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東京文化会館と東京バレエ団『かぐや姫』

先日ふと思い立って、東京文化会館へ東京バレエ団の『かぐや姫』を観に行きました。直前にチケットを買ったので、上階の脇の席になりましたが、舞台上の前後の広がりを見るというのも大変興味深い鑑賞体験でした。


東京文化会館(設計:前川國男/ 1959年竣工)

 前川國男設計の東京文化会館(1959年竣工)は、建物自体は外観やエントランス付近までは何度も観たことがありましたが、こうして演目を観るために入ったのは初めてでした。
 向かいに立つ国立西洋美術館(設計:ル・コルビュジェ/1959年竣工)の弟子であり、国内には青森県をはじめ、彼が手がけた多くの公共建築が残存しています。おそらく同一建築家の作品としては、前川國男が設計した建物を最も見ています。

 当日、思ったよりも早く着いた私は、出張先からの回り道だったこともあり、昼食をとっていなかったので、会場の中にあるレストランで早めの夕食をたっぷり食べました。2層分の高さをもつエントランスに浮くような2階のレストランは、特に1人で訪れた私のような人もエントランスを望むようにレストランの周囲に配された席で食事をとることができ、背もたれの高い椅子は背後の視線を気にしなくてよく、とても居心地が良かったです。
 ただ、エントランス内のショップやトイレなどの設備面は、色々と課題がありそうな感じもしていました。
 
 ゆっくりと食事をとっても時間があったので、往路で読みきれなかった、今回の舞台を演出・振付を担当された金森穣さんの著書『闘う舞踏団』をなんとか舞台開演までに終えようと、読み耽るのにも大変良い空間でした。結局、あと数ページを残して開演を迎えましたが、『かぐや姫』についての一文にも辿り着き、そこから今回の『かぐや姫』の本番へと向かった気がしました。

金森穣✖️東京バレエ団『かぐや姫』

 東京バレエ団の『かぐや姫』を観に行ったのは、新潟を拠点とする、新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあの劇場専属舞踊団Noismの芸術総監督を務める金森穣さんが演出・振付を行った作品という情報を目にしたことがきっかけです。3年かけて1幕ずつ作り上げ、ようやく3幕構成のグラン・バレエとして世界初演を迎えた初日の場に、立ち会うことができました。
 東京バレエ団はもとより、過去に一度しかクラシックバレエの舞台をみたことはありませんでしたが、舞踊の世界はコンテンポラリーダンスが入り口であった私にとっては、それをきっかけに世界が広がるのはいつものことで、私にとっては大切な広がりです。 

 『かぐや姫』が上演された大ホールは、エントランスを入ってすぐに入り口があり、チケットを見せて入った先には、想像以上のホワイエが広がっていました(2300席に対する広さなので当然なのですが)。
 そして、Noismの舞台を観に行くたびに心の中で最初に震える瞬間と同じように、今回も入場したその先に、金森穣さんが、そして今回は井関佐和子さんも共に、お二人ともすらりとした立ち姿で、自然な笑顔で訪れた人々を出迎えて下さっていました。
 毎回、あぁ私は本当にここへ来たんだと改めて実感するとともに、妙に感動して不思議な緊張をするのです。それはおそらく、鍛錬された身体をもつプロの舞踊家を前に、自分の身体を今一度意識する瞬間の入り口に立つような気がするからかもしれません。 

日本最古の物語「竹取物語」✖️西洋で生まれた舞台舞踊「バレエ」

「竹取物語」という日本最古の物語がバレエの演目になる、というのは大変興味深く、どんな世界になるんだろう?と想像もできませんでした。
 物語を元にした作品というのは、自分の物語に対する認知の距離感によって、目の前の作品への没入感がどうしても左右してしまうこともあり、おそらくある程度のレベルでその物語を理解しておくことは、作品を楽しむ上でも大切な気がしています。
 とはいえ、そういう事前準備ができなかった私のような人間にとっても、竹から生まれた少女が美しく成長し、“かぐや姫“と名付けられ、月に戻っていくという、いつの間にか多くの日本人が知っているストーリーに対する親近感を伴う本作は、クラシックバレエ鑑賞初心者の私も戸惑うことなく、言葉を超えて伝わる舞踊の感動を全身感じることができました。

 かぐや姫が主人公であることはもちろんですが、特に私は、摺り足を取り入れたバレエの新鮮さに驚くとともに、竹の舞(と勝手に名づけて感動していましたが「緑の精」という美しい正式名がありました)と、深紅の衣装を纏った影姫の舞・存在感が印象的でした。そして、3幕目を迎えて増す舞台上から放たれるエネルギーを感じてからの、かぐや姫が月に還っていく儚さは、この舞台の余韻を私の身体の中に染み込ませるような感覚を纏わせてくれました。
 全編、ドビュッシーの音楽と共に紡がれる本作の「竹取物語」を観た後では、かぐや姫を想うたびに、あるいは揺れる竹林を目にするだけでドビュッシーの音楽が流れてくる気がしますし、ドビュッシーの音楽を耳にすると本作『かぐや姫』が目に浮かびそうです。

劇場文化への憧れ

 今回のような幕間のある作品は、休憩時間にホワイエで軽くお酒を飲んで談笑する方々の姿を見ることがあります。以前、このような幕間のある舞台に初めて足を運んだ時には、こんな文化があるのかと驚いたものですが、なかなかそういった振舞いは今のところ経験したことはありません。
 友人を誘って舞台を見ることもありますが、基本的に劇場へ足を運ぶのは一人で行くことが多いです。それでも、友人を誘った時に交わす、観賞後の対話はいつも楽しいし、舞台を見た後に近場で食事をした時には、近くの席の人が同じ舞台を見ていて感想が聞き漏れてくることに遭遇した時は、楽しい瞬間です。
 久々に劇場へ足を運び舞踊を生で見た興奮は、私にとっての日常から切り離された大切な時間で得られたものですが、とはいえ、もっと身近に日常の中にこうした時間が持てるようにしたいなと、思いました。

 数ページを残してしまった『闘う舞踊団』も、家路に向かう電車の中で読み終えることができました。とにかくたくさんの驚きがありました。舞踊の業界の人でなくともとても学びが多いし、貴重な資料でもあると思います。   
 私も、業界や立場は違いますが、携わっている仕事への希望と迷いや葛藤にがありますが、まさに、Noismでもこうなのか…と、この本のあとがきに書かれている文化政策研究者のコメントと同じ気持ちで読み進めました。
 とはいえ、Noismと出会った時の興奮も蘇り、これからも微力ながら応援し続けたいと思うには充分すぎる読後感です。