吐いて、また書いて。

小さい頃から、漫画や小説が好きだった。
知らない世界を知れる出版物に夢中になった。誕生日プレゼントに本をねだったこともあるし、なんなら自分で絵本とかまで作ってた。
小学校の自由研究で、ハードカバーからなにからてづくりしたのはいい思い出。
作って書く喜びは、そのころから美味しくて、それは今でも変わらない。

そんなわたしだが。
実はあるとき、本が読めなくなったことがある。
少し重い話になるのかも知らないけれど、それはもう過去の話だから、こんな話もあるんだなと受け流してくれて構わないです。
正確には、縦書きの文章が上手に読めなかった時代があって。
でも、横の世界を知ったことでそれが克服できて、しかも書くきっかけになったってこと、それをどうしても書きたくて、伝えたくて書くことにしました。
あの時の経験が、いまのわたしを形作っていると言っても過言ではない。

小さいころから、両親は共働きだった。
小学校にあがってしばらくして、母と兄とわたしは東京に引っ越してきた。
もともと転勤族であちこちに行く父だった。
そのころ、東京に祖父と祖母がいて、一緒に住むことになりこっちへきたのだ。
父とは、たまに会うくらい。わたしは母の背中を見て育ってきた。
ひょっとして、わたしがやけに仕事にこだわるのは、母がずっと働いていたからなのかもしれない。
働いていない母を、みたことがない。

引っ越すということがどういうことかわからなくて、当時好きだった男の子には、好きだとも言えずにお別れしてしまった。
そのあと東北に震災が起きて、その子が生きているかもわからなくなって、もう生きていないって知った。
会えなくなるって知っていたら、好きって言っていたのだろうか。
好きだったあの時にも言えなかったのだから、結局ずっと言わなかったのかも知らないなんて、考えたところで戻れない過去のことを思う。

母は朝から晩まで働いていて、兄も塾に行っていたから、わたしはだいたい家で1人だった。
1人ということがどういうことか、わたしはその時に学び、1人でいることが当たり前の毎日だった。
誰もいない家で、遊んでいた。
シルバニアファミリーを自分で動かして、宿題をひとりでやって、録画したコナンとドラえもんをずっと見ていた。
ジブリも好きだったから、何度も見た。「千と千尋の神隠し」は、みすぎてセリフを覚えてしまった。今でも冒頭は話せるし、なんならモノマネまでできる。

小学校高学年になった時、クラスの女の子と上手に仲良くできなくなった。
それはもう仕方のないことなのかもしれないけれど、完全にタイプが合わなくて、わたしは顔色を伺うだけで、馴染めなかった。
最初は気にしない程度の嫌がらせが、だんだん目に見えるようになってきて、無視できないくらいのものになった。
それは、中学生まで続いて、中学になったらもっと陰湿なものになった。
ブスできもくて、勉強のできないわたしは、言い返すすべもわからず、それでも休まずに学校に行っていた。
逃げたかったけど、「学校に行きたくない」とは言えなくて、そもそも親や大人に相談しようとも思えなかった。
というより、仕方がわからなかった。
落書きされて帰ってくる交換日記も怖くて、でも拒否する仕方も分からなかった。
ずっと逃げたかったけど、逃げ方も分からなかったし、誰かに話したかったけど話し方がわからなくて、そうやってずっと、我慢していたのかもしれない。

そんなある日、急に本が読めなくなった。
縦書きの小説を読もうとすると、同じ行を何度も読んでしまって、先にすすめない。
一文字一句、読みこぼしてしまったらどうしようっていう不安のせいで先に進めなくて、一文字でも読み方がわからない漢字が出てくると、急に悪いことをした気分になって、死にたくなった。
大人になってわかったことだけど、あの時のわたしは識字障害があった。ストレスからくる神経症。
なんかもう、仕方なかったのだなと思う。
学校ではいじめられ、家ではずっとひとりで、ろくにコミュニケーションの仕方もわからず、学ぶ方法もわからなかった。こうならないと、きっと親にも気づいてもらえなかったし、よかったんじゃないかとまで思う。
子供の頃にここまでストレスで自分を壊したから、大人になった今は、ストレスのコントロールの仕方がわかる。
経験とは偉大で、自分の限界を一度知ると、本能でストレスレベルを感知できるようになるのだ。有り難いのか、有り難くないのか、謎な話である。

ストレス発散の仕方がわからなかったこどものわたしは、皮肉なことに、大好きだった本の世界へ刃を向けてしまった。
大人でもよくあることらしいので、そこまで深刻なものではない。
原因がわかっていたから、まだよかったし、良くなることも理解していた。

だけど、文字がうまく読めない。
それがわたしを苦しめた。
両親もわたしの異変に気づいて対応してくれたけれど、なんだかもう、気づいたときには遅かった。
もっと早くに相談しておけばこうはならなかった、とも言われたけれど、いつどこで、誰に言えばよかったんだろう。

教科書がうまく読めなかったのはもちろんだけれど、一番つらかったのは、よく学校であった「読書の時間」だった。
前は大好きだったのに、一気に苦痛で、早く終わることだけを願ってしまう。
だって、読めなくて、読もうと思うとストレスで緊張して、読めない自分が悪いことをしているようで、とにかくつらかった。

打開策は見つけていて、読む方法は2つあった。
1つは、声を上げて読むこと。
耳で読めると、頭に入ってくる。口パクでも、目以外の何かを使えば読めた。
2つ目は、定規を使うこと。
読んでいる行に定規を当てると、目が泳がなくて済んだ。

でもそんなこと、読書の時間にできない。テストの時間に、できない。
読めません、なんて言えるわけない。
読めないなんてこと、誰が理解してくれるのか、読めない自分が恥ずかしくて黙っていた。

好きだった本が読めなくなって、楽しみが減ってしまった。
以前の記事でも書いたけれど、編集の仕事を目指すきっかけになるくらい、出版物が好きだったのだ。
でも、その頃のわたしにとっては、苦痛でしかなくなった。
漫画も小説も全部縦書きだったから、もうなにも頭に入ってこなかった。
一度頑張って読んでみようと思ったけど、読めないことが辛くて、手をかきむしるほど悔しくて、本を読むのをやめた。

それでもやっぱりずっとひとりで、家には誰もいなくて、1人が当たり前だった。
なにもない部屋でぼーっと、ドラマやアニメを見ていた気がする。
アニメまでみれなくなったらどうしようって思いながら、これからできることが減っていくのだろうかと、突然の異変に追いつけなくて。
ずっと怖かった。

視界がひらける日は、ある日やってくるものである。

それは、携帯電話を買ってもらった時のこと。
メールとかはあまり興味がなくて、全然手をつけていなかったのだけれど。

ネットに繋いであそんでいたときに、
携帯小説に出会った。

その時の衝撃はすごくて、
横書きの物語がそこにはあって、
苦しさも辛さもなく、頭に入ってきて、
久しぶりに、きちんと文章が読めた。

スラスラと読めた。読めたのだ。
小説ほど重たい表現はなくて、誰かが書いた恋愛小説はポップでライトだった。
それを読むわたしは、今まで感じてきた詰まりとか、恐怖とか不安がなくて、泣くほど安心したのを覚えている。
小説愛好家は、「携帯小説なんて」と馬鹿にする人もいる。
縦書きの世界が絶対みたいな意見の人も、たしかにいた。

でも、そうなのだろうか。
携帯小説みたいに、女の子に夢とドキドキを与える小説を書ける人は、果たしてどれくらいいるんだろうか。
バカにしている人は、同じことをできるのだろうか。
よく読んで、携帯小説の良し悪しをしっての発言だったのだろうか。
正解はわからないけれど、少なくともわたしにとっては。

本当に嬉しくて、嬉しくて。活字を読める喜びを取り戻すことができた、大切な宝物なのである。

本は縦書きが当たり前だったけれど。
それが横になったあの時代に、わたしはたしかに救われた。
もう今では縦書きも前のように読めるようになって、あの時の苦しみからも解放された。

携帯小説に夢中になったわたしは、自分も書いてみようと思った。
絶望していたわたしを救ってくれて、楽しみを教えてくれた世界で、わたしも与える側になろうと思って。
中学2年生で、携帯小説家になった。
妄想炸裂のラブストーリーはちょっといまは恥ずかしくて紹介はできないんですけれども。
本気で書いてたから、読者さんもそれなりにいた。
PV数は10万を超えていたし、メールボックスには「いつも楽しみにしてます!」とメッセージが届いていて。
書くって楽しいんだと、書けてよかったと、心から思った。

横書きの世界に、出会えてよかった。
インターネットがあって、よかった。
知らない世界に偶然出会って、わたしは文字をまた楽しめるようになった。
自分が書けるということを知った。
書いて誰かに呼んでもらえる喜びも、誰かが書くものに救われる感覚も。
ぜんぶぜんぶ、ネットがなかったら存在しなかったのだ。
未だ見ぬ新しいものをまつ、あの日のわたしのように。
出会うべくして出会ったそのときに、生きる喜びを手にできるのだとわたしは思う。
わたしにとってのそれがネットであり、書くことであるように。

noteがあって、よかったと思う。
これほどまでに、伝えたいことを伝えられずに生きてきた人がいること、書きたい人がいることに、驚きを隠せない。
みんな傷ついてきて、寂しさや虚しさを抱えていて、それでも形にしたくて記事にする。
楽しいことや嬉しいことを、誰かにおすそわけができる。
それがたとえ自己満足の類だとしても、それをすることでなにかが、誰かが救われるならば、ぜんぶ正解だと思う。
そうあってほしい。これからも、程よく自由で程よく優しいnoteであってほしい。
それを求めてる人が、この世の中にいるかもしれない。

だからわたしは、今日も書く。
インタビューも、エッセイも、小説も、たまにイラストも。
どこかの誰かにとって、何かのきっかけになるかもしれないから。
同時に、わたしも書くことで喜びを感じるから。

そこに読み手がいなくなったとしても、誰も呼んでいないかもしれないけれど。
でも少なくとも、このnoteの世界では、誰かが読んでくれるってわかってしまったから、もしかしたら。
わたしのこの文章で、何かを変えられるかも知れないって思ってしまうから。
わたしが救われたように、わたしも誰かを救いたい。
縦書きと横書きが紡ぎ合う文章の世界で。
わたしは今日も、綴るのです。

#エッセイ #noteでよかったこと

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