29年目の117に寄せて
微睡みの中、家族に叩き起こされて、TVをつけて、黙祷する。
こんなに温かいところで、形だけの黙祷を捧げるなんて、なんと欺瞞に満ちあふれた「追悼」だろうか、と自問自答する。
もう少し元気に目が覚めた年は、たっぷり防寒をしてから近所の慰霊碑まで出向き、暗闇の中、誰が誰か分からない十数名の近隣住民の方々と共に、黙祷を捧げることもある。
日常空間において、過去の災害は、目に見えない。
29年前に、静岡で高校一年生だった私は、神戸の震災を知らない。
正確に言えば、わりと「知っている