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『私の好き/01』自分で髪を切ること

先日伸び切った髪を、長さは変えずに毛量を整えたらすっきりした。最近、美容院へ行かずに自分で髪を切る(※以下、セルフカットと呼ぶ)ことにハマっている。

キッカケはYouTubeでセルフカットを楽しむ人たちをみたこと。楽しそう!と惹かれ、軽い気持ちででも覚悟を決めてやってみた。
それが結果よくて、ハマっている。今回のカットは3、4回目(くらい?)になる。そこに来て思わぬ副産物〈ハマっている理由〉に気づいたので書いておく。


|  美容院でなく、なぜセルフカット?

美容院でやってもらった方が、当然仕上がりも早く素敵に仕上がるはず。もちろんプロだから。実際、毛質と希望イメージをかけあわせて素敵に仕上げてもらった経験もある。

けど、次に行くとなんか違うなとか・・行きつけの美容院を見つけられず。だから毎回美容院選び→予約、がまず第一のハードル。
そして、襟周り邪魔にならなそうな服を考える(ハイネックはフード付きは無しだよね!?)さらに初めての場所は緊張する。カットの間も、持ってきてくれた雑誌に目を通しながらも、希望が伝わってるか?などソワソワ落ち着かず、あまりリラックスして過ごせていない自分に気づく。

一方、セルフカットは家で好きな時、思い立った時にいつでもカットできる。家だし格好も気にせず、お風呂に入る時にそのまま切るとかもできる。言うまでもなく、リラックスできて楽。
途中迷ったら、中断して数日考えてからカット再開、なんかもできる。
前髪作るか、毛量はどうか、結んだ時や帽子を被ったときどうか、とか数日過ごして違和感がでたところを微調整したりもできる。確認してから決めたい私にはこれも好都合。


| で、セルフカットの副産物って?

無意識的にセルフカットを通して
【自分の希望を自分の力で叶えていく】ことをやっていたなって何かの拍子にふと思い、腑に落ちた。

まず自分がどうしたいか?考えて、自分の手でそれを再現していく過程。集中して自分と向き合う感覚、自分のこうしたい!を大事にする感覚。 (切ってるときは、ただただひたすら夢中なだけなんだけど)なんか自分が喜んでいるんだよなぁと 。
結果的にその時間を得ていて、そこにハマっていたんだな〜という気づき。

人にやってもらう時って、やっぱりこうしたい!って湧いてきても瞬時に飲み込んじゃうことがある。例えば、さっきAでお願いしたばかりなのにBに変えるのは申し訳ないな、とか。本当にBがいいって思うの?とか。
※そこを伝えられる関係性づくりとかもあるとは思うんだけど、今回そこはひとまず置いて。

まず、自分がどうしたいのか?自分を見てあげる(いま決めたいのか、保留にするかも含めて) それをOK〜って自分で聞いて叶えていく。この時間がいまの私にはなんか良くて、やりたくて。で、なんとなく続いているんだなと。


| とはいえ、失敗したら・・・

とはいえ、私はプロではないしスキルや経験がないのも事実。となれば失敗もあって。
そうなったとき、自分で切ったことを後悔するのでは?と思っていたけれど、実際はそうでもなかった。
(そうならないように、あまり大冒険はしないことも幸いしていると思うけど、笑)

自分で決めてやっているから、凹んでもそのあと、どうしようか?って、自分でまた考えてやってみようって意識を変えやすいなって感じる。
これが、美容院で失敗されちゃってたとしたら、美容師さんを責めるかイメージを伝えきれなかった自分を責めるかになるなって。


| 自分の希望は、自分の力で叶えられる

だからセルフカットがおすすめ、という話ではなく。
それに限らず例えば【 自分で何かを作る 】とか、他のことでも同じことが言えるな、と。

手を動かして作る、ってことの中に色々。ほんとうに色々〜詰まっている、と思う。
最近の我が家の子どもたちを見ていると本当にそう思う。

これが作りたい!これが食べたい!から始まって
どうしたいのか?色、形、素材、味、
そこに辿り着くために、うまく行かない過程もあれこれ試行錯誤しながら、何かを作っている。

例えできたものが思ったのと違っても、満足そうにして見えるのは、次はこうしよう!と前向きな言葉が出てくるのは、
自分の思いを自分で聞いて、自分で考えて、自分の手で仕上げていったから。つまり【自分の希望を、自分の力で叶えている】ってことなんだろうなぁと。

子どもたちの様子も、そう傍観している。
言葉にすると大げさかもしれないけど、生きるチカラというか原動力ってこんなことなのかもしれない。

私も子どもたちも、そんな時間をそれぞれに楽めたらなと思っている。

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