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すべての間違いの背後には

ゴールを設定して

毎日、毎日、祈り続けている。

「平安の感覚、終わらない愛に包まれている感覚、
無垢な感覚、などなど、、、

聖霊、ジーザス、、わたしが信じている
すべてのもの、この世界の全てのもの、全てのシンボルを使って、この感覚を感じさせてください。
わたしは退きますので、この感覚を感じられるようにしてください。

全てのシンボルを聖霊にあげますから、聖霊それを使ってください。
あなたが導いてください。

わたしの人生、いのち、願望、目的を捧げます。

あなたがなさってください!
伏してお願いします。」

すると、

本当に
それを阻む闇が面白いように上がる。

自我の抵抗だと思う。
自我が暴れている。


だから
聖霊に祈るしかない。


平安への障害、神への恐れのところを読んでいて

死を超えていくには、、ということも
すべて書いてあった。

そして、その後の神への恐れ、ベールを取り去るところを読みながら、祈り
読みながら、祈る。


わたしは、赦したい。
すべてを赦したい。

何もかもを聖霊に差し出したい。


祈りの歌、第二章 赦し


すべての間違いの背後には、
キリストの顔が今も変わらぬままに
あり続ける。

彼の恒常性は、穏やかな静寂と
完全なる平安の中にとどまっている。
彼は影というものを知らない。
彼の目は、誤りを見過ごして
あなたの内なるキリストを見る目である。

それならば、彼からの助けを
求めなさい。
そして、彼の心眼がそこに見ている通りの
赦しを学ぶ方法を、彼に尋ねなさい。


ジーザス、
だから
わたしはあなたに
伏して尋ねます。

そして、必ず
あなたからの答えが返ってくることに
感謝申し上げます。


さあ、聖霊の祭壇に捧げにいこう。

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