見出し画像

【短編小説】徒労の人 ~なぜ書くのか~ 第6話

   第6話

 最寄りの駅で電車を下りる。改札を出たところで外を見ると、細かい雨がぱらぱらと降り出していた。鞄から折りたたみ傘を出し、夜の歩道を歩き出す。

 雨足はどんどん強くなっていく。どんなに水溜りに気をつけても、パンツの裾が濡れていくのがわかった。時おり足首に貼りつき、たまらなく不快な感触がする。

『ちゃんとそういう趣味があるっていいですね』

 雨で街の音が遮断され、代わりにさっきのイケメン錦戸の言葉が耳の奥に響いた。あのひと言で、ふわふわと浮かれていた気持ちが冷えた。彼の気遣いも、返答も、決して悪いものではなかったのに。

 この苦味の正体は失望だ。失望。失った望み。勝手に望みを抱き、それを失う。だめじゃないか、期待なんかしちゃ。ガッカリしたくないなら。

 母にも理解してもらえないことを、どうしてたまたま呑み会で隣に座っただけの人が理解してくれると思うの。「書きたい」というこの衝動が、単なる趣味の範疇には収まらないということを。

 趣味ってきっと、楽しみながらやること。日常の嫌なことを忘れさせ、溜まったストレスを解消させる。

 楽しいだけだったはずの趣味が、こだわりを突き詰めるにつれて、そうでなくなる人もいるかもしれない。そうなったら、きっとその人は言うはずだ。これは単なる「趣味」じゃないと。

 わたしにとっても、執筆は趣味じゃない。

 だって、いつも苦しみながら書いてる。表現したいことはこんなことじゃないと、自分の筆力のなさをもどかしく感じながら。

 必死に書いた作品を、次の日に読み直して消す。創造と破壊。それでもまだいい、書けたのなら。まるで木版に彫刻刀で彫りつけるみたいに、ひとつも筆が進まない時もある。それは本当に苦しい。苦しくて苦しくて、もう書くことを辞めたいと思ったこともある。

 それなのに辞められない。だって、執筆から遠ざかっても苦しい。まるで、自分に課せられた役割から逃げているような気がして。

 なんておこがましい。誰もわたしにそんなことを期待していない。ただの独りよがりだ。

 それでも書かずにいられない。けれど、書いても苦しい。書かなくても苦しい。
 どうして。そんな問いを自分に投げてみる。どうしてわたしは書いてるの。

 考えたところで答えは出ない。だって理由なんてないのだ。書きたいから書いている。それだけ。なにそれ。もう一人の自分が笑う。それなら「趣味」って言われてもいいじゃない。

 目の前の信号が青に変わる。歩き出して、ちゃんと赤信号で足を止めていた自分に気づいた。頭の中がいっぱいで、ここまで歩いてきた記憶がないほどなのに。

『お前はいつもボンヤリしてる』
 子供の頃、そういえば母によく言われた。

『授業中など、ぼんやりとしていることが多いようです』
 小学生の時、通知表にも書かれた。あの頃から、わたしは頭ひとつで自由に世界中を飛び回っていた。

 ひとつ実感するのは、書くことは時間をつなぎとめることができる唯一の方法だということだ。

 時間。わたしの時間。さらさらと指の間からこぼれて落ちて、刻一刻と死に近づいてゆく。九歳のわたし、十七歳のわたし、二十五歳のわたし。確かに存在していたはずの、あの時のわたしはもうどこにもいないし、その時のリアルな感情は断片的にしか残っていない。

 時間はつまり、人生であり、気持ちだ。生まれてから死ぬまでずっとつながっている感情。外からの刺激や、自分の中の気づきによって、変化していく心。人生は記憶ではなく感情であり、そして時間そのものだ。たった一秒の間にも、色んなことを考え、感じ取っていく。

 さらさらとこぼれ落ちる感情は、落ちた瞬間から過去のもの。上から新しいものが重なれば、どれがいつのものだったのか、区別はつかない。覚えていられるのはほんの短い間だけ。

 それを書きとめる。終わりに向かって進んでいくわたしたちが、ただ一つ抗えることだ。

 気持ちや考えが変化していく瞬間を切り取る。その時のわたしは、確かにあったのだと。写真や映像では決して残せないもの。

 そうしている時だけ、自分がどうしようもなく死に向かって流されていることに焦らずに済む。

 死ぬのが怖いのとは、少し違う。
 怖いのは、自分がなにもせずにいることだ。だから、書けた時だけほっとする。

 アパートの階段を登った。濡れた鉄骨が透明な音を響かせる。
 鍵を回すのももどかしく、ドアを開いて真っ直ぐにパソコンに向かった。起動する間、スマホのレコーダーに急いで音声メモを残す。

 この感情を取りこぼさないこと。今日の心の揺れを書きとめること。
 それだけが、今のわたしにできるたった一つのことなのだから。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?