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昭和53年産。腰痛持ち。

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昭和53年産。腰痛持ち。

最近の記事

29年目の117に寄せて

微睡みの中、家族に叩き起こされて、TVをつけて、黙祷する。 こんなに温かいところで、形だけの黙祷を捧げるなんて、なんと欺瞞に満ちあふれた「追悼」だろうか、と自問自答する。 もう少し元気に目が覚めた年は、たっぷり防寒をしてから近所の慰霊碑まで出向き、暗闇の中、誰が誰か分からない十数名の近隣住民の方々と共に、黙祷を捧げることもある。 日常空間において、過去の災害は、目に見えない。 29年前に、静岡で高校一年生だった私は、神戸の震災を知らない。 正確に言えば、わりと「知っている

    • 徘徊とドーナツ

      4歳の次女を連れて近所のスーパーへ買い物行った帰り道、ハイキング帰りな感じの男性からすれ違いざまに声をかけられた。「向こうにいる、パジャマ姿の高齢男性が、ちょっと心配な感じなので気をつけて見てあげてほしい」と。 心配なら自分で見てあげてよ。。と思いつつ、件の高齢男性が縁石に座り込んだりしているので、とりあえず車道から離れたところに誘導して座ってもらう。明らかに認知がおぼつかない感じ。 胸ポケットに携帯番号が書かれたプレートが入っていたので電話したら、年配の女性の声。「すぐ

      • 集団への馴化が学校教育の目的なのか

        年に何度か、「学校教育の目的は何か?」と学生さんたちに問う機会がある。 必ず出てくるし、むしろ結構な割合で出てくるのが「集団生活に慣れるため」という意見だ。「なぜ集団生活に慣れないといけないのか?」とさらに問うと、「集団に合わせることができないと困るから」「将来必要だから」「周りも迷惑するから」と、慈愛に満ちた目で、自信を持って答えてくれる。 これが、全員ではないにしても、教職課程を経て教員免許を取得し、教員採用試験を受けようとする学生さんたちの考えだとすると、そのように

        • どこまでが人間らしさ?

          ある授業で、マイナンバーやインボイス、スマホや顔認証、あるいは体内埋め込み型電子チップなど、個人の存在や活動を正確に捕捉する技術や仕組みが進むことと、AIの進化が進むことで、さらにどんな社会的な変化が生まれていくだろうかということを話し合った。その中で、「人間が、人間らしくなくなってしまう」という声が出てきた。 とても優れた感性だと思ったので、「ならば、どこまでが人間らしくて、どこまでが人間らしくないのか、何か基準のようなものはあるのだろうか」と問い返した。 例えば買い物

        29年目の117に寄せて

          水道の授業

          小学校4年生社会科、水道の授業を参観した。 冒頭、神戸市の水道使用量全体のうち、淀川方面から供給(購入)される水道水と、それ以外(市内水源)の水道水の総量を比較した棒グラフが示された。グラフから分かることは何か。個人作業として分かったこと、気がついたことをノートに書き出して発表、板書。 市内で使われる水の多くが淀川水系から供給されていることを確認した上で、地図の読み取りに取り組む。副読本の地図や地図帳からは、市内水源が少なく、淀川水系からは多く取水されていることを読み取る

          水道の授業

          命のつなぎ方

          昨秋、小さな庭に、小さな大惨事が起きた。 それは干ばつ。もとい、水やり不足による水不足である。 仕事と家事育児に追われて、庭に出る暇が無い。2週間以上好天が続いたはずだ。ようやく庭に出る時間を見つけて急いで鉢植えたちを見て回ると、どれもこれも干からびているように見えた。 地植えの草木は、炎天の乾燥続きであっても、地下深くを流れているであろう地下水のおかげで命脈を保っている。ところが、鉢植えの植物たちは、地下の水分とは無縁。ブルーベリー、藤、スダチ、芍薬、イチジク、金柑、月

          命のつなぎ方

          選ばれない大学?2023

          3月になって、2023年度新入生向けの入学試験がひと通り終了した。あとは入学式を待つばかりである。大学業界全体についての見通しは、語るべき人が語り、論じたい人が論じたらよいが、勤務先の大学(中堅中規模女子大)の状況に限定して、現状と今後を考えてみたい。 まず私の所属する保育・教育系学科について。よくない。とてもよくない。定員割れした2022年度の1年生の人数から、さらに2割程度割り込む予定だ。 ブラックイメージが定着してしまった先生・保育士のお仕事。最近見かけた進路希望決

          選ばれない大学?2023

          少子化と自己肯定感

           少子高齢化、というフレームワークを設定すると、国家レベルの人口構成とか、人口動態のマクロな視点が優先しがちなので、敢えて少子化という用語を使って、子どもを産み育てる人たちや、その営みの方に注目している。  2022年の出生数が概ね確定して、80万人を割り込むとか、推定値より8年早いとか、異次元の少子化対策が云々とか、そういうワードが画面や紙面を泳いでいるが、相変わらず当事者そっちのけの感がある。  最近見かけたデータの中で興味深いと思ったのは、「お金以外の理由で子どもが

          少子化と自己肯定感

          超人家族をやめよう

          超人。 キン肉マンというより、ニーチェ的な、悟りを開いたような、マッチョな超人。 家庭も、仕事も。 家事も育児も趣味もキャリアも。全部できる超人。 今、子育てをしている人たちは、みんな超人。超人の家族。 若者たちにはそう見えるのではないか。 仕事きつい。育児しんどい。 パワハラ、マタハラ、パタハラ。 低賃金長時間労働。 孤立無援の育児。 男女平等。 お父さんも育児がんばる、お母さんも仕事がんばる。 保育園は増えた。 でも、子どもが発熱したら預けられない。昼前に連絡が来た

          超人家族をやめよう

          人が減らないために

          家族主義と闘わねばならない。 子育て、教育、介護、納税。 この国は、家族の単位を基礎とし、親子きょうだいで支え合い、親子きょうだいのまとまりで納税や年金の仕組みを整えてきた。家族が前提。扶養手当、子ども手当、扶養控除、養育の義務、教育の義務。 親が子を育てるのは当然。子どもを「真っ当」に育てられないなら、親になる資格はない。つまり、金がなければ、時間と労力を子どもに割くことができなければ、親失格の烙印を押される。インターネットには、そんな呪いの言葉が溢れている。若者たちは

          人が減らないために

          つながる力を阻害するもの

          『子どもの社会力』(門脇厚司、1999年、岩波書店)という本がある。 「社会力」とは、人と人がつながり、社会を築いていく力であるという。具体的には、チームで何かを達成したり、課題を解決したりする力のことのようだ。あるいは、社会の諸課題に取り組み、解決する力がイメージされる。 その「社会力」の習得、あるいは向上を阻害する要因が様々にあるという。 少子化→家族、近隣、学校園等で接する人間の数が減少し、相互作用の機会が失われる。 家族関係、近隣関係の変化→教育家族化、地域社会

          つながる力を阻害するもの

          他者からの評価と、自己肯定

          実習生の、道徳の授業(小2)を見た。 自分のよいところに気づくことができる、という本時の目標が設定されていたその授業は、飛べないペンギンの話から始まる。 周りのみんなが飛べるのに、自分だけ飛べない。自己肯定感はダダ下がり。そんなとき、ダチョウが叫んだ。「僕も飛べないけど、走るのは早いよ!」その一言で、ペンギンも気づいた。「僕は飛べないけど、泳ぐのは得意だ!」。ペンギンは大きな声で叫んだ。 そんな教材をふまえつつ、自分のよいところを他の人に言ってもらう「褒め合いの活動」の

          他者からの評価と、自己肯定

          子どもと生命科学

           ちょっと古い時代に流行った、古い世代のシステム論を、子どもの理解に応用した「子ども学」という枠組みがある。  素朴に説明すれば、子どもというシステムに、多様な情報、あるいはプログラムを与えていくことで、子どもが成長していく、というイメージ。医学やら教育やら、保育や福祉やメディアや政治や文化や経済や、いろいろな刺激が子どもというシステムにインプットされた結果、何らかの成長や変化が起こる、という展開が想起される。  縦割りの分野に分断されている状況から、分野横断的に学際的に

          子どもと生命科学

          道徳の価値

          小学校一年生、道徳の授業を参観した。 公共物は大切にしよう、という趣旨の教材を読み、子どもたちは、ルールは守らなければならない、と答えた。 途中、これまでに、ルールを守れなかったこと、あったかな?と問いかけると、何人かの子どもたちは、懺悔的な口調で「こういうことをしてしまったことがある。」と述べた。 道徳で扱う価値規範が、私たちの社会にとって重要であるにもかかわらず、道徳の授業は妙な難しさがある。この場合、どんな授業をしたらよかったのだろうか。 ルールを守らなければなら

          道徳の価値

          教育は不自由か

          図工の研究授業を見た。 段ボールを自由に切って、切れ込みを入れて、組み合わせていく。自由な造形あそびとして構成された授業。子どもたちの創造性が自由に発揮される。目をかいたパーツを作って差し込んでみたり、段ボールを折り曲げて強度を出したり、シンメトリーにバランスを取ってタワー状にしてみたりと、さまざまな創意工夫が溢れ出す。授業者の意図したところだろう。 2時間続きの図工の授業、後半になって、手が止まりだした子どもがいた。創意工夫、試行錯誤の火が消えて、何となく「これ以上は思

          教育は不自由か

          反応なし

          遅いランチを食べようと、タッチパネルで食券買うタイプの店に入った。 最初、「店内/持ち帰り」の選択はできるのに、次に表示されるメニューを何度押しても、認識されない。「めがね丼」を頼みたいのに、何度触っても「めがね丼」の画面は反応してくれない。 おかしいなぁ?と思いながら、何度も同じところで時間オーバーとなり、最初の「店内/持ち帰り」メニューに戻される。 気配無く後ろに立っていた、国籍性別不明の人から「ヨビナヨ!」とぶっきらぼうに言われて、カウンターの向こうで黙々と作業を

          反応なし