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祝 退職! 新たな学校を創ります!

 2022年11月23日(水)をもって、退職致しました。
 
22歳から講師の期間も含めて30年間、公立小学校で勤めてきました。

自分でいうのも何ですが…真面目一筋に働いてきました。
 
教師という仕事は、中学の時からの夢だったので、この仕事に携わることができたのは幸せだったし、誇りでもありました。たくさんの子供たちや保護者の皆様、同僚の先生方との出会いには感謝しかありません。

教室では、毎日いろいろなことがありました。朝から晩まで、休みの日にも仕事のことを考える日々でしたが、教師の仕事はほんと楽しかったです。

では、なぜ今年になって、退職することになったのか。。。

辞めようと思ったことは、30年間の中で実は3回ありました。でも、その都度考え直し、辞めずに続けてきました。

しかし、今年、ある出来事をきっかけに、公立学校の中で働くことに切りをつけることにしました。

辞めようと思った理由は、大きくまとめると3つ。

①公立学校の中では、自分自身のやりたいように教育ができないと感じたから。

②今の学校のシステムというか学校のやり方が、自分の価値観と大きくずれてしまったから。

③自分の教師としての人権を守ってもらえないと気づいたから。

 30年間で、社会の流れというのか、価値観も変遷し、学習指導要領も社会の傾向に合わせて何度が変わるのを経験しました。そして、社会を揺るがすような事件が起きるたびに、学校に求められることや仕事が増えていきました。パソコンや携帯電話が普及し、便利な世の中になってきたと言えども、それが原因で逆に問題が起きたり不便になったりしたことも増えたように思います。

どんどんどんどんとやることが増え、帰宅時間も遅くなり、自分の時間は睡眠時間を削って作るしかない・・・。

理想を描いて教師になり、基本真面目な性格なので、特に誰かに愚痴ることもなく、疑問に思うこともなく、子供たちが楽しいと思える授業をやりたいと、やれることはきっちりやってきたけれど、今の学校は、がんじがらめの学校になってしまい、教師に自由もゆとりもなく、自分らしさを出したくてもできなくなってしまったなと感じてしまいました。

隣のクラスと足並み揃えて・・・
学年共通でやってください・・・

朝の会の歌とか、クラスの子供たちで話し合って決め、流行りの歌やらアニメの歌やら自由に歌ってたのに、そんなこともできなくなっていき・・・

今では、何でもかんでも同じ。
隣と合わせてやらなくちゃいけない。

教師にも個性があるのだから、やり方はいろいろあってもいいんじゃないのかな?

どの時代も、きっと先生方は苦労されていたのだろうけど、自分が子供だった頃は、もっと担任裁量というか、先生のカラーが出せていたというか、教師の働き方にゆとりがあったような気がする・・・。

 子供目線で言うと、学校って、自分にとっては楽しいところでした。そう思える私は、幸せなのだと思います。
勉強はそんなに得意ではなかったけどね。でも、子供らしさというか、子供なりの、のびのびとした時間の流れというか自由があったと思います。

担任の先生に、「運動場空いてるから、体育やろうよー!」と掛け合って、時間割変更したり、放課後には運動場で遊んで帰ったり。時には、居残り再テストがあったりしたけど。

下校も、今のように学年下校のような縛りもなくて、下校時刻は一応決まっていたと思うけど自由下校。土曜日は3時間授業で、通学団下校でした。

土曜日の午後に、展覧会準備のお手伝いのために学校に残ることがあったけど、先生にハンバーガーをごちそうしてもらったこともありました。住んでる町に初めてロッテリアができて、ハンバーガーをリクエスト(笑)。

3年生と6年生の時には、担任の先生の家に遊びに行きました。
3年生の冬、友達の家族に車で送っていただいて、先生の部屋の炬燵でトランプして遊びました。
6年生の時は、先生の家の近くの公園まで男女6人くらいで自転車で遊びに行き、そのついでに先生の家へみんなで押しかけた!迷惑だっただろうな(^^;)
そして、夏休みだったか、転校した友達に声を掛けてもらって、先生の新居へ遊びに行きました。

「勉強以外での心の触れ合い」が、楽しかった思い出の一つ。小学校時代の授業の思い出は・・・ほぼない!


私が、教師になったころは、土曜日授業がありました。そのうち、隔週で土曜日が休みになり、今のように完全週休二日制になりました。昭和→平成→令和へと、時代の流れによって学校の在り様も変わっていっています。

土曜日があったころは、昼に同僚とランチに行っていました。先輩の先生方ともざっくばらんに話ができて、楽しかった。で、午後から体育館でバレーボールだのソフトボールだの練習したりして、地区ごとに学校対抗バレーボール大会があったりしました。
または、夕方3時ごろまで学校で仕事をして、その後スキーに出かけたり、郡上踊りの徹夜踊りに行ったり・・・。その当時まだ独身だったのもありますが、同僚の先生方と楽しく過ごした思い出もたくさんあります。

今の先生達には、そんなゆとりというか、そんなほのぼのした時間は、ゼロですよね。皆さん一生懸命、頑張っています!

人間、自分らしさが出せる場やほっとできる時間のゆとりが必要だと思います。車のハンドルのように、遊びの部分が必要です。

あれやれ、これやれって・・・教師は何でも屋でも、奴隷でもありません!
教師にも、それぞれの人生、状況、人権があります。

隣のクラスやみんなと合わせてやれって・・・同調圧力?どの先生になっても平等に同じようにって、教育は商品じゃありません!

学級にいる子供たちの個性もいろいろ。
個性が入り混じり、化学反応起こして、毎日、毎瞬がドラマです。うまくいくことばかりではく、教育は結果がすぐ出ないことの方が多い。時間がかかるもの。

トップダウンの業務が多過ぎ。教師になって30年。業務は増えるばっかりで、新しいことを増やすなら、減らすこともしなければ、勤務時間内に収まるはずがない。
子供たちと話し合いながら授業をコーディネートしていくのも、教師のやりがいの一つだけど、今の学校は、とにかく窮屈、忙し過ぎ!

文部科学省や教育委員会などに言いたい事はたくさんあるけど、もう学校から離れた身なので、今後の人生に生かしていきます。

新型コロナ禍の影響で、さんざん振り回されました。

理不尽な扱いも受けました。


でも、

それらのおかげで、自分が何を大事にしているのか明確になりました!

子供は、大切な宝です。
誰もが一人一人、かけがえのない命を与えられ、今を生きています。

それは、私も同じ。

大人・子供、教師・児童生徒と関係なく、命は、平等。

素直で、真面目が売りな私ですが、学校の中にいたら、本当の自分自身を押しつぶし、蓋をして、顔なしの教師で子供の前に立たなきゃいけない。

言いなりになるのが、素直なのではない。

自分で考え、自分のやりたいことを判断し、自分で決めて歩んでいく。

私には、子供たちに教えたいこと、伝えたいことがあるのです。

人生、生きてれば、やり直しはいつでもできる。

道を間違ったら、もう一度考え直して、変更すればいいんだ。

どうせなら、やりたいことをやろう。自分の心に素直でいよう!


なので、私は、小さくてもいいから、わたしの学校「楽幸」を創ろうと思います。






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