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一般社団法人 大地が教えてくれたこと 理事 "村上貴仁"さん

淡路島で農業を中心とした新しいコミュニティのカタチをチャレンジ。従来の農業への疑問、息子の突然の死、ありがとう農法との出会いを通じ、一人一人があるがままの自分、今ココの幸せを感じ、自分も自然も地球も喜ぶ世界を日本から作っていく!と笑声のたえないワクワク夫婦で農業革命を実践されている「村上貴仁さん」にお話を伺いました。

≪村上貴仁 さんのプロフィール≫
出身地:北海道
活動地域:淡路島
経歴:スポーツクラブ勤務を経て、洞爺で農業を始める。大量生産、大量消費に疑問を抱くさなか、息子を突然亡くすきっかけに、命と向き合う。
一般社団法人「大地が教えてくれたこと」設立。「ありがとう農法」の教授、講演活動を始め、2017年に淡路島に移住し、2018年会員制農業コミュニティ「豊穣ランド」を立ち上げる。
現在の職業および活動:農家、講師
座右の銘:「何をするかより 誰とするか」

「農業でどうしたら幸せになれるのか」

Q:どのような夢やビジョンをもっていますか?

村上さん(以下、村上)
 私はもともと北海道の洞爺村で「佐々木ファーム」という農場の経営に十九年ほど携わりながら、農業でどうしたら幸せになれるのか、農業でどうしたら豊かになれるのかを模索してきました。そして、去年の5月にこの「豊穣ランド」を立ち上げて、まったく違ったスタイルの農業に挑戦し始めたところです。ここでは、一ヘクタールくらいの畑を会員さんの会費で運営しています。皆さんに最初にいただいたお金で資材を購入し、農作物を生産して、月一回の解放デーに会員さんに収穫していただいているんです。

海外では既にこうしたコミュニティベースの農業がありますが、日本ではまだ珍しい形です。農業というのは、単価がとても低いので、たくさん売らなければ十分な利益を得られませんし、そのためには広い面積が必要になります。薄利多売の世界ですし、市場相場にも左右されてしまいます。そこから脱しようとして企業との契約栽培にしてみたんですけど、頑張れば頑張るほど経費が膨らんでしまう。そこでこの豊穣ランドでは、契約していただいた会員のみなさんに自分で収穫して自分で持って帰ってくださいというスタイルにしたんです。こちらは人件費も資材費も運送費もゼロですし、会員さんは自然の中での束の間の農業体験を満喫できます。
この仕組みを全国の農家さんに提供して、一軒でも多くの方々に農業で幸せになっていただきたいというのが私の願いなんです。

Q:その夢に向けてどんな目標や計画を立てていますか?

村上 現在この敷地で会員さん100名に登録頂いています。この規模だと300名くらいまでふやしたいと思います。そうなるともっといろいろなことができる可能性が増えてきます。フィリピンでも「ありがとう農法」をお伝えするプロジェクトも始まっています。

自分が出来ないことは、誰かのできることに繋がり、それも人に喜ばれる。

Q:夢の実現に向けて、どんな基本活動に取り組んでいますか?

村上 こうしたコミュニティベースの農業の在り方で重要になってくるのは、単に食料を売る側、買う側という概念ではなく、共に場を創造する感覚です。会員さんそれぞれがこのコミュニティでは、自分の持ち味を発揮する場所にしていただきたいと思っています。コミュニティの中で一人一人の持ち味をいかしたサークル活動が自然発生的に生み出されてきています。自分のやりたいことをやることで、人に喜ばれる。自分が出来ないことは、誰かのできることに繋がり、それも人に喜ばれる。このコミュニティにいることで、自分がそのままですばらしい存在であること、今ココ幸せそのものなんだということが実感できるコミュニティを目指しています。やはり、「楽しい」がないといろいろな活動は続きません。
 また、これからの時代は今までの考え方を超えた、新たな在り方が大切だと感じています。私たちが理想とするコミュニティを維持進化していくための生きる事を学びの場として「大地の学校」「叡智の学校」を、そして、食べる事を学ぶ「ありがとう農学校」、豊穣を共に喜ぶ「豊穣ランド」をそれぞれ運営し、いろいろなニーズに寄り添う場を作っています。

「”ありがとう”という言葉の持つ不思議な力」

Q:「ありがとう農法」にであったきっかけを教えていただけますか?

村上 
14年前に、当時4歳の息子が亡くなったのがきっかけですね。奥さんの実家が農家で、私は職業として農家を選んで入りました。農家のルールが自分の感覚とギャップがありました。大量生産、大量消費して、大量廃棄になることにショックを受けて。一生懸命働いてるのに、食物は土に変えることなく、お金を払って焼却処分されるという現実。日本の胃袋支えようと思っているのに、お金かけて廃棄されるのがショックで。それでうつになって5年いったりきたりしていました。自分の仕事が誰にも喜ばれてない、必要とされてないとおもっていた矢先に、息子が亡くなったんです。もう、廃人みたいになって。1カ月半、ただひたすら泣いて泣いて。過呼吸になって脱水状態になって。生きてるのか死んでるかわからない状態になった時に、ふと我に返ったんです。

今まで自分は命をどうとらえていたのか?自分はこれまで、野菜を育てるために、虫や雑草、菌、カビ、微生物を大量に殺して何も思わなかった。けれども息子というたった一人の命を失ってここまで打ちのめされている矛盾、自分勝手さ。何かがおかしい、何かが間違っているということに気づきました。

そのときに支えになったのが知人から送っていただいた心学研究科の小林正観さんの本でした。その本には「ありがとう」という言葉の持つ不思議な力について書かれていました。「ありがとう」を二万五千回言うと願いが叶う。五万回で奇跡が起こる。そして年齢の一万倍の回数を繰り返すと家族を救えるというのです。それならすぐやろうということで、当時の私は36歳でしたから、36万回を目標にカウンターで数えながら夢中で言い続けました。そしたらいろんな変化が起き始めたんです。

あるとき、はっと気づいたのは、農作業に使うトラクターにトラブルがなくなったんです。自分の体も元気になってきて、家族皆が風邪を引いているのに、自分だけ引いていないこともありました。だんだん身の回りのあらゆるものに対して感謝の気持ちが湧きあがってきたんです。そしてとうとう36万回に達して、家族を救えたと思って大喜びで家に帰ったんですよ。そしたら、待っていたのは何も変わらない日常だったんです。あれ?と思っていたら不意に後ろから息子の声が聞こえたような気がしたんです。「お父ちゃんは、奇跡を起こしたんだよ」って。

その一言で気づいたんです。朝、「おはよう」って起きて、ご飯を食べて、「行ってきます」と出かけて、「ただいま」って帰ってくる。こうした毎日普通に生きていられることは決して当たり前じゃない。奇跡なんだということを、私は息子に教えられたんです。

そして、もう一つの奇跡は、「ありがとう」を繰り返すうちに何に対して「ありがとう」を言っているのかわからなくて、足元の一本の草、目の前を飛んでいる虫、目に見えない微生物、自分の身の回りのすべての命に「ありがとう」を言わずにはいられなくなってきたんです。あれから十四年経ちましたがいまだにその気持ちは変わりません。

うつ病で過ごした5年間はどん底だと思っていましたが、息子を亡くしたときに、どん底にはさらに底があることがわかりました。でも私以上につらかったのは妻だったと思います。うつの私のケア、私と彼女の両親との仲介、農場の経営不振、息子の死。精神的な苦痛が大きすぎて一時は病に伏せていたこともありました。

あるとき2人で話しました。こんな自分たちを大地がみて喜ぶだろうか?って。この先初めて出会う方に「あなたたちはいつも楽しそうで、何も悩みがなさそうだね」っていわれるようになったら俺たちは本物だ。そういわれるまで、そういうふうに装ってみようって。

自分が幸せと認識したら幸せだし、不幸と認識したら不幸。

Q:どんな認識の変化が今の事業につながっていますか?

村上 それまでずっと「農」のことを考え続けていましたけど、「ありがとう」を言い続けて教えてもらったことは、すべて「脳」のことでした。つまり、自分が幸せと認識したら幸せだし、不幸と認識したら不幸。全て決めているのは自分の「脳」だったんですね。

以前の私は、膨大な欲しいものリストを抱えていました。けれども息子の大地がなくなってから、自分はもうすべて持っていたことに気づかされました。住む家もある、着る服もある、残された家族もいる、おいおいと泣ける肉体もある。先ほど、すべてを決めているのは脳だという御話をしましたけど、運がいいと自分が認識すれば運がいいんですよ。自分はもうすべて持っている。この感覚を多くの方にと共有していきたいと思います。

Q:最後に、今取り組んでいる中、苦しいこと、辛いことはありますか?

村上 もうねえ、辛い苦しいは全部やってきたので、この3次元で遊ぶことしか考えてません!(笑)本気で遊んでます!人間の可能性しかないということ。今ココしかないので、全力で振り切る!だけですね。

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一般社団法人大地が教えてくれたこと
URL:http://daichi-guide.com/

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【編集後記】
いつも笑顔と明るさの絶えないお二人の人間力に感銘を受けました。今までの農業のあり方から、これからの農業のあり方へのチャレンジ。大地君が亡くなり、その大地君から受け取った真実の世界。その価値を活用し共有すために北海道から国生みの淡路島への移住。「作る」ことを学び、「生き方」を学び、「豊穣」を学ぶ、を通じて人が繋がり、日本から世界に伝番されていく。一人一人が創造性を発揮できるコミュニティが全国に広がっていくことを応援しています!

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この記事はリライズ・ニュースマガジン”美しい時代を創る人達”にも掲載されています。
https://note.mu/19960301/m/m891c62a08b36


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