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【鬼神】妖術・巫術・原始道教・天師道・五斗米道

※このnoteはYouTubeで視聴することも出来ます。




前回の動画では、九鬼神道は鬼神を崇拝し、須佐之男命を主神としていて、蘇民将来伝承にある六芒星は牛頭神バアルのことで、日本の神道はバアル信仰に起源をもつ、というお話をしました。

今回は鬼神や鬼道がどのようにして神道と繋がるのか、詳しく見ていきます。


[魏志]倭人伝の《女王の名は卑弥呼といい、鬼道に仕え、よく衆を惑わす》という文は有名ですが、“鬼道”に関する記述は倭人伝の他にも複数の伝記に残されています。


[魏志]張魯伝には《魯(ろ)、遂に漢中に拠り、鬼道を以て民を教え、自ら師君と号す》とあります。


[魏書]高句麗伝には《高句麗は宮殿をつくると両側に大きな建物を建てて鬼神を祭り、霊星と社稷を祭っている》とあります。
※ 社稷(しゃしょく)=神を祀る祭壇


[後漢書]韓伝には《毎年五月耕作が終わると鬼神を祭り、昼夜集まって酒盛りし、村人は群れ集まって歌舞する…蘇塗をつくり大木をたて、鈴や鼓をかけている。鬼道に仕えている》とあります。
※ 蘇塗(そと)=馬韓族が行う宗教行事


[晋書]馬韓伝には《馬韓の人は鬼神を信仰し、五月に耕して種蒔を終え、群れ集まって歌舞し神を祭りこれを天君といった。諸国は各々別邑をおき名づけて蘇塗といった。大木をたてて鈴や鼓をかけた。西域の浮屠と似ているが、行われることの善悪は異なるところがある》とあります。
※ 浮屠(ふと)=寺院


[魏書]弁辰伝には《鬼道を祭る仕方は辰韓と異なっているところがある。竈を戸の西側につくる》とあり、辰韓も鬼神を祭っていたことを間接的に述べています。


次に[三国志]韓伝には《人々は鬼神を信仰し、各国の都にはそれぞれ一人を立てて天神を祭らせる。名づけて天君という。諸伝には特別な地域として蘇塗があり、大木を立て、木に鈴や鼓をかけて鬼神に仕えている》とあります。

韓というのは辰韓・馬韓・弁韓の三韓のことで、辰韓のなかの斯盧国つまり新羅でも鬼神を信仰していたことになります。

[隋書]新羅伝には《新羅は毎年元旦に皆祝賀し、王は祝宴を催して群臣に物を分かち与える。その日は日神と月神とを礼拝する》と述べており、[三国志]と[隋書]を合わせると、、
新羅の祭祀者は天君といい、鬼神のことを天神として祭り、鬼神の中には日神と月神を含んでいたことがわかります。


[魏書]高句麗伝にも鬼神を祭っていたと記されていたので、高句麗の本家に当たる扶余でも鬼神を祭っていたことになりますが、

[三国志]扶余伝には《殷暦正月、天を祭り、国中おおいに会合を開き、連日飲食歌舞する。名づけて迎鼓という》と記されています。


次に、高句麗と同じく扶余から分かれたという伝承を持つ百済についてみていきます。

[隋書]百済伝には次のようにあります。
《毎年四仲の月に王は天と五帝の神を祭る、また始祖仇台の廟を国都にたて、年四回祭っている》とあります。
※ 四仲=仲春・仲夏・仲秋・仲冬のこと

[後漢書]濊伝には《濊人は毎年十月天を祭り、昼夜酒を飲んで歌舞する。これを舞天といい虎を神として祭る》とあります。


鬼道では日神月神を祭る祭天のほかに、五帝と始祖王も祭っていたことがわかります。


[三国史記]では高句麗の新大王が始祖廟を祭ったとあり、百済の温祚王は東明王廟をたてたと記し、新羅では南解次々雄が始祖廟を建てたあと、435年の新羅第19代国王の訥祇(とつぎ)の時代まで始祖廟を祭ったとあります。


487年には新羅第21代国王、炤知王が始祖赫居世(かくきょせい)の生まれた慶州に神宮を置いたとあります。そして580年には新羅第24代国王である真興王は神宮を祭ったとあります。

以上の書物から、中国史でいう鬼道の祭天、舞天のことを、朝鮮半島の書物では廟や神宮と表記したことが判ります。


[日本書紀]の中で「神道」という単語が初めて表れるのは用明天皇の条で《天皇は仏法を信けたまひ、神道をも尊びたまふ》とあるのが初見で、孝徳天皇の条には《仏法を尊び、神道を軽どりたまふ》とあります。


仏法つまり仏教に対する日本の信仰として神道が出てきます。

この時の[日本書紀]の皇統譜は欽明天皇から用明天皇と、継体天皇から宣化天皇の別々の二つの王統が並行していたものを縦に繋いで記された時代なので、西暦はあまり当てにならないのですが、、
用明天皇と孝徳天皇というのは百済に血縁関係を持つ人物です。


[隋書]百済伝では代々始祖廟などにおいて天と五帝を祀っていたとされる百済人ですが、[日本書紀]ではこの祀りを軽んじて仏教を信じ始めたとあります。


先程の[魏志]張魯伝には現在の山東省に位置した魯という国について、鬼道を以て民を教え、自ら師君と号すとありました。

原始道教の教祖のことを師君あるいは天師というので、鬼道は原始道教と同じものではないかと考えられています。


道教というのは、中国三大宗教の一つ言われ、中国漢民族の固有の宗教と言われていますが、残りの儒教・仏教を含め漢民族発祥のものは一つもありません。


鬼道は妖術や巫術(ふじゅつ)、原始道教以外にも天師道や五斗米道などとも呼ばれます。

五斗米道という宗教団体は、五斗の米を収める規定があったため、このように呼ばれていますが、五斗米道の一般信者のことを鬼卒と呼び、その他、鬼吏、姦令、祭酒、大祭酒 などの組織がありました。

巫術という言葉は[続日本紀]に登場します。
養老元年四月壬辰
《僧尼は仏道に依りて、神呪を持して溺るる徒を救ひ、湯薬を施して痼病を癒すこと令に聴す。方に今、僧尼輙(たやすく)病人の家に向ひ、詐て幻怪の情を禱(いの)り戻りて巫術を執り、逆に吉凶を占ひ、耄穉(もうぢ)を恐り脅やかして、稍(やや)く求むること有らむこと致す。道俗別無く、終ひに姧乱(かんらん)生ず。》
とあります。
※ 姧乱=よこしまで乱れることを指す古代の用語。

養老元年四月壬辰というのは西暦717年で記紀では元正天皇の時代です。



[史記]封禅書武帝の条には武帝は即位したばかりのときから鬼神の祭りを大切にしたと述べ、さらに、越人も鬼神を信じる風習があったと記されています。


鬼道に関する書物を見ていきましたが、鬼道、原始道教、妖術や巫術、そして神道など、これらは全てバアル信仰の派生であり、現在最もバアル信仰の原型を残しているのは神道であり、これが神道が世界の教義の元となっている理由です。

世界の宗教の本流である神道は度重なる歴史改竄によって、初めから日本固有の信仰であったかのように矮小化されてしまいます。

この改竄によって民族を統一するというメリットはありましたが、失った代償は非常に大きかったと言えます。




古代史には膨大な学説がありますので、今回の内容はそのうちの一つだと思っていただいて、ぜひ皆さんも調べてみて下さい。
下記の参考書籍もぜひ読んでみて下さい。
最後までご覧いただきありがとうございました😊

📖参考書籍📖
鹿島曻「神道理論大系」「日本神道の謎」「史記解」
金富軾/林英樹訳「三国史記」
申采浩著書/矢部敦子訳 「朝鮮上古史」
本田済編訳「中国古典文学大系漢書・後漢書・三国志列伝選」
一然著 金思燁訳「三国遺事 完訳」
東洋文庫「三国史記1新羅本紀」
石原道博著書「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」
家永三郎著書「日本書紀」
中村啓信著書「古事記 現代語訳付き」
黒板勝美著書「国史大系 日本後紀」
金思燁著書「三国遺事完訳」
吾郷清彦「九鬼神伝全書 中臣神道・熊野修験道」

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