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可愛くなる方法は、誰も教えてくれないけれど

化粧品やアパレルの広告の中では、かわいい子がさらに可愛くなっている様子しかみれない。容姿をお金にできる彼女らが、新作のメイクやお洋服を紹介しているのを見ると。いつも、違う世界の違う誰かがおめかししているのを見せられている気分になる。

仕事柄、最新のファッション誌やメイク情報は絶対にチェックする。お金に余裕がなくとも、気になる化粧品があれば買ってしまうし、休みの日は繁華街に出てお洋服屋さんを巡ったりする。それは、いまなにが流行っていて、どこに人が集まっているかをチェックするため。
それをすると、必ず目に入るのがモデルさん。可愛いあの子がもっと可愛くなっている様子を、わたしはいつもモヤモヤした気持ちで見てしまう。

可愛い子は、もっと可愛くなれますよ。
広告は、そんな風にわたしに話しかけてくる、気がする。そんな報告、わたしたちブスにはなにも役に立たない。
だってわたしたちは、その化粧品を使ってもあのモデルにはなれない。憧れるけれど、その子になれないことを痛感するだけなんです。そんな気分。

その化粧品は、ブスになんの変化をくれるんでしょうか。ちょっとでも可愛くなれる?練習したら見違える?そんなことを望むことが、もしかして不毛で図々しくて身の程知らずだったりする?
広告の世界で可愛いモデルを使用するのは当たり前だとは思うけれど。物を売るための手段として、可愛い子がもっと可愛くなる様子を見るのは、わたしはいつも、なんだかしっくりこないのだ。

当たり前だけど、わたしは石原さとみにはなれない。
反対に、石原さとみはわたしにはなれない。だが、そんなことは考えるだけ無駄なのだ。石原さとみに憧れる矢印がわたしから彼女に伸びているだけであって、一方通行にすぎない。石原さとみはわたしが生きていることさえ知らない。そんなものなのである。

石原さとみになりたくてマキアージュのリップを買ったけど、当然石原さとみにはなれなかった。着用色ももちろんチェックして、念入りに試してみたけれど、いつまでたっても石原さとみになれない。

そう、なれないけれど。ブスはそれでも化粧品や服に金を費やしてしまう。
それはもう1つのお守りであって、メイク道具があれば自分の顔が少しでも可愛くなる気がするから。塗りたくったり粉まみれにして痛めつけていることもわかっているけれど。
この顔が少しでも見せられるものになるならば、ちょっとの出費もおしまないのだ。

ブスが可愛くなる方法は、誰も教えてくれない。
悩んで泣いて虐められて。笑い者にされてこじれた性格になったとしても、それはもとより自分の顔がブスだからという結果に帰着してしまう。
親のせいにもできないし、だれのせいにもできない。

できるのは、自分で顔をここからどう変えるか考えること。
整形かもしれないし、ちょっとの工夫かもしれない。髪型かもしれないし、メイク道具のカラーかも。
だれも自分の顔を可愛くする方法なんて、教えてくれないのだ。
だからこそ勉強するし、化粧品は買うし、練習だってする。石原さとみになる方法はないとわかっているけれど、自分の顔をいまよりも輝かせる方法が、きっとどこかにあるはず。
そう願ってやまない今日も、夜な夜な可愛くなるために化粧の練習をするのです。

化粧品は、使い方次第でその力を引き出せるか引き出せないか、その人の腕次第だということも知っている。
ブスだと言われて笑われたあの頃、わたしはたしかに努力していなかった。この顔を諦めて、恋も諦めて、わたしってかわいそう。そんな風に悲劇のブスだった。

だけど、ある日気づく。
自分の顔は一生自分のものなんだから、だったらせめて、可愛くしてあげよう。
だれも可愛くなる方法は教えてくれないけれど、受け身じゃなくて、自分から勉強してみよう。
そうやって生きてきた。そうやって、今のわたしの顔がある。
これからも少しずつ、本当に少しずつでいいから、可愛くなれる方法を探していきたい。

余談だけれど。
どの時代にも、流行りというものがある。流行とは、その時代の人気者なのだ。変わりゆく世界の中で、1番の速さで変わっていくのがファッションだと私は思っている。
つまり、時代ごとに「かわいい」は違う。今この一瞬でも、「かわいい」の基準は変化している。
今自分を磨いていたら、そして磨き続けたとしたら。
ひょっとしたら、いつか時代がわたしの「かわいい」と、マッチするんじゃないか、なーんて。
そんなことまで考えちゃうこじらせ女子です。

⭐️saku
Twitterやってます。@saku_____ua

#エッセイ #ブス

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