#04_3歳の男の子を里子に迎えた、「さき」の話
トモキには、本当のお母さんがいる
という、真実告知。
トモキ君の実親は、何らかの事情で子どもを育てる事ができないと判断され、トモキ君は産まれてすぐに法的な機関(乳児院)に入った。その事情は個人情報であり、里親は知ることはできない。(知らない方がいいのかもしれない、とさきは言う。)でも、トモキ君には知る権利がある。知りたいと思う時が来たら、トモキ君だけは事実を聞く事ができ、実親に会いたいと申し出ることもできる。
「去年くらいに沖縄県で、実親が里親に対し、急に子どもを返して欲しいと言い出して、里親がまだ本人に里子であることも話していないからって揉めて、裁判になったことがあったのね。まぁ、そのせいかどうかはわからないのだけど、近年、より、基本的に子どもは実親と一緒に暮らす事が一番望ましいもので、もしも戻るチャンスがあるのであれば、里親とはそれを支援するものだ、と言われててね。講習も受けるの。」
そもそも、里親になるためには、決められた講習を受ける必要がある。そこで、その事は口酸っぱく言われるのだそうだ。
里親には、短期での受け入れもあるが、さきはどうせ預かるのなら、18歳まで預かりたいから、できる限り長く預かれる(預かれそうな)子を希望する、という話はしたそうだ。長く不妊治療をしていて、授かれなかったから、という話と共に。
トモキ君は、生まれた病院から直接乳児院に来た。その日以降、母親は一度も面会に来た事がない。そういうお子さんなので、恐らく、戻る可能性は低いお子さんかと……と説明があったそうだ。
「でもトモキ君は、養子縁組希望はされてなかったんだよね?」
「そう。まぁ、これは私の勝手な想像なんだけど、トモキのお母さんって人は、まだ自分の人生でいっぱいいっぱい、という人なんじゃないかなーって。自分のこの状況に向き合う事自体しんどい……自分が産んだ子を、養子縁組にするか里親にするかの判断自体、できないのかなって感じてる。」
さきとトモキ君は、側から見れば普通の親子となんら変わりなく見える。でも実際は、様々な場面で実親の承諾が必要な事が多い。予防接種を受ける場合も、いちいち承諾がいるのだとか。
「預かってすぐの頃、トモキがもしかしたら難聴かもしれないという事があって、精密検査をするために全身麻酔が必要になったの。でも、私たちじゃダメなの。実親の承諾がいる。なのに、なかなか連絡が取れない。実親の親族に取り次いでもらって、やっと連絡が取れるとか、そういう感じ。」
幼児期は、頻繁に予防接種もあるし、病気もしがちだから、大変な話だ。
「保育園とかで、トモキ君の名前はどうしてるの?」
「白田だよ。白田トモキ。通称名っていうみたいなんだけど。保険証とかも、白田トモキって書かれてて、でも本名と併記されるのね。」
里子として育った子どもは、18歳になると法的な名前に戻るため、実親の名字に変わるのだそうだ。知らなかった。
「講習でね、SNSとかには顔写真を出したりしないでくださいって指導を受けていてね。ほら、彼の個人情報だから。保育園とかにも、園で撮影したトモキ君の顔写真は、宣伝に使用したりするのはやめてくださいって、児相(児童相談所)の方が、毎年説明に来てくれるの。トモキ君はこういう事情のお子さんですーって。小学校でも引き続きやるんだって。」
特に面倒くさそうな雰囲気もなく、さきは淡々と教えてくれる。さきにとっては初めての子育てがトモキ君なのだから、ある意味それが普通なのかもしれない。
「名前が二つあることは、もうトモキも知ってるの。自分の出生のことを告げることを『真実告知』って言うんだけど、物事がわかる年齢になったら、説明しなきゃいけない。今5歳だから、それが今年のタスク!」
大きくなってから知ったり、人伝に聞いてしまったりするとショックを受ける、と言われているので、未就学児のうちに話すのが原則。なんとなく小さな頃から繰り返し聞いていて、大きくなるにつれて、その意味がしっかりとわかってくる、という方がショックが少ないのだそうだ。
今、さきと白田さんは、児童相談所の人から講習を受けながら「トモキ君物語」というアルバムのようなものを準備しているそうだ。
「トモキは赤ちゃんの時に、お母さんから生まれました。事情があって、乳児院に来て、3歳の時に、今のお父さんとお母さんの所に来ましたー。ってね、小さい頃からの写真を貼って作ってるよ。」
「そうなんだぁ。親の方も、最初からそうやって説明していた方が気持ち的に楽?なのかもね。」
「まあ、そうだね。」
でも、こうやって小さな頃から伝えていても中学生になる頃など、一度は必ず揺らぐ時が来るのだそうだ。自分のアイデンティティを考える時期は、誰にでもある。だから、それを見逃さないようにしないといけない、とさきは教えてくれた。
「この前同級生の家族で会う機会があったんだけど、その時トモキが他のママに『僕はね、ちっちゃい頃は乳児院にいてね、3歳の時にお父さんとお母さんのところに来たんだよ」って説明してたって。『でもね僕はお父さんとお母さんが好きでー』って話してたって聞いて驚いたの。友達が、トモキ君は思っている以上に社会性があって、色々わかってるよって教えてくれて。子ども扱いしないでちゃんと向き合うといいよって言われた。そう言われると確かにトモキ、順応性はすごく高いかもしれない。」
「そうだよね、小さい頃から関わってる大人の数がすごい多いもんね。」
「よく泣くんだけど、受け入れるんだよね。イヤイヤ期もね、あんまりなかったかも。もしかしたら、いろいろ飲み込んでるのかもしれない。」
さきは、育児に悩む母親の表情で言った。
「トモキは、ちょっと体も小さくてね、少し精神的にも幼いんだよね。今5歳だけど、4歳の子よりも体も小さいくらい。実は、甲状腺ホルモンが生まれてから全然出てなくて、人工的に入れてるから、その影響なんだけどね。でも、私としてはね、これってボーナスタイムくらいの気持ち!だって2歳くらいから預かれた、みたいな感じじゃない?」
トモキ君には持病があった。少し成長もゆっくりめのようだが、さきはそれを優しく笑って「ボーナスタイム」と言い切った。
43歳、ある日突然
3歳児の母になる。
「ちなみに最初の1ヶ月とかって、仕事どうしてたの?育休とかって取れるの?」
「認定されないと『親』になれないから、育休とか取れないの。児相の人には、職場と相談してくださいって、言われた。」
会社には交流を開始する時点で「里親になる」旨を伝えたそうだ。
「4月から、子の親になりますって話をして。それまで出張が多い仕事だったから、部署替えを希望してね。あと、4月はこれだけ休みを取りたいって伝えた。給料なしでもいいからって話して。で、希望は全て通してもらったの。」
43歳、さきが、それなりに責任のある仕事も任され、会社とも対等に話ができるレベルにいたからこそなせる技だったのかもしれない。
「白田さんは?お休みとったりしてたの?」
「いや、白田さんは休んでないね。」
「じゃあ、平日は二人きりか。それ、結構ドキドキだね。」
「うん。しんどかった。しんどかったわぁ……。」
今まで淡々っと事実を話していたさきだったが、
ここへ来て初めて弱音が出てきた。
「もう、これはダメだぁって。早々に保育園に入れないと、私倒れるわって思って。児相に相談して、一緒に探してもらって、5月から保育園になんとか入れて、仕事に戻った。だからね、里親制度自体にも、まだ、いろいろ穴があるね。どう考えても、働いてない母親前提だもんね。」
「そうだね。甥っ子姪っ子がいたとは言えさぁ、毎日一緒に暮らしていたわけじゃないじゃない?それなのに、3歳の子をさ、突然あなたに命預けますってなるんだよね。やっぱり、なかなかない体験だよね。」
「そう!最初の1年がもう、正直あまり記憶がないんだよね。必っっ死だった。」
私も1歳で娘を保育園に預けて仕事復帰したあの1年は、記憶がないほど必死だった気がする。ここは同じだなと感じだ。
「でもさぁ、新生児とかよりは、やっぱり遥かに楽だと思うんだよ。うちの母親が頻繁に来てくれて、手伝ったくれたんだけどね。『あんた、いいね〜!3歳なんて滅多に死なないし。何ならもう、自分でトイレにも行けるしさ。でも、まだ小さくって、かわいいかわいい♡ 一番大変なところは育ててもらって、よかったじゃーん!』って(笑)。私もそう思った!」
なんて、いいお母さん!里子を迎え入れるという娘に対して、もう、これ以上ないくらい最高の返しだ!
「そうだ、お母さんにはいつ言ったの?」
「登録をして交流を始める時に、母親だけにはちゃんと話したの。母は応援してくれた。父親はちょっと頭固くて、あまりコミュニケーションがうまく取れないタイプの人だから、交流がうまくいき出した頃に、やっと話した感じかな。」
「帰省した時に、直接話したのね。反対はしなかったけど、『挑戦だね』って言われた。挑戦って、お父さん、あなた子育てしてないよね?って半分思っだけどね(笑)」
そんなさきのお父さんだが、今はトモキ君をものすごく可愛がってくれているそうだ。
「白田さんの方は?」
「白田さんは、お母さんしかいなくて。こちらも登録の時に話したけど『あらまぁ〜。』みたいな感じでね。元々干渉してくるタイプではなかったから、意外とすんなりと受け入れてもらった。」
「でも、お父さん方の106歳のおばあちゃんって、ドンみたいな人がいてね。そこにはお伺いを立てておかないとって、ドキドキしながら報告に行ったの。白田さんは一人っ子でいとこもいなくて、本当に“子ども”が全然いない家系だったから『えーー!』ってなったんだけど『それは楽しみだ!!』ってなってね。無事完了。」
さきと白田さんの親御さんは、割とすんなりと受け入れてくれた印象だったので驚いた。養子縁組だとまた印象も違ったのだろうか。
本当の子どもではない、メリット。
「トモキ君を預かるのは、18歳までって決まってるの?」
「決まってる。でも、例えば進学してたりとか、まだ働いていないとかだったら20歳までは延長できるの。まあ、その頃には本人の意思があるから、居たかったら居てもいいよってなると思う。絶対に外に出さないといけないとかはないよ。あ、でも、東京都からの手当とかはなくなるかな。」
その頃までに、トモキ君がきちんと一人で生きていく事ができるように、児童相談所の人が毎年来て、自立支援をしていくのだそうだ。
「今は私たちが代理で、児相の人と一緒に計画を立てているの。『・自分の身の周りのことができるようになる。・挨拶ができる。・ごめんなさいが言える。』とかってね、その年の目標を一緒に作ってるんだけど、もう少し大きくなったら、本人が児相の人と一緒に計画を立てていくことになる。だから、この辺りは普通の子とはちょっと違うよね。常に“自立”を意識して生きていく感じ。」
「確かに。18の時の私たち、そんなこと考えてなかったよねっ。」
高校3年生の自分たちを思い浮かべて笑った。
「今の所、実親さんが突然、例えば相続の関係とかで『うちの子を返せ!』って言ってくるとか、そういうことへの不安はあまりない、の?」
「うーん、あまりないけど……常に意識して、
覚悟をしておけって、いつも言われる。」
我が子との別れを常に覚悟しておくって、さらりと言うが、それは相当な覚悟である。自分の事として、我が子で想像したら、1秒で涙が出そうになるので、考えないようにして話を聞き続ける。
「でもね、忘れるよね。毎日生活してたら。
ついね、ずーっと普通にいるって思っちゃう。」
「そうか。そのくらい境界線がなくなって、我が子になっていくものなんだね。」
「そうだね。やっぱり一緒に住んでるとね。向こうもさ、普通に懐いてくれるからさ。でも、そうじゃないと。愛情形成できないよね。」
私はそもそも、血のつながらない子どもを育てるなんて絶対できないと思っている人間なので、里子の子を我が子と受け入れていくのには、もっと葛藤や迷いがあったりするものなんだと想像していたが、さきとトモキ君からは、そういう話はいっさい出てこなかった
本当の家族ではないことを、忘れてしまうくらい、
きちんと家族になっていくんだ。
「元々、私自分のことがあんまり好きじゃないって言ったじゃない?だから、自分の産んだ子が、なんかもう、すごいダメじゃん!ってなった時に、自分に責任を感じそうなんだよね。それ、私の遺伝子じゃんって。でもトモキはさ、自分の責任じゃない。ダメなとこがあっても、受け入れられる。冷静に見られるって言うか。実の子じゃないことの、メリットとすら思える。毒親ってよく聞くけど、子どものことを自分のものだって思っちゃうのも制することができるし。自分の思い通りにはできない“他人”だって、ちゃんと思える。」
さきはうんうん、と自分で納得するかのように頷いて……
「うん、メリット。」と、もう一度言った。
「あとさ、最初の頃は児相の支援員の人が、2週間に一回とか、すっごい家に来てくれる。ここで遊ぶといいよとか、普通のお母さんよりも、ずっと支援してもらえる。産んでもないから、体も別に元気なのに、すごい手厚い!里親仲間さんとも『普通のお母さんたちって、これがないんですよねぇ。』って、この前話したの。一人で育ててるんじゃなくて、みんなで育ててる感じがするな。それもメリット!」
「ま、とはいえさ、ここまでくるのに、10年かかってるからね。不妊治療を10年やって、やっとここにこれたのかな、とは思うよ。」
「30代ではできなかった?」
「できなかった。やっぱりゆっくりと諦めて行く時間っていうのは、必要ってことかな。」
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