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説明なし、言い訳なし。だれにも名付けようがないもの。『くるりのえいが』

『くるりのえいが』

くるりファンに独占されてしまっては、勿体ない。

日本産音楽ドキュメンタリー映画としては、矢野顕子を追った『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女。』(1992年)以来、実に31年ぶりの最高峰傑作。

音楽映画のカテゴリーを取り外しても、2023年公開の日本映画のベストワンに推したい逸品である。

メジャーデビューから四半期を迎える京都を代表するバンド、くるり。彼らは、脱退した元メンバーを招き、1996年秋の結成のオリジナルメンバー3人の音だけで、最新アルバムをレコーディングしようとする。本作は、主に、伊豆のスタジオ、京都のライブハウス、京都のスタジオの3人の姿に迫っている。

歴史のあるバンドを描くドキュメンタリーが陥りがちなヒストリーの漫然なフォローが全くなく(ただのイントロダクション=食前酒のようなものはあるが)、元メンバー復帰をめぐる各人のインタビューも最小限に留め(とにかくインタビュー場面の少なさはドキュメンタリーとして画期的!)、あくまでも演奏と音楽そのもので人間を凝視した潔さの、これは大勝利だ。

これは、再結成ではない。

ドラマー、森信行はあくまでサポートメンバーとして、くるりのレコーディングに参加している。かつての脱退のいきさつには一切触れぬ映画のクールネス。

ソングライティングを手がけるボーカル&ギター、岸田繁。波瀾万丈のバンドの歴史を見守り、岸田を支えてきた母のようなベーシスト、佐藤征史。ふたりになり、大所帯バンドになり、また、ふたりになったくるり。岸田と佐藤のパートナーシップとコンビネーションの狭間に、大きな時間差と共に降り立った森の戸惑い。

それぞれの想いがある。だが、それが明確に語られることはない。

己のひらめきを徹底的に敷き詰めていく天才、岸田。岸田と森、双方を見つめている佐藤。「かつて」と「いま」の宙ぶらりんな状況下、的確でふくよかなビートを繰り出していく森。

とにかくセッションが始まり、演奏者が音を発見し、音と音が邂逅し、混じり合うこと以上のことは、何も起きない。それが全てなのだ、なぜなら、彼らミュージシャンだから。

ミーティングはある。スタジオ合宿の飲み模様も映し出される。アルバムタイトル決めの会話もある。

だが、そんな言葉のやりとりよりも、常に音楽が上位にある。ぶつかり合うわけではない。それぞれが、それぞれとして貫くことで、生まれ出ずるものが、確かにある。

熱狂や高揚ではない。しかし、冷徹や諦念でもない。ある程度の年輪を経た者たちにしかもたらされない、ヴィジョンと次元が可視化されている。それは、誰にも名付けようがないものだ。

説明なし、言い訳なし。そういうやり方でしか表せないものが、この世にはある。

それを見ることができたことを、わたしは幸せに思う。

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