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【短編小説】ニシヘヒガシヘ~夜行バスに乗って~第4話

   第4話

02:00 △△サービスエリア(休憩20分)

「△△サービスエリアに到着です」

 エンジンの音が止まった。運転手の声が合図のように、静かだったバスの中に、たった今、目を覚ました人たちの気配が広がる。

 ちっとも眠れなかった。昨夜もまんじりともせず布団の中で寝返りを打ち続けているうちに朝を迎えて、それなのにいつも通りに仕事もしてきたのに。

「こちらでは予定よりも長めの30分休憩になります。2時までにお戻りください」
 道路は空いていて、予定よりもずいぶん早く着いた。

 立ち上がるのが億劫で、座ったままぼんやりと外を眺めていた。けれども、停まったバスの窓から見えるのは、サービスエリアの灯りだけだ。

 時計に目をやった。出発してもうすぐ五時間。このバスの旅も、半分以上が過ぎた。

 新宿に着いたらどうしよう。
 先のことなど、なにも考えてなかった。
 でも、バスで新宿に行っただけで、なにごともなかったように家に戻るなんて馬鹿みたいだ。

 東京に家を借りて、一人で生活しようかな。
 世間は人手不足だという。仕事なんて、探せばいくらでもあるだろう。子育ては終わっている。長男はまだ家にいるけれど、もう大学生だし成人もしている。

 背もたれから身体を持ち上げ、靴を履いた。きっとこのサービスエリアに来ることなんて、この先一生ないだろうな。今ここにいることさえ不思議なんだから。人生って、なにが起きるかわからない。

 外に出るとさっきよりも寒くて、慌ててダウンジャケットの前を合わせた。
 サービスエリアの建物内に並ぶ店を覗いたけれど、なにも食べる気がせず、トイレだけ済ませた。

 明るい建物に背を向け、空を見上げる。驚くほど星がたくさん見えた。
 冷たく湿った夜気を吸い込んだら、トイレに行ったばかりなのに、下半身にずしんと尿意にも似た痺れを感じた。

『母さん、かわいそうだな』

 夫の声が耳によみがえる。

 三日前のことだ。夕方仕事から帰った夫と義母と共に、いつものように食卓を囲んだ。長男はアルバイトで、いつも帰宅は深夜だ。
 洗い物をしていたら、風呂から上がった夫から「今日は母さん、どうだった」と尋ねられた。

「うん、今日も一歩も外に出てないみたい」
 同居が始まって半年。年老いた義母にとって、環境の変化に慣れることは簡単ではないようだった。

 自分の部屋に引きこもり、一日中テレビを観ている。誰とも話さず、ご飯を食べて、風呂に入って、夜になったら寝るだけ。そんな生活を心配して、夫だけでなくあたしも、なんとか外の世界とつながることを薦めた。

 地域の老人クラブのようなものを調べて、夫が連れて行った。けれども義母は人見知りをして、知らない人たちの仲間に入ることを嫌がる。

「お義母さんさあ、一日中テレビ観てないで、お散歩くらいしてきたら?」

 夕方、仕事から帰ったその足で、義母の部屋をノックしてそう言うと、義母は安楽椅子に座ったまま、億劫そうにあたしに顔を向けた。

「せめて、ちょっとくらい歩かないと」
 義母は「うん……」と言いながら口をへの字に結んでいる。

「今の時期、桜がキレイだよ。まだ明るいし、今日は暖かいし、ちょっと歩いておいでよ」
 窓の外を指さした。

「ついでに、スーパーで甘いものでも買ってきたらいいじゃない」
 必死に盛り上げる。けれども義母は、

「別にいいよ」
 と、首を横に振った───。

「そうか……」
 ビールの入ったグラスを片手に、夫が渋い顔になる。あたしは泡立ったスポンジを握りしめながら、

「環境に慣れるのが難しいっていうの、わかるよ。でもさあ、せめて散歩するとか、買い物するとか、自分でもちょっとなにかしてみないと、本当にボケちゃうよ!」

 言い方が少しきつかったのかもしれない。夫は、
「そうだな……」
 ため息をついてから、義母を庇うように、

「母さん、かわいそうだな」
 そう言った。

 かわいそう。

 その一言が、まるで魚の骨のように喉の奥に引っ掛かった。

 かわいそう。

 夫が以前にもその言葉を使ったことを覚えている。
 長女が小さい頃だ。なにをしたかは忘れたけれど、あたしに叱られて泣いているところに、夫が仕事から帰ってきた。

「かわいそうじゃん、あんなに泣いて」
 あんた、あたしにそう言ったよね。

「かわいそうじゃないよ! 悪いことしたんだから、叱られて当たり前でしょ!」
 そう言ったけど、その時も、なにかが引っかかったんだろうな。だからこうして覚えてるんだもん。

「かわいそう」ってさ、「かわいい」人に対して使う言葉だよね。
 か弱くて、いたいけで、守ってあげなきゃいけないお姫さま。

 あんたにとってのお姫さまは、昔は長女で、今は義母なんだね。

 あんたはきっと、一度だってあたしのこと「かわいそう」って思ったことないだろうね。
 だってあたしは家族の中で誰よりも怖い存在で、あんたも子供たちも、みんなあたしには敵わないんだからさ。
 今まではそれでよかった。かまわなかったんだ。

 でもあたし、朝から掃除して洗濯して、仕事に行って、急いで買い物して帰ってきて、風呂洗って夕飯作ってみんなに食べさせたら洗い物して。そうやって頑張ったことなんて全部、義母の「かわいそう」に持っていかれちゃうんだって思ったら、なんだかやってられない気持ちになっちゃった。

 あたしがどんだけ汗水たらして頑張っても、あんたにとってのお姫さまは義母なんだって思ったら、自分がたまらなく滑稽に思えてきて。

 かわいそう。

 たったそれだけのひと言が胸に刺さって、うまく眠れなくなっちゃったんだよ。

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