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「持って生まれて今まで抱えてきたからには、ぜったいに意味がある」-『ライフストーリー インタビュー』

「持って生まれて今まで抱えてきたからには、ぜったいに意味がある」

鈴平 諒子(50)


小さい頃はとにかく泣き虫だったんです。あなたは泣き虫ね、って幼稚園の先生からいつも言われていて。すぐ泣くところを直さないと、みたいなことを、小学校低学年くらいまでずーっと連絡ノートに書かれてました。なにをそんなに泣いていたのかは…シチュエーションや自分の感情は覚えてなくて、ただ泣き虫だってずっと書かれていたことは覚えている。だから泣いてたこと自体は自分でもあんまり覚えてないんですよね。普段は普通に明るい子だったんじゃないかな。歌を歌ったり、絵を描いたりするのが好きな子でした。
覚えてないなとほかにも思うのは、お母さんと手をつないだとか、抱っこされたとか…そういうことを覚えていない。でもお留守番のとき、ちょっと買い物に行ってくるよ、ってお母さんが家を出て行っちゃったようなときは、帰ってくるまでずーっと泣いてたのを覚えてる。そのときは泣いてましたね、泣いたことを覚えている。どうしてそっちは覚えているんでしょうね。やっぱりすごくさみしかったからなのかな。
 
そんな私が泣き虫って言われなくなったのは…小学校3年生のときにいじめにあったのがきっかけになるのかな。
3年生になって初めてのクラス替えがあって、学級委員を決める投票で1位になったんですね。私学級委員に選ばれたんだ…がんばろう、そう思っていたら、女子のほうだけやり直し、ってそのとき先生が言ったんです。どうしてかというと、先生がお気に入りの出来のいい子がいて、その子が2番目だった。それで何かしらの理由をつけて上位ふたりだけで投票をやり直すことになって、結局、そこで1位になったその子が学級委員になったんです。私には任せてもらえないんだ…って、すごくそう思った。おかしいよね?あの子の方がまじめで成績もいいからって、ひいきじゃない。そうも思ったけど、先生には言えなかった。当時まだ言いたいことが言えない泣き虫だったし。それでもどうして私じゃダメなんだろう、と思うとすごく悲しかったし、納得いかなかった。その子がすごく気まずそうにしてたのも、なんとなく覚えているんですけどね。
3年生のはじめにそんなことがあって、しばらくしていじめが始まったんです。ひとりリーダーみたいな女の子がいて、あとは取りまきの子たち。その女子たち数人が休み時間になるとわっと私の周りを取り囲んで、ひたすら悪口を言ってくる。わーわー言われる中で私はずっと泣いていました。ほかにも朝礼や体育の時間に後ろから砂が飛んできたり。クラスのほかの子たちはみんな傍観者。今思えば、ほかの子たちは自分がターゲットになるのがこわいし、男子なんてどうしていいか分からないだろうから傍観者になるのもしかたないと思うけど、そのときは全員が敵だと思っていた。クラスで話せる子は誰もいなかったから。
それでもいじめられているとは誰にも言えなくて…お母さんにも、ほかのクラスや近所の友だちにも。先生にも、投票のことで不信感もあったしあんまり好きじゃなかったから、言おうとも思わなかった。実際だいぶ経ってから先生の耳に届いてようやくホームルームで取り上げられたときも、なにが原因なの、なんでそんなことしてるの、やめなさいよ、みたいに言うだけで、それで終わり。どうしていじめているのかちゃんとした話し合いとかフォローとかなにもなくて、ぜんぜん納得できなかった。そもそもいじめの原因や理由なんてないんですよね、私がなにをしたというわけでもないんだから。
 
結局それでいじめ自体はなんとなく終わったんだけど…私はみんなに嫌われていた、っていう意識が、そこでできあがっちゃったんですね。それまで小学校1、2年生の頃はクラスのみんなと仲が良くて、休み時間にはわりと、友だちが私のところにわっと集まって来てくれていたんです。そこでちょっとイラストを描いたりするとみんなが喜んでくれて。わーかわいい!あれ描いて、これ描いて、って和気あいあいとした感じで、毎日すごく楽しくて。だけどいじめにあってからは、そういうみんなと仲良くっていうのが…心の底からはできなくなってしまった。もちろんクラスが変わったらまた仲のいい子もできて楽しく遊んだりもするんだけど、それ以降はたぶん、周りに対してずっと心を開けないままだったと思う。だからあのいじめを機に自分が変わってしまった、という思いがやっぱりあるんですよね。変わってしまって…まだ戻れていない、そんなような感覚も。
ただそこから私は泣かない子になっていた。5、6年生になったあるとき、あなた気が強いよね、って友だちに言われてびっくりしたんですよ。あれだけ泣き虫だと言われ続けてきた私が!そう思ってちょっとうれしかったんです。うれしくて、そうか、そんなふうに言われる私になれたのはあのいじめに耐え抜いたからだ、と思ったんです。あれをひとりで乗り越えたから強くなることができたんだ、って。高学年になる頃にはそんなふうにも思えるようになっていました。
でもいじめの傷が完全に癒えたわけではなかったんですね。中学校に入ってからも、中学は小学校とほぼ同じメンバーだったから、私がいじめにあったことをみんなが知っていて。もちろん知らない子もいるんだろうけれど…それでも、私はいじめられていた、嫌われていた、それをみんな知っている。そう思うとやっぱり周りに対して心を開けなかった。だから友だちと遊んでいてもいつもどこかで一歩引いているんです。みんな良くしてくれるけど本当は私がいないほうがいいと思ってるんじゃないか、そんな気持ちがどうしてもあって。だったらもうここにはいたくない、ここから抜け出したい。みんなと一緒にいながらも、どこかでいつもそんなふうに思っていました。
 
だから高校は地元の子が行かないような、いじめの事実を知る人がいないところに行こう、そう思って少し離れたところにある女子高に進学しました。それで始めのうちは楽しくやっていたんだけど、そこでもまた私は孤立してしまうんです。私がいたのは3年間クラス替えのない、ちょっと成績のいいクラスだったんですね。学年全体でいうと特進1クラスとその他数クラス、というように分かれていて。私は同じクラスで仲良くなった子がいる一方で、別のクラスの子たちとも遊んでいたんです。それはどちらかというと、学校の中ではちょっとやんちゃな部類の子たち。そうしたらある日突然、クラスの子がまた誰も口をきいてくれなくなって。要するにあんな子たちと一緒にいる私とはもう付き合わない方がいい、ということだったんですね。それでまたクラスの中では誰ともしゃべらない日々が始まり…別のクラスの子たちは変わらず仲良くしてくれたからそれが救いだったけど、でも高校生にもなるともう勝手に学校サボったりもできたから、行ったり行かなかったり、っていう感じに、だんだんなっていったんです。
 
せっかく環境を変えたのに結局また同じことが繰り返されて、高校2年生になる頃にはもう早く地元を出たい、って思うようになっていました。それで進路や将来のことを考えるときになって、グランドスタッフになりたい、って思ったんですね。あの、空港で働く人。だからそういう専門学校に行きたい、英語も習いたい、って親に言ったら、お母さんにダメだって言われて。どうしてかというと、お兄ちゃんが進学していないのに女のあなたが上の学校に行くなんて、っていう理由。ああまたか、って思いました。昔からずーっとそうだったんです。お母さんに否定されてきたことが、それまでも多すぎて。私は小さい頃から歌がすごく好きで、いつでも歌を歌っている子でした。それで中学生のときに歌を習いたい、って言ったんだけど、そのときもやらせてもらえなかった。いつもダメだダメだって母親に言われ続けてきたんです。もちろん叶えてくれたこともあるにはあるんだけど、本当にやりたかったことはぜんぶ否定されてきた、っていう思いばかりが残っちゃってるんですよね。その理由が女だから、っていうのもしょっちゅうだった。だから専門学校のことを拒否されたときも、じゃあもういいや、って。なんとか説得しよう、とかぜんぜん思わずに。それならもう東京に行こう、東京に出て働こう。そう思いました。
でも東京行きもどうせダメって言われるんだろうから、もし最後まで反対されたら家出しようと思っていたんです。それで東京で働きたい、ってお母さんに言ったら、1回でOKが出たんですよ。どうしてかというと、お母さんがそのちょっと前にめちゃくちゃ当たるという占い師のところに行ったらしいんですね。そこで子どもたちのことを占ってもらったら、私は家から出した方がいい、と。それがあって東京行きの許可が出たんです。予想外ですごいびっくりしたんですけどね。だけどもしその占い師の言葉がなかったら、お母さんはたぶんダメって言ってたんじゃないかな。そうしたら私は家出していたと思うから、もしかしたら縁を切るくらいに、もう家に帰ることもなくなっていたのかもしれない。お母さんがなぜかそのときは占い師の言葉にそのまま従ったわけだから、それも不思議なんですけどね。
それで就職することにしたんですけど、そのときにはすでに3年生も後のほうになっていたから、お前今更何言ってるんだ、って先生に言われちゃったんです。私学校いっぱいサボってたし、就職説明集会みたいなのにもぜんぜん出てなくて。だから学校は結局就職を斡旋してくれなかったんです。しょうがないから自力で就職先を探したり面接受けたりして、卒業までにはなんとか東京での仕事先を見つけることができました。
 
そうして家出せず東京に出て来られて、また新しい生活が始まったけど、やっぱり周りには心を開けないままだったんですね。だから仕事とか、恋愛でも結局はうまくいかなくなっちゃうんです。恋愛に関しては、付き合う前までは…たぶん外向きの私は、あの小学校2年生までの、みんなと仲が良かった頃の私でいられるんですよ。だから明るくて楽しそうな私の様子を見てわりと男の人も来てくれるんだけれど、付き合いが始まると途端に不安になって、私が相手に執着するようになる。尽くしすぎちゃったりとか、なんで電話くれないの、誰となにしてるの、って問い詰めちゃったり。どうせ嫌われるんだろう、私のことなんていつか捨てるんでしょ、と思ってるから、相手のことも信用できないんですね。だから相手からすると、付き合う前と後の私がぜんぜん違う。最初は向こうから近づいて来るのに、付き合い始めると私のことをどんどん重たく感じるようになって、最後はみんな逃げるように去っていく。いつもそのパターンでした。最初に私から近づいていくことは…ほとんどなかったですね。
結婚していたときも、最後には相手のいろいろな言動に対して私が怒って怒って、それでケンカしてケンカして…自分の主張をただ通そうというような、お互いにね。理解し合おうというのではなく、ただの感情のぶつけ合いみたいに、いつもなっちゃって。主導権を取ってやる、とかそんなふうに思ってるわけじゃないんですけどね、ただ分かってほしいだけなのに。だけどどうしてもうまくいかなくて、結局離婚になっちゃったんですけれど。
 
そういう自分のこれまでを振り返ってみたときに…どうして今みたいな私になったんだろう?って考えると、やっぱりターニングポイントはあのいじめなんだろうな、と思うんです。学級委員の投票のことにしても未だにすごく覚えているし、もしあのとき学級委員をやっていたら、もっといろんなことができる私になっていたのかもしれない、なんて思ったりもするんですよね。あの頃の出来事をきっかけに、自分が思うように…自由に生きられていない、っていう感覚が、やっぱりあるから。だから私わりと昔から、自由に生きるには、とか心を癒すために、っていうような本を読んでいたんです。なぜ生きるのか、みたいな哲学的な本だったり。ただどうしても上辺だけの理解というか、書かれている仕組みや方法についてなるほどね、って頭では理解できても、そういうことが実際に自分にも当てはまる、自分ともつながっている、というふうには、今まで実感することができなかった。
それで最近になって無価値観という概念を知ったとき、あ、これなんじゃないか?と思ったんです。自分には価値がない、という意識。私がずーっと持っていたのは、この無価値感じゃないだろうか。それはいじめや投票のときに抱いた感覚もそうだし、もしかしたら私の中にもっと前からあったのかもしれない。たとえば3、4歳頃の私は、親戚の集まりでいとこたちが遊んでいる輪に入って行けない、みんながいるようなところに自分からは入れない子だったんですね。そういうことも思い出して。私はもともと物心つく前とか、もしかすると生まれつき、無価値観を持っていたのかもしれない。そうやって考えたら、そんな頃からずーっと無価値観を持ったまま生きてきたんだとしたら、私のこれまでの考え方や行動パターンがすごく納得いくなと思ったんです。じゃあこの無価値観と向き合っていけばいいんだ、はじめて、そういう指針みたいなものができた。それは今までにはない、今までとは違うところですよね。だから無価値観と、それに…小学校3年生の、あの頃の自分。私の中のそういう自分を癒していこう。それが最近、私が取り組み始めたことなんです。
 
そして、もし本当にこの無価値観がずーっとあるのだとしたら…私が持って生まれて今まで抱えてきたからには、ぜったいに意味がある。そんなふうに思うんです。じゃあそこにはどんな意味があって、これからどんなふうに…自分を癒すというだけじゃなく、癒して乗り越えた私で、どうやって周りに貢献していけばいいだろう。そんなことも考えるようになって。とはいえ無価値観なんていう感情と向き合っていると、まだまだネガティブになったり、気持ちが揺れることも多いんですけどね。でも今私がここまで来られたことも含めて、すべてはタイミングなんだ、そう思えるようにもなってきたんです。これまでだっていろんなことを学んだり、反省したり、そういうたくさんのことをしてきて、なんにもしてこなかったわけじゃないから。
それにずっと見えているんですよ、もうできているんです、未来の自分のイメージは。私はぜったいでかくなる、そう思って生きてきたから。それはもうずっと!そう、だから今一生懸命、そのでっかい私に向かってどうやって行ったらいいんだろう?って、これまでにないようないろんなことにも、探り探り取り組んでいるところです。今までのぜんぶにしてもきっと必要だった経験で、ちょっと時間はかかっちゃったんですけどね。でもいいんですよ、私は必ずイメージしている私、でっかい私にたどり着くから。ずーっと重たいものを抱えたまま不自由に生きてきたのも、そのためには仕方なかったんだろうな、と思うんです。だからぜったい終わりません、このままじゃ!

(2022年11月)



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