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どうして私が脳梗塞に!?

リスクなしの私が脳梗塞になったお話です


私は、42歳の時に脳梗塞になりました。

忘れもしない、ちょうど3年前の12月。
いつもどおりに仕事をこなしていました。

あと10分で終わると言う時。
一瞬、「ウッ」と思った瞬間に、左腕に電気が走ったような感覚と同時にぶらーんと、力が入らなくなりました。

「何これ!?脳!?」と思いながら、10秒ほどで手が動いて戻りました。
異変があったのは、左腕だけでした。
足は何もない、会話ができる、顔の歪みもない。
違和感を感じながらも、大丈夫だろうと思い、いつも通りに自転車に乗って帰宅しました。

家に着いて、左腕の表面と、左足の表面がサワサワと何とも言えない感覚でした。

やっぱり気になる…

救急車を呼ぶほどの緊急性はないので、♯7119に電話をして相談しました。
すると「それは一過性脳虚血性発作かもしれません」と言われて、診察してもらえる脳外科を案内していただき、主人の帰宅後に病院に連れて行ってもらいました。

病院に到着して、診察を受けるも異常のない私を見て、先生もちょっと困った様子でした。
「MRIどうする?どっちでもいいよ」と言われて、せっかく病院に来たし、MRI検査を受けました。
検査後、主人も息子も一緒に呼ばれて、「小さく詰まってます!このまま入院してください!」と言われて、入院決定!

“ラクナ梗塞”という症状で、手術はせずに点滴治療でした。
看護師さんが「本当に早く病院に来てよかったね!!」と何度も言って下さいました。

私も、1人でベッドに横になりながら、あのまま「気のせい。大丈夫だろう」と思って、放置していたら、左半身不随とかになってたのかも!?と思うと怖くなると同時に、本当に早く病院に行ってよかったと実感しました。

どうして私が??

私は、健康診断の結果は、いつも数値は異常なし、血圧も低めなくらい。
タバコは吸えない、お酒も飲めないのです。
強いて言えば、肥満気味なくらいです。
BMIは25です。

入院してから、血液検査を始め、エコーで心臓、頸動脈、太ももの付け根など色々と検査してもらいましたが、血栓は見当たらず…
先生も何が原因なのか不思議そうでした。

入院期間は2週間と言われていました。
毎日、近くの病室の認知症のおばあちゃんの夜中の叫び声がひどくて、まともに眠れず、体もゆっくり休めない状況で、口唇ヘルペスもできていました。
個室を希望したけど、コロナの初期で、発熱した患者さんの隔離用のお部屋になってるから、個室は無理だと言われました。

先生に、ヘルペスを見せて、早く退院したい!と懇願して、1か月は仕事も休んで、家で安静に過ごすと約束をして、1週間で退院させてもらいました。
退院するとき、まだ原因はわかっていませんでした。

退院後に、脳神経内科を受診するように言われました。
そこで、初めて“糖の負荷検査”をしました。

すると、検査のジュースみたいなのを飲んでから30分後の血糖値が190まで跳ね上がっていました!
そして、2時間後には140くらいに下がっていないといけないのに、160くらいでした。

診断結果は“境界型糖尿病“ でした。
またの名を“隠れ糖尿病”

それだけが原因ではなかったのです。
当時、私は美肌のために皮膚科でいくつかお薬を処方してもらい、服用していました。
その中に“トラネキサム酸”があり、お薬のリスクに“血栓を作りやすくする”と書かれていて、もちろん読んでから服用していましたが、私には無関係だと思っていました。

当時の食生活は、朝ごはん食べて、家事をして、10時くらいにひと息ついて、クッキーを少しかじり、お昼ご飯を食べて、夕方またおやつタイム。
そして、夜ご飯。
しっかり、3食と2回のお菓子タイム。
食べる量は多くないけれど、私の血糖値は朝ごはんから、夜ごはんで高いままだったと思われます。
そこに、1日3回、しっかりとトラネキサム酸を服用していたので、血栓ができてしまい、一時的に脳に飛んでしまったのだろうということで、原因がわかりました。

それ以来、できる限りの糖質制限をして7キロほど痩せました。
お薬は血液サラサラ1錠(バイアスピリン)と、血糖値をゆるやかに上げるお薬(ボグリボース)を服用していましたが、今は血糖値は安定していて、良い数値をキープできています。
おかげさまで、少し前にボグリボースは断薬できました。

先日、年に1回の脳外科のMRI検査も変わりなく、順調なので、サラサラのお薬も違うお薬になりそうです。

私が身をもって、感じたことは

異変や違和感を感じたら病院へ!早期発見!”

自分の体からのメッセージだと思います。


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