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holoholo #0


'ole、オレ。ハワイの言葉で0の意味。


 十四歳の私。

 黒い壁にグレーのパーカーが掛かっていた。背中一面にモノクロの女の人のフォトプリント。babycatのタグに並ぶ五桁の金額には手が届かない。店員に促されて試着した。ミニスカートが隠れるくらいのオーバーサイズのパーカーは、袖が長くて手の平が隠れる。
「ロングリブがかっこいいよね。ジッパーはタロンだよ」
 店員のお姉さんの言っていることが分からなかったので、鏡に振り返って背中のフォトプリントを眺めた。
「この人知ってる? ベティ・ペイジっていうの」
 裏マリリン・モンロー。プレイボーイのピンナップガール。ボンテージ・クイーン。ショップに流れているのはシド・ヴィシャスがカバーしているサーチアンドデストロイ。オリジナルはストゥージズ。シド・ヴィシャスはセックス・ピストルズのベーシスト。

 夏休みの横浜駅の人混みを避けて、ファッションビルの冷気の中に入る。エスカレーターで四階に上がりbabycatのショップに着く。ショップに店長のお姉さんの姿はなかった。私はお姉さんを名字にさん付けで呼んでいたけれど、お姉さんは私をアイと呼んでいた。もう一人のお姉さんが「飛んじゃったんだよね」と教えてくれた。十八歳で店長になったというお姉さんは、突然ショップを辞めてロンドンの男のところに行ったらしい。



 
 十八歳の私。
 鎌倉市材木座の実家からバスとJRを乗り継いで、横浜のファッションビルまで五十分。babycatの販売員になりたがっている子は多いけれど、通うのはちょっと、と思っていた私は、高校を卒業してぶらぶらしているうちに社員になっていた。
 ショップには一つ先の季節の新作が入荷する。キャミソールと袖の短いTシャツを社販した。接客する時は店頭に並んでいる服しか着れなかった。このTシャツが色欠けしたら、また違う商品を買って着替えないといけない。
「刺青が入ってる、って履歴書に書いてあったら採用しなかったのに」と社長に言われたり「体重が五十キロを超えたらクビね」とマネージャーに言われたりした。一五九センチ四十七キロは、そんなに太っていないはずだし、マネージャーも同じくらいじゃない? と思う。
「返事は『うん』じゃなくて『はい』でしょ」
「はーい」
 横浜店にいたお姉さんは、マネージャーという店長より上の役職に昇進して幾つものショップを担当していた。
 夏のあいだに歳が変わる。十八歳の夏が終わり、十九歳の夏が始まろうとしていた。babycatの秋冬のデザインコンセプトはグランジだったので、真夏にこれでもか、というくらいに重ね着していた。
「アイはただでさえ若く見られるんだから、お客さんに敬語を使いなよ」
「敬語だと仲良くなれないじゃないですか」
「そんなことないよ。敬語でもいくらでも楽しくできるよ」
 商品を購入しなくても、ショップに遊びにくるだけの中学生や高校生も大事な客だ。babycatの商品は安くない。未来の顧客を掴むことも大事だし、付加価値を提供しなさい、と社長は言った。服の手入れの仕方や洗濯の仕方、染み抜きの仕方も覚えた。初めて買ってくれた人にカスタマーズカードを書いてもらう。毎日、購入者全員にお礼状を書いた。DMのデザインは定期的に刷新され、新しいポストカードが届くたびにスタッフのテンションが上がった。私もポストカードをコレクションしていた。ストックするためのアルバムがノベルティとして登場した。babycatのポストカードは高額で取引されることもあった。
 ほぼ毎日ショップを訪れるマネージャーと社長に教えてもらいながら、私は仕事を楽しんでいた。babycatの販売員だということにアイデンティティを感じていた。二つ年上の店長がいたけれど、八月のノルマを落として九月末に辞めた。一つ年上の女の子が店長として横浜店に移動してきた。何回か新しいスタッフが入社したけれど、すぐに辞める子もいた。最短記録は半日。その女の子は昼の休憩に行ったきり帰ってこなかった。


 ファッションビルの同じフロアのショップに和希(かずき)という女の子がいた。従業員の休憩室で挨拶を交わし、話していて同じ歳だと知った。ひと月も経たないうちに、先に休憩時間に入った方が呼びに行く仲になった。
 和希はベティー・ブルーのベアトリス・ダルみたいな大きめの口で笑った。髪はジーン・セバーグのセシルみたいなベリーショートだった。私はミルクティー色のシャギーボブで前髪とサイドの髪の長さが同じくらいだった。
 同じ早番で仕事が終わってから、和希と一緒に近くのビルに遊びに行ったことがある。ビルの一階と二階を繋ぐエスカレーターに乗っていた時、十四歳から使っているbabycatの缶バッジがバッグから外れて転がって行った。缶バッジが音を立てて落ちて行くのを、私はゴミを見るように眺めていたけれど、和希は慌ててエスカレーターを逆走して拾いに行ってくれた。
「どうして取りに行かなかったの? 大事にしてたじゃん」
 もう一度エスカレーターを上って缶バッジを渡してくれた和希は、責めるような目で私を見た。
「後で取りに行くつもりだった」
 思ってもいなかったことを答えると「そっか」と和希は満面の笑みを見せた。私は和希の笑顔が眩しかった。
 それからも休日が合えば二人で海辺を歩いたり、同じ日程で連休を取って箱根や伊豆へ旅行したり、たまに藤沢市辻堂の和希の部屋に泊まりに行った。和希の父は亡くなっていて、母とシングルマザーの姉と、和希の姪が二階建の家で暮らしていた。一緒に過ごす夜はルーツロックレゲエが漂う部屋で、彼氏の話をしたり、和希が読んでいた岡崎京子や私が読んでいた水野純子を教え合ったりした。和希はラブアンドピースなレゲエだったし私はヘイトアンドウォーなパンクだった。和希の先輩の店で飲んで、知らないサーファーや地元の人と知り合いになり、星を見ながら歩いて戻った。朝は朝食をご馳走になりその日のシフトを迎える。幼稚園バスを待つ和希の姪はママと朝の支度をしていた。初めて会った和希の姉は、和希によく似たショートカットの大人の女性だった。
「姉は鬱病なの」
 和希の姉は少し寂しそうに見える笑顔を向けてくれた。
 和希は私のことを、偏見のない健全な精神の持ち主だと評価してくれていたに違いない。でも十九歳の私は、誠実さや真心よりシド・ヴィシャスを愛していた。私は和希の素敵な姉であり可愛い女の子の素敵なママに対し戸惑いと無知を見せた。

 今の私。
 和希の姉に出会ったあの瞬間から二十年が経ち、髪が伸び同じ一人の女の子の母になっている私は、あの時の、和希の姉が抱えていた病気だと診断された。


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