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理解がほしいなら表現しなきゃだめだ

大人というものはどんなに苦労が多くても、自分のほうから人を愛していける人間になることなんだと思います。
(いわさきちひろ ラブレター)

「おとな」になるっていうことは、自分に必要な愛は、自分でとってきつつ、ちゃんと自分から愛を注ぐ対象を見つけ、そこに必要な愛を注いで、細々とでも、それを、循環して続けていけるっていうことだ。
おとなになるって、やっぱりすごいことなんだ!(山田ズーニー 理解という名の愛がほしい。)

山田ズーニーさんの「理解という名の愛がほしい。」を一読し終えた。厚い本ではないし、難しい言葉も使っていないけれど、一編一編に想いが込められている。書くこと、考え続けること、悩み続けること。負の連鎖、愛。

「理解がほしいなら表現しなきゃだめだ。表現するためには考えなければならない。表現の先には理解がある、理解には愛がある。そのつながりが居場所になる。あなたには表現力がある。」

あとがきの言葉がずしんと胸に届く。表現し続けることに大それた意味や意義を見出せない。でも、書きたいし伝えたい、書くことで苦しくてもやめられない。
愛を欲しがって、認めてほしがってばかりいる気がして何だか恥ずかしくなった。必要な対象に愛を注ぐこと、って結構難しいとも思った。私は過剰になってしまっていないか、その愛と思っているものは迷惑やエゴになってしまっていないか。

「自分の感覚を、あけわたさないから悩むんだ」
言葉の雨のなかで考え続ける、書く力も伝える力もつけたい。でもいちばん大切なのは、私自身が何を伝えたいか、何を想うかなのだと、改めて気付く。その感覚を、養っていきたい。筋肉をつけていきたい。

#毎日 #なんでもないこと #理解という名の愛がほしい #読書感想文

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