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【短編小説】町はずれの洋館に棲む妖しい美女の正体は

 町はずれの丘の上に建つ古びた洋館には、ひとり美しい女性が住んでいた。名前すら知られることのない彼女の存在は、しだいに町の人々の間で噂になっていった。

 酒場で夜な夜な咳きこみながら騒ぐ年寄りは、彼女を魔女と評した。「あんな化け物がこの町に棲むなんて、これから災いが起きるに違いない」と危ぶむのだった。年寄りの言葉に同意する者もいれば、「ばかを言うな」と一蹴する者もいた。

 一方、町の若者たちは彼女を「天使」と呼んでいた。
「神々しい美しさだ。きっと天界から私たちの町に遣わされた恵みの使者にちがいない」
 若者たちが口々にそんな風に囁くのを耳にして、大人たちは冷ややかな眼差しを向けた。

 町の主婦たちも無関心ではいられなかった。週に一度の市での買い物帰りに、いつも夕暮れ時の洋館を見上げては こぼし言うのだった。
「可哀想な女ねえ。一人きりで過ごしているんでしょう。気の毒に」
 そう言いつつ、彼女の正体など分からぬまま、憐憫の情を抱いていた。

 唯一、彼女の正体を知る者がいた。それは老地主の一人息子だった。家族に内緒で、彼は毎晩のように洋館の周りをうろついていた。「あれは吸血鬼だ。夜な夜な人間の血を吸って生きている。だからあんなに美しいんだ」。誰かに打ち明けることもできず、ひそかに恐怖と憧れの入り交じった想いを抱いていた。

 やがて、森の果てのほうから、芸人一座が町にやってきた。ある晩、座長が町の人に洋館の噂を聞いた。

「面白い話だ。とりあえず一目見てみますかね」

 翌朝、座長は芸人たちにこう持ちかけた。

「さあ、みんな。あの洋館に行って、そこに住む者がいるのであれば、その姿を見てくるんだ。でも忘れるな。皆さん見る角度が違えば、見えるものも違ってくる。到底、同じものは見られん。考えが肝心なのだ」

 芸人たちは丘の途中から散り散りに洋館に向かった。

 先陣を切ったのは、世にも馬鹿な年寄りの男だった。彼はビール腹をぷんぷん振りながら洋館に近づき、庭の柵越しに中を覗きこむと、すぐさま奇声を上げた。
「うわあああ、化け物だ! 尻から煙を吐いている!」
 わけもわからず逃げ帰ろうとするが、途中で踵を折ってしまい、悲鳴を上げながら転げおちた。

 次に別の芸人が到着した。役者を夢見る青年だった。彼は庭から美しい薔薇の匂いがすると思ったので、深く息を吸ったが、途端に咳き込んでしまい、顔を真っ赤にしてしまった。
「おっと、こりゃ隠れ花粉症のバッハだ。ヒロインは花々に怯えている乙女なのかもしれないぞ?」

 そして、もうひとり芸人がやってきた。彼は町の若者同様、洋館から漂う妖しい雰囲気に酔いしれ、そこに住む者を「天使」と呼んだ。

「まさに私の夢みる乙女だ。一目見られるだけでも幸せに違いない」

 そんな具合に芸人たちは、まったく別のものを「見た」つもりになっていた。多感な少年、役者気取りの男、娼婦に夢中の讒者。彼らなりの価値観と願望が、まったく違った姿を目に映していた。

 そうこうするうちに、もうひとり芸人がやってきた。大柄な男で、「怪力男」と呼ばれていた。彼は庭の柵を乗り越え、わざと大きな足音を立ててアプローチした。

「どうした、わしが怖いのか!」

 するとそこに、純白のドレスを身にまとった美しい女性の姿があった。だが、その美しさに怪力男は怯えるどころか、むしろ挑戦的な眼差しを向けた。

「男にかなう女などいるものか!」

 言うがままに、怪力男は女性に向かって手刀を叩きつけた。しかし、あっけなく払いのけられてしまう。一同驚きの声を上げた。

「な、なんて動きだ!?」
「柔よく剛を制す! まさに達人の技だ!」

 怪力男も思わず感心してしまったが、そのうちまた力任せに女性を攻撃し始めた。しかし、いくら力技を振るっても、女性の優雅な動きにすべていなされてしまった。

 やがて怪力男は力尽きてフラフラとなり、へたり込んでしまった。女性は優しく微笑み、彼の額に手を添えてくれた。すると、怪力男は安らかな眠りについたかのように、穏やかな表情を浮かべた。

 それを見た芸人たちはしばし沈黙を守った後、拍手喝采を送った。彼らはようやく、この女性の正体がふと気づいたのだ。

「なるほど、あの噂の美女が実在したのか。しかし、そのたおやかで気品溢れる姿から、一同ここまで視点が違っていたとは……」

 そう言いつつ、彼らは今までの自分の愚かさを恥じた。ただ一つの存在を、それぞれが全く異なる焦点で捉えていただけだったのだ。

 すると、老地主の息子がやってきた。彼は森の奥からずっとこの光景を見つめており、ようやく勇気を出して姿を現したのだった。

「あなた、本当に吸血鬼なのですか?」

 芸人たちは固唾を呑んだ。だが、美女は微笑して首を横に振った。

「私は人間よ。ただし、永遠の若さを手にしている点は吸血鬼と同じかもしれないわね」

 老地主の息子は疑わしげな表情を浮かべたが、美女はこう続けた。

「私は人それぞれの願望を映し出す鏡なの。人は自分の心に映るものしか見ることができない。だから同じものでも、皆さん違う姿に見えたのよ」

 芸人たちはしばし黙り込んだ。やがてリーダーの座長が口を開いた。

「人生とは、まさにこのようなものなのでしょう。僕ら一人一人が違う経験と価値観を持っているから、同じ対象を見ても、見え方がまったく異なるのです」

 美女は頷いて微笑んだ。そして優雅に口を開いた。

「私が永遠の若さを手にした理由、詳しくお話しましょう。それは長い年月を経て得た、人生の教訓なのですわ」

 美女はしばし視線を遠くに移し、時の流れを感じているかのようだった。やがてまた話し始める。

「若き日の私は、つらく悲しい経験をしました。最愛の人を冷酷な運命に奪われてしまったのです。嘆き悲しむ私に、ひとりの老婆が声をかけてくれました」

"あんたの涙は宝石より輝いとる。でも、その涙を流すだけじゃあ、何も変わらんのよ"

「それまで私は、この世界の不条理と冷たさを恨み、憎しみにとらわれていました。しかし老婆の言葉に心を動かされ、気づいたのです」

"この世には善も悪もあるのよ。それでも、愛さえあれば乗り越えられる。世界をこの眼で見てみなさい"

「その時、老婆は私の目から薄い膜を取り除きました。するとそこには、今までとまったく違う光景が広がっていたのです」

 美女は感極まった様子で続けた。

「善悪は常に隣り合わせにあり、醜さの中に美しさが宿っている。そしてすべてを貫く愛の姿を、私は目にしたのですわ。財産や名誉、若さや寿命。それらはただの虚飾にすぎず、人の本当の価値はその心の在り方なのだと悟ったのです」

 美女はひとり夢心地になりながらも、しっかりと言葉を続けた。

「老婆にそう教えられてから、私は心の目を開き、この世界を新しい視点で見る旅に出ました。辛く醜い出来事も、それがすべて愛に満ちた偉大なる摂理の一部であると気づけば、笑って乗り越えられるのですわ」

「離れ離れになった家族、夭折した幼い命、不幸と災いの連続。すべては試練であり、気づかされるための道しるべだったのです。そうした過程を経て、やがて私は永遠の若さを手に入れることができました」

 美女はまた視線を遠くに注ぎ、柔らかく微笑んだ。

「永遠の若さとは、つまり善なる心の若さなのです。年老いても、心が若々しく愛に満ちていれば、外見はそれほど問題ありません。むしろ人生の曲がり角ごとに、心が磨かれ、より愛に満たされていくのですわ」

「そして、そうした愛に満ちた心を持つ者は、この世界のあらゆる出来事を穏やかに受け止められるのです。悲しみに打ちひしがれず、喜びに身を振り払わず。ひたすらその心の目でこの世界を見つめ続ける。これこそが永遠の若さなのですわ」

 美女はくるりと踵を返し、芸人たちを見渡した。そして最後にこう言った。

「皆さんも気づかれたことでしょう。この世界を映し出す鏡は、ただの鏡ではありません。人の心そのものが、この世界を映し出す鏡なのです」

「悲しみに暮れ、憎しみにとらわれれば、この世界は地獄の蓋を開けたようになります。しかし愛を忘れずにいれば、どんな辛い出来事も、愛の光に包まれた喜びの出来事に変わるのですわ」

 そう言い終える美女の顔から、天上の輝きが漲っているように見えた。芸人たちは黙り込んだ後、感極まって拍手を送った。この物語は皆に永遠の教訓を残すことになった。

 人生とは一体何なのか。皆さん、それぞれの答えを持っていることだろう。しかし、大切なのは多様性を認め合うことではないだろうか。

 美女の姿に投影された、人間の望みや恐れ、夢や愚かさ。それらはひとつひとつ皆が抱えている何かの映し身に過ぎない。その映し身に振り回されるのではなく、それらを受け入れることこそが、賢明な生き方なのかもしれない。

 人生は確かに近くで見れば悲劇に見えるかもしれない。しかし、少し距離を置いて見れば、ある意味での喜劇でもある。その醜さとユーモアを共に味わえることこそ、人生の面白さなのかもしれない。

(了)

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