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技術的なことについて書く前に…(かなり長い前置き)

(0)はじめに


(私が学んできた)合気道について、技術的な要点を整理することは、以前から挑戦したかったことです。ですが、具体的な記事を書く前に、まずはその前提として「技術的な要点を整理する目的」を明確にしたいと思います。こうした「前提」というのは殊のほか重要だと考えますので、最初にきちんと書きたいと思います(※かなり長いですし、大した結論にも至らないので、目次の気になる部分を読んでいただくだけで嬉しいです)

なお、ここで発信する内容は、これまでに私が教わり、道場稽古や一人稽古、文献などを通して実践・考察してきたものです。師匠や道場名など、実在の人物名や団体名を文中に使わせていただくこともありますが、文責は全て私個人に帰します

また、技術的な解説記事については、主に「合気道至心会の道場生」や「合気道至心会の稽古に興味を持ってくださる方々」に伝えることを優先して記載しています。異なる環境で稽古をされている合気道の道友や、他武道・武術に励んでおられる方々にとっては、違和感のある表現や内容があるかもしれません。まずは、「そんな考えや表現もあるのか」と、ご高覧いただければ幸いです。

(私が学んだ)合気道は形稽古ではありません。
形稽古でないため、道場や指導者、さらには道場生によって、固有の形(かたち)や考え方が併存します。そのため、ここに書く内容には、たとえ合気道の道友であっても、皆さまの形(かたち)や考え方とは異なる(ときには反対の)内容が含まれる可能性があります。

ですが、私には自分とは異なる形(かたち)や考え方を否定する意図は一切ないことを、最初に申し述べておきます(*)。植芝盛平先生が創始され、吉祥丸先生(2代道主)、守央先生(現道主)、諸先生・先輩方が育ててこられた合気道は、ものすごく懐が深い。「愛と和合の武道」という理念に反しない限り、合気道はあらゆるものを包み込むと思うからです。

(*)「合気道自由が丘道場」の道場心得には、「人の技を批判しないこと」が明記されていますし、「合気道至心会」でも、この道場心得を取り入れています

(1)解説記事を書く目的


①「前提」や「基礎」をすくい上げる

合気道に限らず、技術的な解説を発信するには「動画」に依ることが現代の常識のようです。「百聞は一見に如かず」という言葉が示すように、百の説明よりも、1回見せるほうが早い場合も多々あります。

しかし、1つの基本姿勢や基本動作を切り出しても、そこには膨大な情報やポイントが詰まっているものです。これを動画にすれば、説明する情報やお伝えするポイントを絞らなければなりません。その結果、多くの重要な点が抜け落ちかねません。また、ポイントを絞らずに網羅的に説明しようとすれば、ひたすら説明が続く、誰にも見てもらえないような動画ができあがることでしょう。

私が解説記事を作成する目的は、次の1点に集約されます。

道場稽古では割愛されがちな、「前提」や「基礎」をすくい上げて、体系的・網羅的に整理する。

当会の道場生には、道場稽古や一人稽古の参考として、解説記事を役立ててもらいたいと思っています。

② 道場でお伝えできる内容には限りがある

合気道の道場では、指導者が実際に動きを見せて、それについて指導者自身が解説を加えるスタイルが一般的です(もちろん、指導者や稽古時間などによって、説明の範囲や説明の内容、伝え方は異なるはずです)。

しかし、道場稽古の限られた時間の中では、お伝えできる内容も、その範囲も絞らざるを得ません。特に、稽古の前提となる考え方や、基本的な技術については、その重要性と反比例するように、解説は少なくなりがちです。これは「道場」という時間的・空間的な制約のある場所では仕方のないことだと思います。

この理由として、主に次の2点が考えられます。

(理由1)稽古の時間が限られている(時間的な制約)
準備体操や呼吸法などを含めて、道場の稽古時間は1~2時間です(道場によって多少の違いはあると思います)。限られた稽古時間の中では、稽古の前提となる考え方や、基礎的な説明に割く時間はほとんどありません。

(理由2)道場生のモチベーションと場の雰囲気(空間的な制約)
稽古の前提や基礎的な説明ばかりでは、道場生は飽きてダレてしまいます。道場生の集中力が切れてしまえば、説明された内容も右から左に聞き流されます。なによりも、道場生の集中力が切れると、ケガの発生リスクが高まります。道場生の集中力を保つためにも、説明は最小限にされがちです。

③ 稽古の「土台」が大切

「稽古の前提となる考え方」や「基本的な技術」は、稽古の「土台」をなすものです。しかし、稽古の「土台」における「ズレ」に目を瞑ってしまえば、その土台の上に築かれる稽古は、どんどんと、ひびが入りかねません。下手をすれば、崩壊しかねない。

私の師匠である多田宏先生(以下、「多田先生」と表記)からは、「何十年も丁寧に築き上げた技術でも、下手になるのは一瞬。稽古とは白刃の上を渡るようなものだ。」と教わりました。この表現は、「執着の弊害」という、まさに「稽古の土台」についてのご説明におけるものでした。これは大げさな表現などではなく、それほど稽古の「土台」は大切なのです。

繰り返しとなりますが、稽古の「土台」とは、「稽古の前提となる考え方や、基本的な技術」です。そして土台の「ズレ」は、「悪い癖」という形を取って稽古に現れます。

⑤ 初心の内に付いた癖は、後になって直すことが出来ない(出来ても大変な時間と努力が必要)

自分の「悪い癖」というのは、初心者の時からあまり変わらないものです。注意して、時間をかけて直したつもりでも、とっさの場面で不意に表出してくる。だからこそ、初心者のときに悪い癖がつかないように、特に指導者は教える際に十分に注意しなければならない(そう教わりました)。

この「悪い癖」というのは「身体の動かし方」に限りません。
むしろ、「心の使い方」に強く現れます。
といっても精神論ではありません。「心の使い方」は、「身体の動き」や「稽古における言葉の選び方」にはっきりと現れるからです。

合気道の稽古を通してみても、この集中と傾注の違いという問題が一番多く目に付くことである。およそ稽古で生じる問題のほぼ九割以上は、人、技に囚われるという心から生じている。

(※筆者注:太字化は筆者による)

(多田宏(2018),『合気道に活きる』,日本武道館,pp177-178)

初心のときに付いた癖は、直すことが本当に難しい。なぜかといえば、多くの場合、本人には自覚がないからです。

「初心の時からの癖」ということは、本人にとってはそれが「自然な状態」です。指導者や道友から注意を受けるなり、映像を見るなりしない限り、本人にとって「自然な癖」(←変な表現ですね)を認識して直すことは至難の業です。

だからこそ、注意してくださる指導者や先輩はかけがえのない存在であるといえます(段位が上がるほど、できるできないに関わらず、注意される機会はどんどん減っていきます)。

⑥ 指導者の言葉はどれだけ伝わるものなのか?

私の師匠は、弟子の上達のためであれば、稽古の前提となる考え方や基礎的な技術についても、時間を割いて、動きを加えながら、あらゆる角度からあらゆる表現を用いて、説明してくださいました。

内容によっては、耳にタコができるくらい、何度も説明をしてくださいました(といっても、先生の説明は定型文ではないので、同じ内容でも聞き飽きることはありません)。

その理由は、私のような普通の道場生は、何度も説明されなければ理解できないし、すぐに忘れてしまうからだと思います(1度聞けば理解できる、優秀な道友もたくさんおられるはずです)。

先生が説明を終えたら、そこから道場生同士での技の稽古が始まります。技の稽古が始まった瞬間、直前に先生がされた説明はどこへやら、技の手順や技の効きを確かめることに夢中になる、そんな光景はありふれたものです。

こうした光景に身をおいて、(自戒を込めて)肝に銘じたのは、「人は自分の見たいものしか見ず(見えず)、聞きたいことしか聞かない(聞こえない)」ということでした。居眠りや考え事をしない限り、先生の説明は道場生全員の耳に届いているはずです。ですが、人間はICレコーダーでもスマホカメラでもありません。短期記憶の容量には限りがあります。そのため、先生の言葉を(無意識下で)取捨選択しながら記憶に留めていきます。師匠から届けられる言葉に対して、それを受け取る仕方は弟子に委ねられています。

結果として、師匠の膨大な説明(視覚的な情報も含む)が弟子に届いた時点で、かなりの量が切り捨てられます。これは、私には「薄まる」ように感じられました。さらに、弟子はそれぞれの「フィルター」を持っています。師匠から弟子に届いた情報は、このフィルターを通って着色されます。

このように、師匠から発せられた情報は、薄まり、着色された上で弟子に定着するのです。

だからこそ私の師匠は、大切なことを何度も何度も、手を替え品を替え、道場生に確実に定着するように、説明してくださったのだと思います。

ちなみに、上記の事態を防ぐために、武道やその他技芸の世界では、限られた弟子にだけ、確実に伝える形が取られてきました。「一子相伝」や「内弟子」と呼ばれるものです。

合気道も「皇武館(合気会の前身)」の時代は、入門のために「しかるべき保証人」が必要でした(*1)。ちなみに、大先生の内弟子たちの生活は、「生活即稽古」「生活即武道」であった、という述懐があります(*2)。

では、合気道が一般に広まるべきではなかったのか?
この問いに「YES」はありえません。

植芝吉祥丸先生の『合氣道一路 ー戦後合気道発展への風と雲ー』(出版芸術社)を読むと、合気道の一般公開の必要性や、そのためにどれだけの苦心・苦労があったのかを垣間見ることができます(詳細については、ぜひ同書をお読みください)。

なによりも、先達の苦心によって合気道が一般に普及したからこそ、私のような、武道にほとんど縁のなかった者が、その面白さの一端に触れられている。本当に、ありがたい話です。

話が側線に入ってしまいました。
結局のところ、技芸を習うのは環境云々ではなく、師匠の教えを素直に受け取り、一心に稽古して自分で練り上げていくしかない。これに尽きるのでしょう(もちろん環境は大事に決まってます)。

どのような技術であれ、優れた師匠につき、脇見をせず、一心に稽古することが上達の常道である。

(多田宏(2018),『合気道に活きる』,日本武道館, pp7-8)

⑥ 私には師匠のように説明できない(だから書く)

私の師匠の言葉には力があります。
これは物理的に声が響くとか聞きやすいという意味だけでなく、ご自身による限りない実験と実践を経た「確信」に裏打ちされているからだと思います(その他にもたくさんの要素があると考えますが、ここでは割愛します)。

必然、弟子である私も、力のある言葉に強い憧れがあります。そのために、稽古や日常生活を通した実践を通して「自分の言葉」を少しずつ獲得していくつもりです。

ですが、いきなり先生のように、力のある言葉が自然に湧出してくることはありえません。ということで、まずは書くことにしました。それを形にしたものを、この場(note)では発信していくつもりです。

たかだかこの結論を書くために、長々と文章を書いてしまいました。

(2)解説記事の読み方・使い方


① 合気道の面白さは、「形(かたち)の先」にある

合気道は形稽古ではありませんが、最初に「形(かたち)」を覚える必要があります。「形(かたち)」とは「稽古の法則」と言い換えることもできます。初心者はまず、指導者や先輩の動きを見ながら、教わったとおりに身体を動かして、形を覚えていきます。忘れては思い出すことを繰り返しながら、形(かたち)を自分のものにすることを目指します。

ですが、合気道至心会の稽古は形(かたち)を覚えることを「目的」とはしません。形(かたち)は稽古の「前提」です。

当会の稽古は、多田先生が長年の研究と実践に基づいて編み上げた「気の(流れの)錬磨」を核としています。

「気の(流れの)練磨」の特徴は、ダイナミックな打ち込み稽古にあります。ダイナミックな打ち込み稽古とは、何ものにも心が留まらず、身体は自動的に動いていく、稽古をする者同士がそんな気持ちの良い状態にある稽古です。

最初は誰でも、教わった形を再現することに必死となります。形を自分のものにしながら稽古を続けることで、形に通底する「法則」の理解が進み、ダイナミックな打ち込み稽古へと進んでいきます。

私が解説記事でお伝えしたいのは、この「形(かたち)」の部分です。「気の流れの錬磨」の前提である「形(かたち)」。この段階でつまずくことなく、その先へ、1人でも多くの人と進みたい。その一助となる記事を作りたいと思っています。

② ご自身で稽古記録を付けると、効果倍増

なお、解説記事で言及する範囲は「形(かたち)」に留めます。そして、「感覚的な部分」についてはなるべく表現を避けるつもりです。というのも、身体運用においては「ご自身にしか分からない領域」が確実に存在しているからです。

例えば、剣を振るときの手の感覚(触覚や握りの詳細)は言語化できません。「手の内を見せる」ことはできても、それを言葉で表現することはできません。

例えば、呼吸法をするときの心身の感覚は言語化できません。自分の中を流れる「なにか」を表現するときに、どの表現がしっくり来るのか、それはその人にしかわかりません。

そうした領域まで私が無理に言語化をすれば、私の言葉が道場生の感覚を制約する可能性があります。それが良い方に向かうこともあれば、その道場生にとって「悪い癖」として根付いてしまう危険性もありえます。

合気道に限らず、技芸において上達する1つの方法は、ご自身で稽古記録を作成することだと思います。その場合には、「道場で習い覚えた表現」だけでなく、「ご自身にしっくり来る表現」を使って、自由に記録を作成することをおすすめします。言葉に限らず、簡単な絵でも、図表でも構いません。

初心者のうちは、道場で教わったことをやってみるだけで精一杯です。とても、落ち着いて考えている暇はありません。ですので、自宅やカフェなど、落ち着いたタイミングで、稽古を思い出しながら記録を作成してみてください。できれば動きながら。

記録を作成していると、道場ではわからなかったようなことでも、ふと理解できたり、思わぬ発見があったりします。こうした発見を積み重ねることが、合気道を楽しみながら上達する1つのコツと言えます。

自分なりの言葉で、自分なりの方法で、稽古記録を作成する習慣を身につけてください。完璧な記録など必要ありません。どれだけ簡単なものでも構いません。記録作成にかける時間よりも、「稽古を思い返し(連想行)、自分の中で整理すること」が最大の目的なのですから。

③ お読みになるなら稽古前が効果的

なお、ご自身が作成された稽古記録や私の解説記事は、「稽古前」に読むほうが「稽古後」に読むよりも効果的です。なぜならば、自分なりの気付きや課題意識を持った状態で、次の稽古に臨めるからです。

まっさらな状態で稽古に来ると、
その稽古では次のような過程をたどることになります。

自分ができない点にぶつかる(たいていは前回もぶつかった壁)
なぜできないのか考える(前回も同じようなことを考えた…)
しばらくの試行錯誤の後、前回までに教わったことや自分で気づいたことを思い出す(←この時点で稽古時間のほとんどを消化済み)
①~③を踏まえて、稽古を続ける
タイムリミット(次の技へ移る、または稽古時間が終了する)

まっさらな状態で稽古に入ることを続ける限り、大抵の場合は①~③を繰り返すことになります(もちろん、少しずつ前進はしています)。そして、大抵の場合、①~③のほとんどは「形(かたち)」の問題です。ここを繰り返すということは、「できていない形」を繰り返すことであり、それは「悪い癖」が身についてしまうリスクを高めかねません。なるべく早く脱するに越したことはないのです。

一方、稽古前に稽古記録や解説記事を読み返すと、①~③を事前に済ませた状態で稽古に入れます。結果として、まっさらな状態で稽古に入るよりも、圧倒的に上達が早くなるのです。

「稽古記録を作成」して「稽古前に読み返す」。
ぜひこの流れをお試しください。

解説記事を発信する上での「前置き」を書くだけのつもりでしたが、ずいぶん長くなってしまいました。お読みくださり、ありがとうございました。

(本文終わり)


【参考文献】

(*1)植芝吉祥丸編著, 植芝守央改訂版監修(1999),『合気道開祖 植芝盛平伝』,出版芸術社, p204
(*2)同書, p207, 米川成美氏談



【合気道至心会のご案内】

岐阜市を中心に活動する、合気道の道場です。
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