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無数に波打つラクトアイスのひだにとっかかりを重ねて

眺めているだけで目を奪われる。じーっと見ていても飽きない。でも早く食べなきゃ。それがラクトアイスをさじですくったときにできる『ひだ』。スーパーカップとか爽とか。ステンレスのさじですくうたびに細かく波打つアイスの表面。無数の造形。でも早く食べなきゃ溶ける。だから食べる。でも気になる。何か呼ばれている。

そんなひだひだ。いくつもの連なる凹凸。人はどこに引っかかるかわからない。それなら、いくつもとっかかりを作ってみたい。どこかに引っかかったらラッキー♬ 引っかからなきゃ、まぁそれはそれ。食べ続ければまた新しいひだができる。何がヒットするか、やってみなきゃわからない。ヒットし続けるまで、すくう。食べる。すくう。食べる。

次男が好きかな、と選んだ抹茶アイス。でも、三男が次男のために選んだアイスの実に敗北…

跳び箱10段はいきなり跳べない、跳ばない

一度、やっただけで、諦めていないか。もうダメだって。ぶつかったら、すぐに一歩引いていないか。見えない敵に怯えて。試行錯誤できているか。

勝手に目標のハードル上げて、目標と自分との差異を異常に開いて、できない自分に打ちのめされて…と独り舞台でジタバタやっていないか。

自閉症スペクトラム(ASD)と診断された、うちの長男がそんな感じだ。目の前の課題を必要以上に難しいことと捉える。たとえば定期テストは50点、60点取らなきゃとか。前回は10点、15点だったのに。いきなりそんなにハードルを上げる必要なんてない。私も「まずは5点上がれば上出来! 5点取るために何ができるか考えてやってみよう」と伝えられたらよかった・・・。

真面目だから、「やらなきゃ、できなきゃ」と必要以上に自分を追い込む。いやいや、硬くなったら、普段以上に力発揮できないって。もう十分に責任を感じているんだから、それ以上、プレッシャーかけなくていいんだって。

いきなり10段の跳び箱は跳べない。まずは3段、4段。その達成なくして、10段は跳ばなくていい。今、そのレベルを跳ぶことを選ばない。今の自分に必要なのは・・・それを客観視できないから苦しい、つらいんだけど、外側からの働きかけも、頑なに拒否してしまう。自ら納得しないと動けない。それは私自身がそう。自分で「そうだ、こうだ」と思えないと前に進めない。

尽くした先に、波を生かすも殺すも自分次第

そんな自分を変えるために、いくつもの引っ掛かりを作っておきたい。人は変われる。自分自身が納得さえすれば前に進める。ただし、自分が納得いくちょうどいい引っ掛かりを作れるかどうかが最大の難題。

前に進むために――やり残したことがあれば、これでもかとやり尽くし、見過ごしてきた感情があれば十分に味わい尽くすこと。

そのままにした課題は、いつか自分自身を追って、ぶり返す。形を変えて、いつか必ず突きつけられる。人生は不思議と都合よくできている。誰にとって都合がいいかはまだよくわからない。

でもきっと、それぞれの人生にとって、必要に応じた気づきが必要なタイミングでもたらされるように、なぜかいろんなことが絶妙な時期に組み合わさる。そのときは意味が全く分からなくても。後々、振り返ると、腑に落ちる流れがなぜかくる。その自然の波にに抗うもよし。身を任せるのもよし。自分が納得して選ぶなら。誰かのせいにせず、自分自身のものとして、自身の人生に向き合うなら。

何もしない。それもまた直感次第

たとえそのとき、もたらされた現実が納得のいくものでなくても。納得いくまでできることを尽くす。動くことも、待つことも、何もしないことも。すべては直感のもとに。思い通りにならない悔しさも糧にしよう。気づいたところからやり直してみよう。何度だって鼓舞したい。私の人生は誰のものでもない、私自身のものだから。

自分自身に言っているようで、大好きな家族一人ひとりにエールを送っているようで・・・やっぱりそれは自分に返ってくる。そう信じている。

今日もアイスを食べながら。冷えは万病のもとと知りながら。他で補完できるだろうと甘えながら。

安心して産み育てやすい社会を作るため、また社会全体で子育てを支援する仕組みを作るため、サポートいただけると嬉しいです。いただいたサポートは、あいのちの活動で使わせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。