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※閲覧注意※仏教界のタブーに切り込みます。「お寺の真実」

今日はこれからすごいことを言います。

心臓の弱い方は、この時点でお引き取りになって頂くほうがよいかと思います。

ブラウザバックでお戻りください。


いいですか?

忠告はしましたよ。


これから巨大な利権団体にとっての「不都合な真実」を暴くことになります。

場合によっては炎上もありうるでしょう。


いや、炎上ならまだいい。

ぼくは、「最悪のケース」すら、想定しています。

それくらいの覚悟です。



いいですか?


いきます。





お釈迦様、ラッパーだった説



を、提唱します。

まだ仮説の段階ですが、はい、ほぼ間違いないかと。


お釈迦様といえば、ほらあの、仏像になっている、あのお方ですよね。

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この方、ほぼ間違いなく、


ラッパーだった


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と言っていいかと思います。


ついに斬り込みました。

お釈迦様が生まれてから2500年、誰も口にしなかったタブーです。


現代日本における「仏教」とは「巨大な権威」です。

その勢力はハンパやないんです。


日本に「お寺」がいくつあるか、ご存知でしょうか?


約77000軒です



ちなみに、日本全国のコンビ二の数が、56948件(2021年1月)なので、


コンビニよりも2万軒以上多い


ことになります。

これがこの国における「お寺」の権力の大きさを表しているのです。

セブンイレブンとローソンとファミマとミニストップとデイリーヤマザキとポプラとセイコーマートと全日食チェーンを全部足しても、まったく敵わない。

日本を牛耳る異次元な勢力。

それが「お寺」です。

その恐ろしさを、感じていただけているでしょうか?


かつて織田信長も焼き討ちするほど警戒していた仏教勢力ですが、その力は現代でもまだまだ健在だと言ってよいでしょう。


そこでは、お釈迦様は「開祖」という扱いを受けています。

つまり「すべての始まり」であり、権威を権威たらしめる強力な後ろ盾となっています。

そうであるから、巨大な大仏などのモニュメントを作り、権力の増強に勤しんできたわけですよね。


「お釈迦様は、偉大な宗教家である」

そのようなイメージを、仏教業界はもう1000年以上にわたり、広告しつづけてきました。


なぜかといえば、

「お釈迦様は偉大な人だ」=「お寺も偉大だ」

という公式が成立しているからです。


しかし、ぼくはそれを真っ向から否定しようとしています。

これはとても無謀な挑戦に見えるかもしれません。

まるでゾウに立ち向かう1匹のアリです。

けれど、ぼくは確信しています。


彼は宗教家ではなかった


と。


お釈迦様は「開祖」でもなければ、「宗教家」でもないし、「お坊さん」でもありませんでした


彼は、ラッパーだった。


そう断言します。


その証拠はいくつかあります。

こんど丁寧に説明したいと思いますけど、ざっとこの場で箇条書きにしてみると。

・「神」の存在を否定していた(=宗教家ではない)
・「ロン毛」だった(=スキンヘッドでもない)
・彼がしゃべり出すと、人だかりができた(=ラップしてた?)
・弟子がたくさんいた(=ヘッズ?)
・45年間、北インドを回っていた(=ツアーしてた?)

などが挙げられます。

細かい点は、他にもいくつもあげられますが、今日のところはこのくらいでご勘弁を。


ここに、新たな公式が生まれます。


「お釈迦様はラッパーだった」=「お寺はクラブである」


そうなんです。

まさかの「お寺=クラブ」という認識になります。


そうなると、日本には現在


77000軒のクラブがある


と言って、差し支えないでしょう。

しかもそのすべてが、風営法の認可のないまま営業しており、かつ宗教法人として登録しているため無税なのです。

これは脱税であり、脱法行為なのではないでしょうか?




なんたるヒップホップ



不良です。

「仏教勢力」は、筋金入りのド不良です。



こうなると、これまで「寺だ」と思って見ていた色々なものの意味が、たちまち変貌してゆきます。


「仏前」=「フロア」

「仏壇」=「DJブース」

「お葬式」=「パーティ」

「檀家さん」=「イベサー」

「木魚」=「四つ打ちビート」

「数珠」=「おしゃれ」

「剃髪」=「おしゃれ」

「袈裟」=「おしゃれ」


と、なります。

なんということでしょう。

これが、「お寺」の真実の姿なのです。


次回は、カリスマラッパー「SHAKA」の生涯に焦点を当てていこうと思います。


さてさて、どうなることやら。


つづくぅ!!




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