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29年目の117に寄せて

微睡みの中、家族に叩き起こされて、TVをつけて、黙祷する。
こんなに温かいところで、形だけの黙祷を捧げるなんて、なんと欺瞞に満ちあふれた「追悼」だろうか、と自問自答する。

もう少し元気に目が覚めた年は、たっぷり防寒をしてから近所の慰霊碑まで出向き、暗闇の中、誰が誰か分からない十数名の近隣住民の方々と共に、黙祷を捧げることもある。

日常空間において、過去の災害は、目に見えない。
29年前に、静岡で高校一年生だった私は、神戸の震災を知らない。
正確に言えば、わりと「知っている」のだけれど、地震の揺れも体験していないし、怖い目にも遭っていないし、悲しい思いもしていない。「人間の一番汚い部分を見たことが一番辛かった」という経験もないし、地震の映像を見てフラッシュバックするようなトラウマもない。それでも、117の朝、電車が動いているのを見れば「電車が動いているって、ありがたいな」と思うし、いつもと同じ朝ご飯が食べられることは幸せなことだと心の底から感謝することはできる。何でもない普通の日常が突然失われ、苦渋に満ちた被災生活が続き、苦難の復興過程があったことは「知っている」。しかし、その知識は、強い情動を伴わないものだという自覚がある。

日常空間において、過去の災害は、目に見えない。
年に一度、117のこの日、当時の被災地の風景や、その時の悲しみ、恐怖の感情とつながるチャネルが開く。「伝えよう」とする人たちの努力によって、このチャネルが開く。震災モニュメントや追悼行事や竹灯籠やメディアが、このチャネルの役割を果たす。

過去が現在を作ると同時に、現在が過去を作る。117のこの日、過去の災害につながるチャネルが出現する。このチャネルを覗こうとする人を増やすことができれば、幾ばくか、災害の継承が進むという言い方ができるし、このチャネルを覗こうとする人が増えないなら、チャネルを開いてきた「被災者・当事者」の努力は報われず、ただただ当事者によるしめやかな追悼行事として完結してしまう。

目を背けたい気持ちも強い。震災を「知らない」後ろめたさや、大きな断絶を意識させられることも多い。それでも、この日だけ開くチャネルを覗き続けていきたいし、このチャネルを覗こうとする人を増やす努力を重ねていきたい。

2024/01/17 29年目の117に寄せて

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