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【読書感想文】ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた_2

はじめに(読飛し推奨)

こうして俺が読書感想文という体を取ったのは、書評の形態を取る事で、これから語ろうとする図書に孕む多くの要素を、この記事で網羅して語らなければならない、また、そうして語られた指摘がクリティカルなものでなければないないと言う強迫観念に囚われてしまうために、筆が進まなくなることを避けたとき、読書感想文が多くは学生によって書かれているという特質から、一種のプロフェッショナル思考なその観念を退けることができるためである。よって、ここで語られることは、俺が既に批評や評論に求められる形態と内容の充実度や整合性を約束する責任から逃れた上で書かれたことであることを了承していただきたい。しかし、一方で、可読性を得るために、通常、原稿用紙で行われる読書感想文では不可能な記述の方法をnoteという媒体を都合よく利用することで取ることも許してほしい。また、こういった前置きも俺のもつ上記のような強迫観念から来ていることであり、多くの閲覧者が俺の感想文の形式にそれほどこだわっていないこと、充足的な内容を期待していないことは理解している。

ぼくたちはこの国をこんなふうに愛することに決めた


この本の感想や評論の多くが社会批評の視座から展開されていて、ここで俺が再度、この本の象徴天皇制や憲法9条などに関しての言及を殊更に取り上げる必要もないので、俺はいわゆる小説的社会批評と言われるこの本の小説的と足らしめる部分を追って、いたって小説の読書感想文然とした筆致を取ろうと思う。
「くに」を作るために憲法の勉強会を開いたランちゃんたちは実際の憲法の文言を読みこんだり、憲法とは、と考えたりしていく。そこでランちゃんが“自分の家の憲法”の話をする。ランちゃんが幼児期に必要だった憲法はランちゃんが成長するにつれて必要がなくなっていき、あくる日の家族会議で冷蔵庫に発布されたその憲法は取り止めが可決され、これまでの成長過程を噛み締めるように惜しまれ外された。新しい憲法ができたり、その一方で古い憲法が外されたりを繰り返していく家族の中での約束事のエピソードはそれぞれの道徳感に基づいた決まり事の数々がお互いを尊重した円滑な共同生活をつくり上げていくことを教えてくれた。それらの憲法は変化しながらコミュニティに適合してコミュニティのメンバーのために機能する。だから、家族のみんなが自分たちの“家族の憲法”を愛して、大事に遵守している。そんなランちゃんの家の憲法の中には「個々の身体はそれぞれ違うのでそれぞれにそれぞれの事情があり、そのために相手のことを慮らなければならない(要約)」というものがある。これは寝込みがちなランちゃんのお母さんのことをお父さんが慮った故の憲法である。そうして大切な人を想って立憲された憲法もまた大切なものである。人と人との間の決まり事は相手を想って作られるから愛おしいのである。そしてその決まり事によって、より相手を愛おしく思うのだろう。この本の言葉を借りるなら、エクリチュールとしての決め事は単なる「シミ」であり、その決め事の実際は決め事ととして顕現する前の「精神」にあるということである。
批評的な本著が小説の感覚によって貫かれているのは、無垢な小学生の主人公らが社会批評的な問いかけを読者と一緒に考えていく中で成長していく物語の側面をも併せ持っているからだろう。その成長という物語性の担保に欠かせない場面はやはり、南方熊楠であろう(明言していたかは失念した)ほぼ裸の老人との出会いの場面であろう。そこでランちゃんはその老人から空のキャラメルの箱を貰う。その箱にはなんでも詰め込める。入らなければ大きいキャラメルの箱があればいい。ただ、俺は小さい方が良いと思う。なぜなら、これからたくさん大切なものを選んで、キャメルの箱に入れていったとに、その愛すべきものに選んだそれらが、優しく振られたキャラメルの箱の中で音を立てるからだ。その音を耳元で聞くことはどんなに愛おしいことだろう。そのときは、キャラメルの箱ごと愛してしまうはずだ。これは先述のそれぞれの関係性にそれぞれ施行されていく憲法なるものもそうである。お互いに持つ大事なものが憲法という体裁の箱の中で愛おしく鳴るのだ。だから、お互いの長い関わり合いの中でそれらを拾い集めていくことが尊く、美しい営みになるだろう。
俺はそういった過程をスキップしていないだろうか。


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