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金看板に呪われた人達(高学歴発達障害者)

こんばんわ。アヒルです。今日は金看板に呪われた人というテーマで高学歴発達障害者について書いてみようと思います。

高学歴発達障害者というと違和感を抱く人もいるかもしれませんが、発達障害者で高学歴の人は珍しくありません。発達障害者とは知的障害のことを指しているわけではないので、往々にして発達障害でも勉強が得意な人、高学歴な人はいます(僕もそうです。)。

ですが、高学歴という金看板は必ずしもいいことづくめではありません。日本型雇用慣行では、高学歴=On the job trainingに耐えられるポテンシャルがあると見込まれ、就職などで有利に働くことは確かですが、社会に出てしまえば高学歴などは関係なく、勝負の場に身を投じなければならなくなります。そのときから、高学歴は重荷となって多くの人々にのしかかることになります。

少し古いですが、東洋経済の記事を引用させていただきます。早稲田の政経を出た、それだけ聞くと前途有望な若者の絶望の話です。

この記事では早稲田政経卒という輝かしい学歴を持ちながら、発達障害を抱え、うまく社会に適応できなかった人について書かれています。記事の一部分を引用させていただきます。

早稲田大学政経学部を卒業。しかし、出版社での勤務も国家公務員の職場も長くはもたなかった。「あがいても、あがいてもどうにもならないことがたくさんありました。早期発見されていれば、あそこまで苦しむことはなかったのではないか思うと、今も悔しい気持ちです」
ソウスケさんが長年生きづらさを抱える中、周囲からは容赦なく罵倒された。「ふざけてんのか!真面目にやれよ」「高学歴なのに、どうしてそんなにバカなんだ?」

高学歴社会の厳しさ

高学歴であることと勉強ができることは能力として別のものです。もちろんかぶさる部分があることはないことはないですが、高学歴の困ったところは、周りが高学歴だと有能な人たちの間でのサバイバルにさらされ、学歴がない人だと嫉妬につぶされることです。

世の中の高学歴「健常者」の能力は半端ではありません。彼らは発達障害者の我々と異なり、勉強ができる(記憶力がある、努力ができる、論理的思考能力がある)に加えて、コミュニケーション能力や空気を読むスキルにも秀でているものが多いです。高学歴として本当の恩恵を享受するためには、これらの怪物たちと食い合いながら社会に出て自分のバリューを見つけていかなければなりません。

なにより残酷なのは、高学歴には逃げるという選択肢が封じられていることです。一般に高学歴になるためには、相当な量の勉強、努力が要求されます。そのアドバンテージを完全に捨てて一般の、例えばタクシードライバーやトラックの運転手等になることはこれまでの自分の努力を無に帰することを表しています。また仮に逃げたとしても、そちらの世界でうまくやっていけないときには、金看板は呪いに代わり、待っているのは、「○○出のくせに使えない」といった呪いの言葉です。

それでもやっていくには、高学歴発達障害者の生き方

それでも、あえて高学歴という名の呪いを背負い、発達障害者でありながら普通以上の人生を送りたいと望むのであれば、待っているのは闘いの日々です。必要なのは、いかに健常者をエミュレートするか、自分の欠点を抑え、特性を見つけてバリューを得るかです。私も一度は地獄を見ましたが、そこから這い上がることができました。自分にもできたので、あなたにもできるということは言えませんが、高学歴、という呪いを身に着けた以上、やるしかないです。

まずは生活環境を整え、自分の欠点を把握しましょう。借金玉さんの発達障害者サバイバルガイドは、これから私たちがやっていくうえで不可欠なtipsを紹介してくれる貴重な書物です。活用しない手はないので、もしこれから高学歴発達障害者として茨に満ちた道をいくのであれば、この本を活用しましょう。

生き残るのはつらいことですが、歯を食いしばってやっていきましょう。

最後に、それでも希望はある。

高学歴発達障害者の人生はつらいです。そこには優しい人よりもあなたのことを呪い、攻撃する人のほうが多いかもしれません。「高学歴」でいるということは、そこにたどり着けなかった多くの人々の呪いを背負うということでもあります。あなたは発達障害者という身でありながら、その呪いまで背負わなくてはなりません。

それでも希望はあります。発達障害者はパターン化が強いです。往々にして一度失敗したことは次からうまくやれることが多いです。血だらけになりながら進んでいけば、気づけば発達している自分に気づくはずです。生き残りましょう。このテキストを高学歴発達障害者の人たち、金看板に呪われた者たちに捧げます。

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