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オッペンハイマーでクリストファー・ノーランが示した映画監督としての到達点

たった今、異例のアカデミー賞七部門を受賞して話題を呼んだクリストファーノーラン最新作「オッペンハイマー」を鑑賞し終えた。私はもちろん彼の全ての作品を視聴しているし、彼の最初の作品フォロウィングをDVDで買ってまで見たほど、彼の作品から多くの影響を受けている。

オッペンハイマーについての考察は他のブロガーやYouTuberが山ほど書くであろうと予測できるため、私はこの作品で改めて感じたノーランという映画監督のポテンシャルについて感想を書きたい。
先述した通り、私は彼の作品を好き好んで見ていている。毎回彼の作品には驚かされて、その手法に感服していたが、あくまでも娯楽としての体験映画として見ていて、芸術としての映画という観点では見てなかった。

スコセッシのMCU批判に関する記事

自分の好きな映画監督にマーティン・スコセッシという監督がいる。映画を普段見なくても、彼の名前は聞いたことがある人が多いと思う。彼のある発言が私の印象に特に残っている。その発言とは、映画雑誌のインタビューでMCU(マーベルシネマティックユニバース)の作品を見たことがあるかという質問に対して、「見ていません。挑戦はしたのだけれど、あれはシネマじゃない。正直に言って、あれがどんなによく出来ていて、役者がベストを尽くしていても、テーマパークだとしか思えない。人間が感情的、心理的な体験を別の人間に伝えようとするシネマではありません」と答えたというものだ。

私はこの発言にとても共感できた。そしてマーベル作品に限らず、近年の映画作品の多くが当てはまると感じた。スコセッシ監督はマーベル作品のことを「あれはシネマじゃない」と言っているが、私は近年の多くの映画は人を楽しませる、喜ばせるために作られた商業的な体験なのではないかと思っている。

ノーランはその商業的な体験として最高峰の映画を作る監督だと捉えていた。しかし今作オッペンハイマーでそれが180°変わった。オッペンハイマーは見た人々に商業体験以上の、意義を持つメッセージを投げかけた。ここまで話題になっているのがその証拠だろう。
これは映画監督の枠組みを超えた、ストーリーテラーの究極形である。これは映画の歴史100年、いやギルガメシュ叙事詩から引き継がれる物語の歴史4000年の中でもそう多く誕生したものではない。そんな存在が現代で居合わせ、そんな人の作品が見れることは貴重であり、自身の創造性をより豊かなものにする。そして次世代のストーリーテラーが生まれることにつながる。そのような作品を親しんできたノーランが、そんな作品を作る存在になった象徴的な作品になったと思う。

ノーラン作の大人気SF映画インターステラー

正直今作は賛否が分かれるのも理解できる。
今までのノーラン作品が好きだったというファンの中には退屈に感じたり、これじゃない感を感じた人もいるかもしれない。
彼の代表作で、日本でも評価が高いインターステラーなどの映画のような方向性を望む人も多いだろうが、それはノーランでなくてもこれからクリエイターは出てくる。オッペンハイマーのような映画を作れる人間は極めて少数に限られてる。これからは今作のような方向性の作品を期待したいが、彼ならこれまでの彼が作ってきたインターステラー、インセプション、テネットなどに代表される娯楽的体験としての一級品の映画と、オッペンハイマーのような人の感性へ訴えかけ、社会的な意義を持つ芸術的な映画を両立できるポテンシャルがあると思う。それは間違いなく最高の映画で、物語として前人未到の到達点でもある。

広島、長崎が描かれないことについての記事

公開前日本では、広島長崎が描かれないことをマスコミが取り上げていたが、オッペンハイマーの一人称視点で語られる物語なのだから、広島長崎の描写はなくて当然だし、会話に広島長崎の名は作中で幾度と出てきているため、ノーラン監督が広島長崎を軽視しているとは考えずらい。彼はイギリス人で、アメリカ人でも日本人でもないため原爆を取り扱うには、歴史的なバイアスは少ないはずで、フラットに原爆について見ているはずだ。
もちろん広島長崎の惨劇は忘れてはいけないし、二度と起こらないように国も私たちも努めるべきだ。
しかし人の無惨な死体や、悍ましい光景を使うと年齢制限が上がり、この映画のメッセージ受け取れる人が少なくなる可能性もある。
核の恐ろしさを映画の編集や、オッペンハイマーの心理描写から映し出し、核の恐ろしさを全世界の人に再認識させ、海外の核を知らない世代にも認識させただろう。これは被爆国が二度と生まれないようにするために必要なことだと思う。
この作品は日本人である自分としても「ノーラン監督、アカデミー賞受賞おめでとう」と大手を振って言えるものだった。

受賞式で、オスカー像を持つクリストファーノーラン

長くなったが、言いたいのはこれは現代の巨匠ノーランの誕生を予感させる作品で、映画を愛する人はもちろん、普段見ない人も必見だということだ。

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