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ガンジスで沐浴するような女 その伍(終)

こちらのつづき。その伍、最終回です。

生きているとお腹がすく

沐浴後のカリーは滅法旨かった。チャパティも3枚も4枚も食べた。
キングフィッシャービールは、頼まなくてもお店のお姉さんが持ってきてくれるようになった。

とにかく大量にでてくる。ひとりなのに、この量。
毎度頼むので、なにも言わなくても出してくれるようになった



あの日、かあさんが亡くなった夜だって、わたしはちゃんとごはんを食べた。かあさんとシェリを思ってわんわん泣いた日だって、お腹はすくんだ。

昔、かあさんがしてくれた話を思いだした。

「あたしさ、18歳の頃、東京で下宿をしながら映画のフィルムを運ぶ仕事(『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいだ)をしてたんだけど、その頃、すごいカッコイイ憧れのお兄さんがいてね。ある時、そのお兄さんから「好子ちゃん、『ウエストサイド物語』を観に行こう!」と誘われて、夢見心地で日比谷で待ち合わせをしたのね。
映画を観終わって、喫茶店に行ってお話ししたら、その人、映画のこともあたしのことも聞かないでさ、「好子ちゃん、お姉さんは何色が好きなの?」「お姉さんは食べ物は何が好きなの?」って根掘り葉掘り、ねーちゃんのこと聞いてきてさ!あたし、すごくショックだった!あんた、ねーちゃんのことすきなんじゃん?って、ほんと、好子あったまきたし!」

そして、失意の好子は、下宿に帰り、泣きながら自室の押し入れに閉じこもったという。下宿の優しいご夫婦が「好子ちゃん、泣いてないで出てきなさい」と言っても絶対に出ていかなかったらしい。

の、だが。

「でもさ、お腹すいて夜ごはんの時間に這い出してさ。おじちゃんとおばちゃんに慰められながらごはんたべてさ、ごちそうさまって、また、押し入れに戻ったのよ!そしたら、おじちゃんもおばちゃんも「好子ちゃんが、押し入れに戻った!」って大笑いになって、なんだかあたしも笑えてきちゃって、もう、どうでもよくなったの!でさ、その人ね、10年後ぐらいにバッタリ会ったらさ、ハゲてたんですよ!あー、お付き合いしなくてよかった!アハハ!」

わたしはこの話を聞いて泣くほど笑った。時々、ねえ、あの話聞かせて、と言っては話してもらうほどお気に入りだった。

そうだね、どんな時もお腹がすくんだよ。好子ちゃんも、その娘も。

野蛮なほどに強靭

その後も、体調の変化は驚くほどになかった。
次の日も、その次の日もピンピンしていて、お腹も全く壊さなかった。
むしろ、ガンジス後、メンタルを含めて、なんだか絶好調である。ある種の万能感と言ってもいい。

わたしの胃腸はやはり強靭だった。そう、野蛮なほどにだ。
もはや恥ずかしくさえある。もっと繊細な感じで生きてみたかったが、これほどまでに強いのだから仕方があるまい。

せっかく体調が最高なので、ついでにアーユルヴェーダのマッサージを受けに行き、憧れのシローダーラをしてもらった。おでこの第三の目のところめがけて、延々と温かいオイルを垂らす、あれだ。
あまりにも気持ちがよくて爆睡したところ、いつの間にか施術のお姉さんも眠ってしまったらしく、気づくと終了時間を大幅に過ぎており、店主が怒りのノックをしてきて、お姉さんもわたしもその音でやっと起きた。わたしは気持ちがよかったが、お姉さんは仕事中なのになぜ爆睡したのだろう。自由すぎるではないか。
柔らかな香りの温かいオイルが、ゆっくりと顔を伝い、髪を伝って流れてゆく心地よさ。あれぐらい気持ちがよい体験はあまりしたことがない。シローダーラのためだけにインドに行ってもいいぐらいだった。

こういう路地の奥にある「アーユルヴェーダ研究所」みたいなところだった



インド鉄道の朝


帰国前日に、バラナシからデリーまで寝台列車に乗った。

遅延が多いためか、ホームも人であふれている
Train No.だけが頼りだ
キオスク


1等車の下段のベッドだった。周りはこざっぱりしたおじさん、大学生と思しき女子、いい身なりのお兄さんなどで、恐怖心はなかったが、バックパックに南京錠を付けるのは忘れなかった。

道端でビリヤニ弁当みたいなものを買い、周囲のかしましいおしゃべりを聞きながらぱくぱく食べ、読書をした。電車は時々停まったり、発車したりする。車内もだんだん静かになった。そして大分ぐっすり眠り、早朝に目が覚めたのはチャイ売りが回ってきたときだった。

寝転んで、Kindleに入れてきた遠藤周作を読んだりした
シーツやタオルが入っていた紙袋
ビリヤニ(左)と、おかず
このおかずが凄く辛くて最高においしかった
早朝の車窓


向かいのお兄さんが、日本人?と言いながらチャイを奢ってくれた。どうやら、上段のおじさんと親子のようだ。

チャイを片手におしゃべりをしていると、「日本人なら、タカシカスレ、知ってるよね!」と言うではないか。
「は?タカシ?カスレ??」と首をかしげると、「タカシはエンペラーで、デンジャラスなところがたくさんあって、エキサイティングなカスレだよ!」と言う。そして、いつのまにか周りのインド人も話に入ってきて、みんな口々に「ジャパニーズTVプログラム!タカシカスレ!」と目をキラキラさせながら言う。
よくよく聞くと、インド訛の「カスレ」と聞こえる単語はキャッスル、タカシはたけしだった。そう、『風雲!たけし城』の話だったのだ!!たけし城は今インドでゴールデンタイムに放映されていて、ものすごい人気なのだそうだ。

わたしは、「ああ、タケシね!そのTVプログラムは30年ぐらい前のもので、いまタケシは70歳ぐらい、すごく有名な映画監督だよ!」と言うとみんな大声で「ノオオオ!タカシ、セブンティ!!」と言っていた。

フランスでは、わたしが日本人だと知ると「キタノっていいよねえ~」などと言ってくるスカしたお兄さんが多かったが、まさかインドでもたけしの話になるとは。さすが、世界のキタノである。

お兄さんのお父さんが隣にきたら、別のお兄さんが無言で上に行った
どういう関係なのかさっぱりわからん
奢ってもらったチャイ
かわいい紙コップ
インドの人たちの色彩センスに見惚れる


それにしても、ガンジスの水を飲んだにもかかわらず、お腹ひとつ壊さない。そして、インド鉄道の寝台列車で熟睡し、朝は知らないインド人たちとチャイを飲みながらたけしの話。こんなに愉快な旅でいいのだろうか。

胃腸も強靭だが、よく考えたらメンタルもかなり強靭かもしれない。
それもこれも、ああいうかあさんに育てられたからこそと思う。

小さい時から、一人で飛行機に乗せられて北海道に行かされたり(札幌に伯父がいた)、少年の船に乗せられてグアムまで行かされたりしていたが、そういう体験が、今日の"タカシカスレ"に繋がっているように思う。ひとりで遠くに行くこと、旅先で人と楽しく過ごすことに、何の抵抗もないのだ。
かあさんは、一体どんな人間に育てたくて、こどもにひとり旅をさせたのだろう。

インドで、かあさんのことをたくさん考えた。
そして、いろいろなことに合点がいった。

娘は、ガンジスで沐浴するような女に育ったよ。
かあさん。

(おわり)




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