【恋人と1年に3回しか会えなかったら】

忘れていてもいいし、ふと思い出してもいい。
塗り残しが見つからない塗り絵のように
空白以外に色付いた日々を、私は私の人生として生きている。

付き合うという形をとって1年が経ちました。
その日を1年の日だと認識しているのは
たぶん、今のところ世界でたった私だけ。

3回というのは、七夕の織姫さまと彦星さまのような、1度きりのロマンチックさではないけども、片手で数えられて余るほどなのです。

私は愛知にいて、彼は埼玉にいます。
265km、離れてる。遠距離恋愛中です。
(グーグルマップでどれくらい離れてるか話したことがあった)
天気の話は鉄板会話に近いです、意外と違うから。

電話は月に1回あればいい方、LINEも2.3週間に1回。最長1ヶ月空いたかな、2日続くことは滅多にないです。そんなペース。
決まって私から始まって私で終わる。

彼とは4.5年前にマッチングアプリで知り合いました。
今では結構普通やけど当時はそんなに流行ってなくて、出会い系やってんの?え。。。みたいな。

京都で出会いました。
お互いに京都で「大学生」をしていたから。
寒い冬に流星群を一緒に見る約束をして。
その頃は自転車で行ける距離にいたからよく会ってたと思う。

一度お別れをして再会するまで3年が空きました。

私たちは今、2回目の恋をしている、はずです。

色々と事情はあるけど、遠距離を承知での関係を選びました。

再会したときは3年ぶりで、ああ もう会う事もないと思ってたのに。声も笑い方も忘れてたのに。妙に不思議な安心感と気楽さがあるなあ、人生は何があるかわからんなあ、としみじみ懐かしんで。
ちゃんと愛を回そうよ、会いに行くのも愛、また回しに行くし、回しに来てよって。
少しは大人になって何かを超越したんやなと思いました。

彼と再会するまでの3年間、私は誰とも必要以上に近づくことはなくて誰かに必要とされることもないまま社会に出て、すっかり自分の生活リズムを構築させていたので、他人が自分の生活に入ってくる感覚がどうしても想像できませんでした。

ちょうど仕事に忙殺されながら、ひとりで強い人間が一番強いと思っていたし、たまに友達と会うことが最高の至福に感じて生きてました。

だから遠距離に対して抵抗は全く無かった。
むしろそんなにしょっちゅう会ったってどうすんの?という具合に冷めきった女になってました。。
2度目の彼とだからこそ、離れていても安心したりドキドキしたりできる。

恋愛だけじゃなくても、物理的な距離と精神的な距離はイコールじゃないと思っています。

忘れていてもいいし、ふと思い出してもいい。
急に悲しくなるし、幸福な気持ちで満たされるときもある。
別の誰かを考えていてもいいんです。
全部変わらず同じ時間やから。

と同時に、そんなに好かれてないって思いながら自分を保つことが実は常です。
悲しくなるくらい可哀想やけどそれくらいじゃないと今日までやってこられてないし。

色んな形があると思います。

私はただ、私の人生を生きている。
私だけの、部屋もお金も時間も交友関係も、彼が存在しない、私だけのもので溢れた生活。

結局今も、ひとりで立てる人間でいたいし、そんな同士じゃないと距離以外の壁も越えられないなと。

泣き出しそうな夜は仕事をしたりすぐに眠るようにしたり、随分あれこれ術を持ち合わせられるようになりました。
あとはこんな風に文章にすると昇華できそうな気がするから、私は表現者として生まれてこられてよかった。
恋も愛も逃げ道が少しあると頑張れるのかな。

恋人と1年に3回しか会えなかったら、自分のことを愛せるのは自分で、他人に愛してもらえるようにするのもまた自分なんだと、気付かされます。
それを努力と言うのなら、この世は努力のし合いっこで成り立っていてほしい。

恋人は他人だから、放っておいても愛し合える無償の愛は親だけでいいんです。

2019.03.03

#エッセイ #文筆 #恋愛話

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?