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【朗報】2024年度、日本画家・石崎光瑤の大回顧展が開催決定。

石崎光瑤(1884〜1947)という日本画家がいます。まずは作品をご覧下さい。

石崎光瑤《熱国妍春(左隻)》(京都国立近代美術館、1918年)
石崎光瑤《熱国妍春(右隻)》(京都国立近代美術館、1918年)
石崎光瑤《燦雨(左隻)》(南砺市立福光美術館、1919年)
石崎光瑤《燦雨(右隻)》(南砺市立福光美術館、1919年)
石崎光瑤《春律》(京都市京セラ美術館、1928年)

石崎光瑤は1884年、富山県福光町(現在の南砺市)に生まれました。生家は藩政期から続く名家で、幼い頃から画才を発揮していたそうです。12歳で東京から金沢に招かれた江戸琳派の山本光一に師事し、のちに京都に出て1903年、19歳の時に竹内栖鳳に師事します。

日本画壇では1912年の第6回文展で初入選し、1918年の第12回文展で《熱国妍春》が特選を受賞し、1919年の第1回帝展で《燦雨》が2度目の特選を受賞します。1920年の第2回帝展で無鑑査となり、1922年の第4回帝展で審査員となります。1925年から京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)でおよそ20年にわたって教鞭を執り、さらに竹内栖鳳没後は私塾・石崎画塾を開校して後進の指導に当たります。その間、1916年のインドを皮切りに大正~昭和初期にかけて度々インド、ヨーロッパを歴訪しています。そして、1947年に62歳で死去します。

石崎光瑤は琳派の影響を受け、大正期はきらびやかな色彩の華麗な装飾的花鳥画を得意としましたが、昭和期に入ってからは琳派の装飾性を抑え落ち着きのある洗練された画風に変化して行きます。

また、伊藤若冲の研究家としても知られ、1925年に現在、重要文化財に指定されている《仙人掌群鶏図襖》(西福寺、1789年)を発見し、1926年に『中央美術』や『美の国』に若冲について寄稿を発表するなど、今日の若冲再評価の先駆けとしての業績を残します。

石崎光瑤は戦前の京都画壇では村上華岳や土田麦僊といった国画創作協会の主要メンバーと同世代ですが、その画才は華岳や麦僊に全く引けを取らないレベルです。しかし、現状は不当に知名度が低く、以前は現存する作品の大半が収蔵されている南砺市立福光美術館(富山県)以外で回顧展が開催されることは殆どありませんでした(注1)。

近年は2017年に富山県水墨美術館で回顧展が開催されるなど、北陸地方を中心に徐々に再評価が進んでいるように見えます。近年に南砺市立福光美術館以外で開催された回顧展の図録を掲載致します。

図録『石崎光瑤展:花鳥画の煌めき―没後70年』(富山県水墨美術館、2017年4月)
図録『燦めきの日本画:石崎光瑤と京都の画家たち』(石川県立美術館、2017年9月)
図録『若冲と光瑤:伊藤若冲とその画業に魅せられた石崎光瑤の世界』(石川県立美術館、2018年6月)
図録『ヘテロジニアスな世界 光瑤×牛人』(高岡市美術館、2023年9月)

しかし、京都画壇で活躍した日本画家である以上、京都国立近代美術館や京都市京セラ美術館、京都文化博物館で大規模な回顧展が開催されない限り正当に評価されたとは言えないと思っていました。

そう思っていたところに2024年度、京都文化博物館などで石崎光瑤展が開催されるというビッグニュースが入ってきました。今月20日に発売された『美術の窓』2023年12月号によると以下の日程で「生誕140年記念 石崎光瑤(仮称)」が開催されます。企画(学芸幹事)は京都文化博物館の植田彩芳子・主任学芸員です。

2024年7月13日(土)〜9月2日(月) 南砺市立福光美術館
2024年9月14日(土)〜11月10日(日) 京都文化博物館
2025年1月25日(土)〜3月23日(日) 静岡県立美術館

この回顧展は南砺市立福光美術館のみならず京都文化博物館、そして静岡県立美術館と3館も巡回することを考えると石崎光瑤にとって初の大回顧展と言えます。私はこの回顧展で石崎光瑤の再評価がなされて知名度が飛躍的に上がる可能性は高いと見ております。とにかく、来年度必見の企画展であることは間違いありません。

(注1)1978年に旧高岡市立美術館で回顧展が開催されて以降、1994年開館の南砺市立福光美術館には遺族から500点を超す作品・資料が寄贈され、文展や帝展に出品された代表作のおよそ6割が収蔵品に加わり、同館で何度も回顧展が開催されてきました。

【最終加筆:2023年12月1日】

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