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「今」の私の幸せって何だろう

お久しぶりです。
長らくnoteをお休みしていました。

最近またnoteを開いてみたら、今まで親しくさせていただいていたフォロワーさんが書くことをやめていたり、アカウントごと消されてしまわれたりで、驚きと、戸惑いと、寂しさがありました。

私の方からお休みをしておいて勝手ですが、もう連絡が取れないのかと思うとどこか喪失感みたいなものがあります。

きっとnoteの他に何かやりたいことが見つかったのかな、元気でいるといいなぁと思いながら、その方の幸せを願っています。

そして私は今またふと書きたくなりました。
なので、書きます。

去年の10月末に投稿をやめて、約9カ月が経ちました。
その間に何があったのか、ざっと今に至る経緯を書きます。

  • あれから計画的に減薬を始めて、1月には漢方以外の薬をすべてやめることができました。

  • 抗うつ剤などの薬をやめることができたので、1月に妊活を始めました。

  • 4月に東京へ引っ越しました。

  • 引っ越しと同時に漢方も片頭痛の薬1種類以外すべてやめることができました。

  • しばらく漢方1種類だけでも調子が良く安定していました。

  • 1月に妊活を始めたものの、自然に生理が安定した周期に来ませんでしたので、5月に婦人科に行きました。

  • 婦人科では排卵障害と診断され、本格的に不妊治療が始まりました。

  • 同時に妊活と仕事の両立を目指して就職活動を行っていました。

  • しかし、2年のブランクや経験不足等により、大手の会社からめった斬り。
    定着性の懸念を指摘されました。

  • 不妊の可能性を知りますます不安になり、就職活動に力を入れていましたが、ゲームプランナーという仕事になかなか就けず、某大手会社の最終面接まで進みましたが、プロジェクトマネージャーという仕事を向こうから提案されました。

  • 最終的に不妊治療による身体と精神的ストレスと、通院の頻度を鑑みて、キャリアを断念しました。

  • 現在は、ホルモン剤により?情緒不安定になることがあるので、精神を落ち着かせる漢方を戻しています。

なんとかうつ病から回復して、体調が良くなってきましたが、その矢先には排卵障害という絶望が待っていました。
そもそも、妊娠を望んでうつの治療に専念していたのですが、良くなって蓋を開けてみたら、なんと、不妊の症状が根底にあるという。
うつ病が良くなっても、薬をやめても、私には試練が待っていました。

就職についてもかなり絶望的で人生何度目だろうという挫折を味わいました。
とはいえ、応募していたのがどこも大きな人気の会社だったので、まだまだ挑戦不足でしたが、自分の人生に対してものすごくやるせなさみたいなものは感じました。
プランナー職で応募したものの、唯一就労できそうだった職種がプロジェクトマネージャーという、私がやりたいこととは別のマネージメント業務でした。

うつ病については、以前まで「治る」や「治せる」など考えていましたが、良くなった今は全然違うように捉えています。
もちろん、病的な言動や思考、身体的な苦痛は改善されます。
良くなれば行動範囲が増えますし、体の不調や疲れが取れれば考え方も変わります。
身をもって経験しているので、そこは断言できます。

ただ、やはり根本的に治ることはないんですよね。
でもこれはどの病気もそうだと思っています。(風邪にしろ、癌にしろ、コロナにしろ…)
一度良くなれば、次にまた同じことが起こらないように予防はできます。
生活習慣からの再発防止はもちろん、考え方を徐々に変えていく訓練や身体を強くしていく訓練ができればきっと、大丈夫です。

だけど過去にたくさん傷ついた経験やトラウマがあればなかなかそれを変えていくことは厳しい。
アレルギーのように、いつどこで過剰量を超えてまた何かが炎症するか分からないのと一緒で、なんでも、精神的ストレスもほどほどにしないとまた再発してしまいます。

適応障害も一緒で、なんでも小さい頃に適応しようと頑張っていたから、ある日突然適応力の過剰量を超えてしまい、突然適応できなくなる。
それも適応しようとすればするほど。

悲しい気持ちや辛い気持ちも起きすぎるとこれ以上は無理だよって身体が言うようになり、強制的に休むようにさせられます。(結果うつ病になります)

だから私にとっての人生の課題は悲しいことや辛いことからなるべく避けること。

なんですけど、長年うつ病だった私からするとそういうネガティブな思考が癖になっているのでなかなか難しいのですよね。(何事も頻繁に起こったり継続したりするとそれが自動思考になってしまう)

だから、良くなった今も、自分のうつ的な心と思考の治療を続けています。
多分、一生治療は続いていくんだろうなと思います。
なので、「うつ病」になった時の症状は抑えられますけど、「うつになる自分」は治せません。

そう言ったら、治らないのかよ…と絶望を感じる方もいらっしゃるかもしれませんが(昔の私がそうでした)、先ほども述べたように、うつになる自分と向き合っていけば大丈夫。

結局なんでも努力は必要です。
疲れたら、休む。
少し動けるようになったら、身体を動かす。
自分に良いことをたくさんする。(食事とかリラックスとか笑ったりとか)
自分を大事にする。周りを大事にする。

その繰り返し。

という考えになりました。(長くなりましたね)

以前お世話になったフォロワーさんがものすごい良いことを言っていて、

「自分の名医は自分」

これ、本当にその通り。

自分の人生は自分しか築いていけないのと一緒で、自分の心や体を癒すことができるのも自分だけなんです。

医者も含め他人はあくまで補助するだけ。

だから、不安を抱えていてうつに悩まれている方で、今の状況を良くしたいと思っていたら覚悟を決めちゃってください。
他人に不安や自分の問題を解決することはできません。
自分のことをなんとかできるのは自分です。

逆に言えば、他の人が言うことは「参考にする」だけでよし。
他の人の不安や問題もその人自身にしか解決できないのだから、考え方や心の在り方、悩み、脳みその構造すべてが細胞レベルで違います。

その人の幸せや喜びなどの感じ方や、生き方はその人にしか分からない。
そんなに違うのだから、相手の意見に一喜一憂する必要はないです。

というのは自分にいつも言い聞かせていることなんですけどね。

それで、今の私はどうしたら幸せになれるのだろうっと、悶々と考えていました。
考えても分からないので、書いて頭の中を整理することにしました。

どうやら、私は女性的な部分が強いようで、べらべらと話しながら発散しないと考えがまとまらないようなんです。

あんなに仲が良かった夫とも、東京へ引っ越してからは忙しくなってしまったので、余裕もなくなり、普通の夫婦になってしまいました。

専業主婦の私は夫としか話す機会がないので、話せないというのは辛いけど、家に帰ってきたらべらべらと話す妻がいる夫もまた心休まらないのですよね。
疲れた夫は、家でぼーっとしたいのですから。

私はうつが良くなったら何でもよくなると思って、そう信じて頑張ってきました。

でも実際は違います。

うつが良くなってからの方が断然試練が大きいです。

さて、身体が動くようになったから何をしようという時に、やれること、やらなくちゃいけないことがたくさんあって、大変です。

お金もないから仕事もしたい、年齢的にも子供を産みたい、でも両立してストレスを溜めるとうつが再発するから自分のケアもしないといけない。
それから家事もしないといけない。

余裕ないと夫婦喧嘩も増えるよね。

そうしていくうちに、私は本当は何がしたいんだろう?ってずっと考えるようになりました。
今、新しく人生をやり直すとして、じゃあ何がしたいんだろう?って。
今までは薬をなくすことを目的に過ごしていましたけど、目標達成した今、私は自分の人生をどうしていきたいのだろう?

うつが良くなったら排卵障害という絶望が待っていました。
今はその治療に専念しています。
でも、ずっと家にいるのは辛い。
仕事はフルタイムでできないから、パートを探そう。
でも、ゲームプランナーとしてのパートはない。
そもそも、労働時間が長い過酷なゲームプランナーという人生をずっとやっていくつもりなのか?

昔は映像制作がしたいと思ってクリエイティブ業界を目指していました。
でも、映像制作だって体力勝負だ。
メンタルが強くないとままならない。
やりたいことが自分の身体にあっていないのではないか?
でも、心が躍るのは、やりたいことをやっている時なんだ。

どうしたら、喜びを感じられて、情熱を注げて、社会貢献になるのだろう。

多分、何か嬉しい、楽しいを集めないとストレスが密に関係している排卵障害は良くならないだろう。

子供が欲しい。
でもできない不安が付きまとう。

不安をどう解消したらいいのだろう、と考える時、やっぱり社会貢献をして人とつながる時なんだ。

母が最近私に言い放った言葉がまるで呪いのように頭の中をぐるぐるする。

「あなたはいつもないものねだりをして、劣等感を感じたり比べたりするからいつまで経っても私やお姉ちゃんの上に行かれないのよ」

私は確かに劣等感の塊だ。
自分のことを下に見る癖がある。

でも、仕方がないんだ。
そう感じたくなくても、そう感じてしまうんだもの。

不妊治療に専念すると決めた今、キャリアを行く道は一時的に断念した。
今は妊娠という奇跡に全力をかけたいから。
奇跡を起こすのにはパワーがいるし、その後お腹の中で育てていくことも、出産後に子供を育てることも相当なパワーがいる。

弱い私には両立はとてもじゃないけどキャパオーバーだから、今は一つに絞ると決めた。

その判断は私の正解だ。

だけど、自分の人生を肥やすことは常にしていきたい。

そうじゃないと、きっと幸せを感じられない。
それが絶対妊娠にも関係していく、と思う。

無理のない範囲で人生を肥やしていく。
だけど、そうするにはどうしたらいいのだろう。
私は何がしたかったんだっけ。

思い出せ、思い出せ。

私は、人が喜ぶ顔を見たい。

ゲーム制作は直接お客さんの顔が見られないから、もしかしたら違うのかな。

でも、モノづくりは好き。
何かを形にするのは好き。

営業や接客はそれができないのと、私のメンタルでは不特定多数と関わることができないから向いていない。
故に、継続が困難だと思う。

少人数と関わりながら、喜ぶ姿が見られるお仕事ってなんだろう。

今思い出せるのは、ロスで映像制作のインターンをしていた時だ。
撮影をして、インタビューをして、編集をして、その人の生き方、考え方を撮りながら、人生ドラマというストーリーを作り上げる。

そんな時にものすごい喜びを感じていたなぁと思う。

結局、考えるよりやってみる、なのかもしれない。
だけど、ずっとあの時の瞬間が心に沁みついて頭から離れられない。

生きる意味を考えるのは、時間の無駄なのかもしれないけど、生きがいを見つけるのは、人生に必要なことだと思う。

私にはもう少し、あともう少し考えがまとまるまで、時間が必要だ。


最後に、不妊治療の話に戻りますが、私は今まで、自分を大切にしてこなかったから、排卵障害になった、と思っています。

自分にとって何が大切か、というのはその時分からないとは思いますが、自分の心に正直になって、必要なものを取り入れていくというのはとても大事なのですが、ここで肝心なのが、「何を手放すか」なんです。

なんでもやりすぎ、は良くないと思っています。

人間引き算が大事というか、何を取るかより、何を取らないかでその人の在り方が決まるというか。

なんでも食べたいと思ってハンバーグもお寿司もケーキも食べるとお腹を壊したり気持ち悪くなったりするのと一緒で、なんでもキャパはあります。

心も一緒。

私は自然と卵胞が育たなくなりました。
それは、私が今まで身体に負荷をかけすぎてきてしまったからだと自覚しています。

だから、選択は必要だと思う。

何かを得ると、その分何かを犠牲にする。

それに遅ればせながら気づきました。

頑張るのはいいことです。

でも頑張りすぎるといつか何かを失うことになります。

私にとってなんでもやりすぎた結果がうつと不妊でした。

自分の身体と、自分の気持ちと、自分を大事にしてくれる人を大事にする。
あとのことは正直どうでもよくて、細かいこと。
だから気にしない。

それだけです。
引き算って覚悟がいるけど、
人生を「シンプル」にすることが、幸せの秘訣だと、そう今は強く感じます。

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