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鬱の猫嫁

 妻が死んだ。
 自殺だった。まさか彼女が自殺で死ぬとは思っていなかったので、ぼくは暫く茫然自失となっていた。
 彼女が自殺など思いつきもしないような、エネルギッシュな人間だったという訳ではない。寧ろその逆で、十代の頃から自殺未遂を繰り返し、精神科に入院していたこともある。ぼくと結婚してからも、何度か医者から処方される薬を溜め込み飲んでしまい、病院に担ぎ込んだりもした。
 端的に云えば、彼女は駄目人間だった。
 ぐうたらで、家事も碌にしない——まるで猫を飼っているようなものだった。

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 結婚当初は彼女もなんとか頑張っていた。それも、仕事をしながら。立ち仕事なので相当草臥れていただろうが、ぼくは自分のことで精一杯で、彼女のことをあまり考えていなかったのかも知れない。彼女が何処の誰だかも判らぬひとと接して、愛想笑いを浮かべているのがどれほどの負担になっているのかなんて考えもしなかった。
 そんなことは社会人ならば誰でもやっている。
 互いの給料から五万づつ共同の口座に貯金していこう、と提案したのはぼくだった。ぼくの給与明細は会社のデスクに入れっぱなしだったので、彼女は自分の亭主が給料を幾ら貰っているのか、ボーナスがいつ出たのか出なかったのか、まったく知らなかった。彼女の給料は十六万程度である。
 家賃光熱費はぼくが出していたが、生活費は彼女が半分以上負担していた。というのも、生活の中での消耗品(トイレットペーパーやちり紙、洗剤、彼女の生理用品などなど)がなくなりかけていることに気づくのは、いつも彼女だったからだ。そのことをぼくは、彼女が癇癪を起こして喚き散らすまで気がつかなかった。
 彼女はスーパーマーケットの中にある個人商店、所謂テナントの服屋で働いていた。社長とその奥さんを除けば、彼女が一番の年長者だったが、働きはじめて三ヶ月後に「寿退社」した女性以外は皆、彼女に好意的だったようだ。彼女の見た目がかなり若く見えたからかも知れない。
 服屋というのは、譬え個人商店と雖もそこの服を着なければならず、彼ら店員は客寄せの「マネキン」なのだから、常に新しい服を身に着けていなければならない。他所で買った服を着て、客に「あなたが着てる服、いいわねえ。まだあるかしら」と訊ねられ、「実はこれ、此処では扱っていないんですよ」などとは、間違っても云ってはならないのだ。客に全部売り捌いたなら兎も角、「いいわね」と云われているものは自分が社販で買って着ているのである。それも店の指導により、だ。
 時には「店員さんはいいものを一番に買えていいわねえ」と厭味に近いことを云って店を出てゆく客もあったという。
 彼女は苛々したり、心に鬱屈が溜まると、ものを買いまくる性癖があった。そういうひとが世の中に結構多いということは知っていたが、「ばっかじゃねえの」とぼくは思っていた。何年かを経て、異常な浪費というのも神経症や人格障碍の典型的な症例だということを知った。
 それまで乱費を繰り返す(と謂っても、シャネルやエルメスを買い漁ったりなんかしなかったのだけれど)のは、自制心の歯止めが利かないだらしのない性格だと思い込んでいた。
 相手のことをきちんと把握しないまま、なし崩しに入籍した。彼女の実家に近い方が心丈夫だろうと思い、「おんぼろ長屋」としか表現しようのない、その割には家賃が六万以上もする処に移り住んだ。ぼくの親は田舎堅気の旧弊な人間なので、親戚の手前もあるから結婚式くらいはしてくれとしつこかった。
 彼女の親はやたらとあっさりしたもので、「本人たちの好きなようにすればいいんじゃないですか」と云っていた。それはそれで娘に対する態度が投げ遣りというか、意地悪な見方をすれば「こんな厄介者、さっさと家から出て行って慾しい」といった態度に見えた。
 実際、妻の父親は彼女に一言も声を掛けず、目すら合わせなかった。それに対してひとり暮らしだったぼくは、親からの「結婚式をちゃんと挙げろ」という電話を徹底的に無視することで、結婚式の件に関してはうやむやになった。
 ぼくとしては、あんな見世物のようなくだらないことなどやりたくないという、今から思えば子供っぽい拘りからだったのだが、彼女としてはもっと切実な理由があったようだ。
 彼女は中学校しか出ていない。しかも、ひとづき合いが下手な為に友達が殆ど、と謂うか、まったく居なかった。披露宴などしようものなら、両家の招待客のバランスが取れなくて、頭を悩まされる羽目になっただろう。
 ぼくは大学も出て、サークル活動で知り合った仲間と定期的に飲み会を開いたりして、少なくとも彼女よりは交友範囲が広い。しかしその時は、彼女の事情までは考えなかった。ただただ、しょっちゅう留守電のメッセージに入っている父親の「結婚式」に関する追求にうんざりしていたのだ。

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 彼女がかなり情緒不安定であることは判っていた。ぼくと出会う一ヶ月ほど前まで病院の精神科に入院していたことも、逢って話したその日に彼女の口から、なんでもないことのように聞かされていた。
 初対面の人間にそんなことを話すなんて変といえばもの凄く変なのだが、その時は特になんとも思わなかった。自分が考える薬物中毒者やノイローゼの奴らとは雰囲気がまったく違ったし、立ち話程度ではあったが、ぼくは彼女のことがなんとなく気になっていたのだ。慥かに、その後数回会ってみると、あの立ち話の時は若干テンションが高かったのだと理解した。
 彼女は「外出する為に抗鬱剤とお酒を飲んできたの」と、あっけらかんとぼくの疑問に答えた。ぼくの当時の心持ちは、ただでさえ平穏に過ぎて行きそうな人生の中で、自分の好み(或いは選択するもの)に関しては平凡ではないものを選びたい、というものだった——それが青臭い理想主義に過ぎないことは自分でも判っていたと思う。
 ぼくは意見を異にする奴とはつき合わない。こんな偉そうなことを「主義主張」に掲げておきながら、彼女を親に紹介したのはつき合って八ヶ月も過ぎた頃だった。
 彼女の持病のことはおくびにも出さなかった。旧弊な両親が何か云ったら、間違いなく喧嘩になったであろうし、「こんな出来損ないしかおまえは見つけられんのか」などと彼女を罵倒されるのはまっぴらごめんだった。
 ぼくはひととは価値観が違うのだ。そこらに居る奴らとは知能程度も学識も違う。選ぶ女だって普通の奴ではありえない。しかし、「学識」がある割には悟るのが遅かった。自分がどれほど傲慢で不遜で世間知らずであったかということを。
 彼女は情緒不安定で、ヒステリーで、死ぬほど自己中心的で、自傷癖があり、パニック障碍の気もあった。気分が低迷すると何も出来なくなり、ほとんど一日中寝ている。そうなると、碌に便所にも行かない。煙草の本数も減る(寝ているから)。
 自分でも何故、彼女に惹かれたのかよく判らない。社会と殆ど拘わらずに生活してきた上、(自称)男嫌いだというから、ぼくの潔癖な性格に引っ掛かったのかも知れない。男と遊び慣れている女なんて、喩え絶世の美女でも大金持ちの娘でも、嫌悪感を抱いてしまうぼくだ。
 はじめは今時珍しい「古風な女」だと思っていたが、それは単にひと見知りが激しくて、彼女の家庭が若干世間とは違った生活方針だっただけのことである。
 焼肉屋に連れて行っても、焼き鳥屋に連れて行っても、下町のお好み焼き屋に連れて行っても、「こんなの食べたことない」「こんな処に入ったことない」と珍しがるのだ。誰でも優越感を覚え、可愛い娘だと思うだろう。
 彼女はずっと男物のシャツにジーパン、といった恰好しかしなかったらしいのだが、ぼくに会う時の為にわざわざワンピースを買ったり、女物のシャツを買ったりして、それなりに頑張っていたようだ。しかも、彼女は性格が捻じ曲がっている割には優しい心持ちがあって、やたらとぼくにプレゼントをくれたり、探しているものを必死になって見つけてくれたりした。
 それを、彼女のぼくに対する愛情だと勘違いした。
 彼女は「ボランティア精神」がやたらとある人間だったのだ——ぼくはボランティアなんぞやるような奴は「偽善者」だと決め込んでいた。今でもそう思っている。
 彼女は臨時収入があると、ぼくに必ず何かを買ってくれた。そういう余剰な金が手に入った時、ぼくは自分がそれまで慾しくても買えなかったものに充てる。誰かに何かを買おうなどと、思ったことは一度もない。平たく云えば、利己的な人間だったのだ。
 それから数年経ち、あまりにも底辺に値する住まいに膿み疲れた彼女は、新しい住処を探そうと提案した。物臭さなぼくは気持ちとしては同じであったのに、何も行動に移さなかった。低脳な彼女がぼくがやらないことをするとは思えなかったが、彼女は不動産屋へ行ったりして、具体的な行動をしていた。
 何故かそれが忌々しくて、転居に積極的ではなかったのに、インターネットを駆使して、縁もゆかりもない土地のまだ建ってもいない物件を契約した。彼女の意向など、そこにはまったく反映されていない。どうしてそんなことを、無知の輩に聞く必要があるのだ。
 金を払うのはぼくなのだ。それ以外の意見は聞くに値しない。そもそも、口を出すこと自体が間違っている。
 おんぼろ長屋から遠く離れた場所へ引っ越して、彼女は病気(?)が悪化し、外界に接することもままならないようであった。当然、働けないが、月に二万八千円の小遣いを渡しているので、それ以上何かくれてやる必要はないと思ってしまう。「思ってしまう」などと表現したが、別に反省している訳ではない。当然のことだと思っていた。労働に見合った報酬として賃金が手に入るのが社会の仕組みで、彼女の場合はその「労働」をしていないのだから、やらずぼったくりと云ってもいいと思っていた。
 ただひとつの救いは、彼女がギャンブルにまったく興味を示さなかったことである。ぼくはその数年前まで、中毒患者のようにパチンコ屋へ通っていた。

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 結婚して十年経った。二回引越しをして、とうとう「夢のマイホーム」を手に入れた。ど田舎だが、ぼくはそういう処が好きなのだ。ふたりで最初に住んだのは、どう贔屓目に見ても老朽化した長屋だった。
 入籍した日にホームセンターへ(今となって考えてみるとなんの用があったのかさっぱり覚えていないのだが)親に買わせた中古の軽自動車を走らせ、何故か建物の裏の目立たないところにあるペットショップで十姉妹を買った。
 彼女は「セキセイインコより上品だね」と、セキセイインコが隣の籠に居るにも拘らず、嬉しそうに云った。セキセイインコに言葉が通じないことを祈った。
 十姉妹の名前は「ジョニー」となった。彼女がつけたのだ。由来を聞いたら『人間の証明』に出て来るひと、と云うだけで要領を得なかった。少なくとも、「ジョニー・デップ」や「ジョニー大蔵」から引用した訳ではないようだ。そもそも彼女は男性芸能人に殆ど関心がない。
 限りなく同性愛嗜好に近い処に居るヘテロセクシャルなのである。
 傾いた長屋に新居を構えて八ヶ月も経たないうちに、彼女はヒステリーの発作を起こし、ジョニーとぼくを置いて実家へ帰ってしまった。そして、半年戻ってこなかった。何がいけなかったのだろうとは、一瞬も考えなかった。彼女が『変』だからに決まっている。ジョニーもその小さい脳味噌でそう考えた筈だ。
 半年と少し経って、彼女は少しも悪びれた様子もなく、荷物とスーパー袋と水の入ったビニール袋を手にして帰ってきた。スーパー袋の中には、昔風の金魚鉢が這入っていた。卓袱台の上に古くさいデザインのガラス鉢を据えて、ビニール袋の中身をあけた。
 透明な水とともに、小さなオレンジ色の和金が躍り出た。アロワナなどの大型魚の餌用に売っているやつだ。彼女は少し誇らしげにちいさな胸を膨らませた。
「五十円だったんだよ、名前は鈴木さん」
 他人の目を気にするぼくには到底出来ないようなことを、彼女はいとも易々とやってのける。ぼくはマクドナルドでポテトのSだけ買うことは、とてもじゃないが出来ない。それと同じように、餌用の五十円の和金を一匹だけ買うことも、到底出来ない。
 家出していたことを責める気力が萎えてしまった。
 つき合っている頃から、奇矯な行為に屡々面喰らったこともあったが、「そういう女とつき合っている自分」は周囲の凡庸なぼんくらどもとは違うのだ、と思うことでその厄介さに蓋をしていたような気がする。若かったし、馬鹿だったのだ。
 人間は、珍奇な植物や絶滅寸前の動物をこっそり楽しむのとは違うことに気づかなかった。何故、彼女がそういった精神状態に陥るのか。何故、自分を責め立てるのか、疵つけるのか、演技をするのか、悲しい振りをするのか、嬉しい振りをするのか、楽しそうにしたり喜んでいるように見せかけていたのか——何故ぼくを選んだのか。
 そうしたことを少しでも考えるべきだったのだ。ぼくはあまりにも自己中心的で、相手の気持ちをてんで考えず、自分を顧みることすらしなかった。彼女がぼくのことをどう思っていたのかは、もう知ることが出来ない。こまめに日記をつけていたようだったが、探しても見つからなかった。
 何も判らないまま、理解しようとしないまま、ぼくは彼女を永遠に失ってしまったのだ。

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