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6時間の恋人【前編】

「おめでとうございますー 時間までお待ちくださいー」

全くおめでたくなさそうな声でお姉さんが言う。さっき渡したばかりの小さな紙が私の手に戻ってきた。そこにはアルファベットがひとつと、数字がみっつ並んでいる。白紙じゃない。

すうじがあるってことはあたったってことですか?

頭の整理が追いついていない。
アタリならこう、鐘を鳴らせとまでは言わないが、もうちょっとアタリっぽいおめでたい感じの声を出してくれればいいのに。なんてスタッフのお姉さんへの恨み言が浮かぶ。もちろんお姉さんは悪くない。私の頭の回転が遅いだけ。


混乱した頭のまま、並んできた道をフラフラと戻る。しつこい霧雨がまとわりついてくるのを避けて屋内に入った。4月なのに肌寒く、細かい雨が鬱陶しく降っている。

手すりを見つけてとりあえず寄りかかり、手にした紙片をもう一度みる。見間違いじゃない。アルファベットと数字がちゃんと書いてある。本当に当たったんだ、嘘みたいだ。

Zepp東京というライブハウスにきていた。好きなバンドの新譜発売記念、限定ライブがあるからだ。当日会場でCDを買ったら抽選に参加できる、というもの。

平日の午前10時から販売なので来られる人は限られる。でもとても人気があるバンドだ。無料で聴けるならと、たくさんの人が集まるに違いない。

当時私はまだ働いていて、抽選がある日は休みではなかった。でもライブが観たい。当たらなくちゃ観れないけど、抽選に行かなければ当たりもしない。もしこれに行けたら満足のいくライブ納めができるかもしれない。


その時妊娠5ヶ月。この後にライブがあったとしても、身体が厳しくなる。産後はそれどころではないだろう。これが最後のチャンスだと思った。外れたらそれまで。

元々クジ運は悪い。スーパーの福引きだって百貨店の抽選だって、当たったことなんて一度もない。いつもティッシュかアメ。ダメ元でいい、とにかく行きたかった。抽選に行かないで後悔するのは嫌だった。

悩んだ末に同僚たちにわけを話した。ライブ好きが数人いたので、出産前にライブ納めがしたいという気持ちを理解してもらえた。ありがたい。私は周囲の人にいつも恵まれている。

迎えた当日。身軽であれば始発でZeppに向かい、3時間でも4時間でも抽選に並ぶくらいのことは平気でやる。

しかしもう一人の身体ではない。雨混じりの肌寒い日に外で何時間も立ったままいるなんて、妊婦にはありえない危険行為である。

抽選のクジは定員になり次第配布終了。早く行かないとなくなるかもしれない。でも無理はできない。

自分のなかの葛藤と折り合いをつけ、会場の前に着いたのは10時半くらいだっただろうか。並んでいる列は思っていたよりも短かった。クジは、まだありそうだ。

順番がまわってくる。ふたつ前の女の子は飛び跳ねるように列から離れていった。当たったらしい。ひとつ前の男の子はハズレかな。肩が落ちている。

そして私の番。CDを買い、クジの入った箱に手を入れる。掴んだその紙片に、私は一生分の運を全て使った。たぶん。

もう福引きなんて一生ティッシュでいい。宝くじだって当たらなくていい。1回しか買ったことないけど。
その時の私にとってなによりも価値がある、数字が書かれた紙。限定ライブの入場券を引き当てたから。


とにかく連絡をしよう。まだ実感が湧くまで理解が進んでいない頭を無理やり動かして、同僚にLINEをする。彼女たちのおかげで掴んだ幸運だから、一番始めに知らせなければ。

手すりにもたれながら当たりクジを握りしめ、LINEを打つ。打ち間違いがひどい。少し手が震えているのかもしれない。

あまりに集中していたせいか、隣に人が立ったことに全く気付かなかった。

「お姉さん、当たったんですか?」
突然、右隣から若そうな男の声がした。

とても驚いたが、悟られたくなくて画面から目は離さなかった。もしかしたら肩は少し跳ねていたかもしれない。
はい、とわざと素っ気なく答える。なんかつかまったみたい、面倒だな。

そのままLINEを打ち続ける。どっか行ってくれないかな。
私の願いも虚しく、男は喋る。
「俺も当たったんですよー お姉さん一人ですか?」
一人ですが?一人で何が悪い。ライブに行く時はいつも一人だ。それが好きだから。


連絡も入れたし、次はこの男を追い払おう。顔を上げるついでにつま先から順に眺めた。革靴にジャケット。

革靴にジャケット?ライブハウスにそんな格好で来るか?もしや当選クジを売ってくれとかいうんじゃないだろうな。いくら積まれても絶対売らないからな。頭には疑いの二文字しか浮かばない。

視線が男の顔まで上がったとき、一瞬息が止まった。声の印象通り、自分より少し若そう。いや、っていうか顔。

人懐っこそうな笑みを浮かべてこちらを見ている顔は、私が以前付き合っていた年下の男にそっくりだったのだ。

当選したという状況をやっと受け入れたばかりの私の頭は再び混乱する。
なんで?なんでここにいるの?え、本人?からかってるの?もしかして弟?いや兄貴はいるけど弟はいなかったはず。。

たぶん男の顔を見たまま数秒フリーズしていたと思う。一体自分はどんな表情をしていたのだろう。鳩が豆鉄砲くらいだったらかなりマシかもしれない。


私の動揺をよそに男はにこにこしている。私の顔を見ても動じていないからとりあえず本人ではない。少し冷静さを取り戻した私の頭は答えを出す。

そういえば声が少し違う。ってことは他人の空似ってやつか。それにしてもよく似てる。同じ顔の人が3人いるって聞いたことがあるけど、本当なんだ。こういうのってドッペルゲンガーっていうんだっけ?会うと死んじゃうんだっけ?

あ、そうだ、追い払うんだった。


「俺一人なんですよー お姉さん良かったら一緒にご飯でも食べませんかー?」
良くないし食べません。
気を取り直してあっちに行け作戦に出る。

自分は結婚しているし妊婦であること(こう言えば面倒くさいし興味も失せるだろう)
遊びたいなら他の若い子のところへ行ったらどうか(というか行ってくれ)と伝えた。

実際このバンドには10代20代のファンが多い。遊び相手になってくれる女の子もたくさんいるだろう。若い子とキャピキャピしていればよろしい。

しかし男はしぶとかった。
「妊婦さんなんすか?全然わかんなかったー 俺、別に気にしないっすよ。逆に若い子って苦手なんすよねー」

ガクッと力が抜ける。いやいや、君が気にするかどうか心配してるわけじゃなくて。私の顔に他所へ行けって書いてあるのわからないかなぁ。ほらよく見てごらん?


終始仔犬のような人懐こい瞳で話しかけてくる男の相手をしていたら、なんだかふいにまぁいっか、という気になってしまった。これを世間的には『魔がさした』というのだろうか。違うか。

とにかく、コーヒーくらい付き合ってやってもいいかなという気持ちになったのは事実だった。

男の懐っこい笑顔と話し方が、少し軽そうだけど悪い人に見えなかった、というのは確かだ。でも実はもっと大きな理由があったのだ。それは、


時間がありすぎる


抽選を終えてだいたい11時くらい。そして限定ライブの開演時間は18時。開場が30分前だとしてもまだ6時間以上ある。それはこの男も同じで、要するにどちらも時間を持て余していた。

もちろんそれはわかっていた。Zeppには何度か来たことがあるので広いスタバが近くにあるのも知っている。もし当たったらそこでいつものように本を読みながら待とうと思っていたのだ。文庫本が1冊バッグに入っている。

ただ普段待つのはたいてい3時間くらいで、さすがに6時間は初めて。1冊では足りないこともわかっていた。

だからこの仔犬のような男にちょっと付き合ってやってもいいかな、なんて思ったのだ。

これから、どんな1日になるかも知らずに。


11時
ひとまずスタバではないカフェに入る。そこで自分の幸運を再確認することになった。

私は10時半くらいから並んでクジを引いたのだけど、仔犬くんは違ったようだ。(さっき話しかけてきた男を仔犬くんと呼ぶことにする。瞳が仔犬みたいだったし、名前を知らないから)

聞くと、朝6時に家を出て車で来たらしい。販売開始のずっと前から並んでクジをひいたがはずれ。でも諦めきれなくて、もう一度並んで引いたら当たったと話してくれた。だからCD2枚あるんすよ、って。

私が自分の経緯を話すと大げさにのけぞって驚く。
「すげー強運ですね!」
自分でもそう思う。まぁ、一生分のクジ運使ったからな。もうこの先ティッシュしか当たらんよ。


仔犬くんは話がうまかった。さすが他人に声をかけてきただけのことはある。たぶんナンパし慣れている。

仕事で海外出張が多く、ついでにどこかの国でバンジージャンプをしたとかなんとか。軽快な口調と絶えない笑顔に次第に気持ちがほぐれていった。

いつの間にかつっこんだり笑いあう自分がいる。不思議だ。全くの初対面なのにこんなに話せるなんて。なんだかちょっと楽しくなってきた。

もしかしたら話の内容は嘘かもしれない。20代(にみえる)の若者が上司と一緒とはいえしょっちゅう海外に行くような仕事があるだろうか。それとも仔犬くんはそれほど優秀なのか。

でも嘘でもかまわなかった。本当のことを話す必要なんてないのだ。だって私たちは他人だから。さっき会ったばかりの他人。共通点は同じバンドが好きということだけ。

好かれる必要も、良く思われる必要もない。嫌になったら適当に理由をつけてバイバイすればいいだけ。名前も年齢も聞かない。自分の仕事はごまかした。それらは今、必要なものではなかったから。


その距離感が心地よかった。同じクラスの男子と騒いでいる感じと似ている。仔犬くんは崩れながらも敬語だったけど、私はすぐにタメ口に変えた。気を遣ったり格好つけたりなんてしない、そのままの自分を久しぶりに見た気がする。

仔犬くんもそうだったのかな、1時間くらいで私たちはすっかり打ち解けていた。


12時
「どうします?俺は一緒にお昼食べたいですけど」
仔犬くんがちらりとこちらを窺ってくる。1時間前の返事は食べません、だったはずが、もう少し話をしてもいいかな、に変わっていた。

いいよ、というとわかりやすく嬉しそう。尻尾があったらぶんぶん振ってるな。

店選びは少し悩んだ。初対面の二人で行くにはイタリアンはなんだかオシャレすぎるし、かといって並んでラーメンをすするほどこなれた関係でもない。

結局入ったのはタイ料理店。なんでそのセレクトになったのか今でもわからない。辛いものを欲していた?この非日常的な状況にさらなる刺激を求めていたのか。いや意味わからん。

実は私は辛いものがあまり得意ではない。でもタイ料理の味は好きなのだ。グリーンカレーは辛くて食べられないと思ってガパオライスにした。卵が乗ってるから少し辛くてもいけるだろう。

一口食べて思わず笑ってしまった。辛い。想像以上に。向かいでグリーンカレーを口に入れた仔犬くんが一言。「めっちゃ辛っ」

笑える。どうやら仔犬くんも辛党ではないらしい。じゃあ本当になんでここにしたんだろう私たち。ずっと話してても話題が尽きないのが不思議。辛い辛いと騒ぎながら完食。とても美味しかったです。


13時
13時か。この後は持ってきた本を読んで待つのも悪くない。たくさん話したしここで別れてもいいけど、と思いながら仔犬くんの方を見る。と、
「カラオケ行きませんか?」
と言ってきた。もしかして一人で時間をつぶすのが苦手なのかな?それか懐かれたか。わん。

カラオケ、同じアーティストの歌を歌えるのは少し惹かれたけど、すぐに自分の音痴っぷりを思い出した。しかもあのバンドの曲は歌おうとするととても難しい。とてもじゃないけど聴かせられない。いくら気を遣わない相手でも恥ずかしすぎて穴から出られなくなる。

断ると少しだけシュンとしたけどすぐに
「じゃあどこ行きます?」
と聞いてきた。ついてくるらしい。

どうしようかと思っていると、ROUND1の看板が目に入った。遊ぶものが一通り揃っているアミューズメントパーク。そこにボーリングが入っていた。ボーリングなら少しだけ自信がある。そう言うと仔犬くんは
「俺も自信ありますよ」
とちょっと嬉しそう。
むむ。負けたくないな。


13時半
靴を借りて受付をする。申込用紙を渡されて一瞬悩んだ。名前、どうしよう。

今までお互いに名前を聞いていなかった。本名を書く必要もないけれど、わざわざ偽名をつかうほどでもない。仔犬くんはどうするだろう。

先に書いてもらおうと用紙を滑らせる。仔犬くんは躊躇いもなく記入し、すぐに戻してきた。それを見て私はまたフリーズする。そこに書かれていたのは、元カレのニックネームと同じだったから。

思わず仔犬くんの顔を見てしまう。なんだこれは。モニタリングか?元カレが他人のふりをしても気付くか、とか?

今日は一体何回混乱するのだろう。ただでさえ頭のキャパが少ないのだ。あまりいじめないでほしい。
結局本名を書いた。名前だけ。偽名なんて考えはふっとんでしまったので。


ボールを選んでレーンに入る。靴を履き替えていたら、気合が入ったのか仔犬くんがジャケットを脱いだ。下に着ていたのは白のTシャツ。

そのデザインには見覚えがあった。これから観るバンドのライブTシャツ。色違いのピンクを私も持っているから間違いない。しかも数年前のものだ。

あぁ、この人ちゃんとファンだ。悪い人じゃない。なんだか安心して、とても嬉しくなった。


ボーリングはなかなかに白熱した(と思っている)。一投目を投げる時に、お腹に負担がかからないか気になったが大丈夫そうだ。

ボールの行方を見つめて一喜一憂する。最初はストライクを拍手で称えあっていたのが、テンションが上がりいつの間にかハイタッチになった。

急に笑えてくる。今日初めて会った人とボーリングでハイタッチしてるこれは一体なんだろう。説明し難い状況だけど、それを思いっきり楽しんでいる私も私だ。こんなに笑ったのはいつぶりだろうって思うくらいに止まらない。

そういえば高校生の頃のデートってこんな感じだったな。ROUND1にもよく行った。アオハルだ。


自分的にはそれほど悪くはないスコアだったけど、仔犬くんの自信はハッタリではなかった。惨敗までいかないけど惜敗でもない。でもとにかく負けた。

悔しいなぁと笑いながら会計をすると、お兄さんがゲームセンターのチケットをくれた。

そうだ。ROUND1はこういうシステムだった。何か遊ぶとUFOキャッチャー無料券とかがもらえて、またそこで遊んでしまうのだ。本当にうまくできている。


15時
ROUND1の策略にすっぽりハマりゲーセンに移動する。UFOキャッチャーで仔犬くんがじゃがりこを2個取って1個くれた。

メダルも20枚ずつもらったけど、メダルゲームは大量につぎ込まなくちゃ出ない。やり込むつもりもなかったので早々に引き上げた。


15時半
遊びすぎた。18時からがメインイベントなのにすでにはしゃぎすぎた。いまさらだが妊婦は疲れやすいことを自覚する。少し休みたい。

そう思っていたら
「車で休みますか?CDも聴けますよ」
と仔犬くん。気が利くというか鼻がきくというか。うん、良い子。

買ったばかりのCDも聴きたかったし、近くに停めてあるというので開場まで休ませてもらうことにした。

外に出ると霧雨はいつの間にか止んでいた。


続く


自分に頂けた評価で読みたい本が買えたら。それはとても幸せだと思うのです。