見出し画像

【何もしなくていいときに、何をしたくなるか、だ】

外出自粛が緩和されてくる中、ふと今日のタイトル「何もしなくていいときに、何をしたくなるか」を思い出した。by私!

3年ほど前、3ヶ月間フリーターだった時期に思っていたことです。

就職と就職の間の「夏休み」のような期間ではあったけども、何もしなくていい、ってサイコー!とそれなりに楽しんでいました。

外出できなかった最近のことを思えば、似たような期間やったのかも。
いや、何もしなくていい、は語弊ですね。

人間の向上心が試された期間

何もしなくていいときに、何をしたくなるかと、
何もできないときに、何をしたくなるかでは、
似て非なる表現、全然違うのでは!

ふと思い出した割に、あまり話を紐づけられなくてムズムズ。(失礼しました)

そもそも、何もと言っても、生活上の必要最低限すべきことはありますね、家事とか納税とか保険とかまぁそのへん。

どちらにせよ、時間は皆平等にあるのです。

私の「夏休み」は、とにかく1に休息、2に休息、休みたいパレード!
寝たいとかじゃなくて、何もしなくていいよ!と神さまから言われ続けるお告げにぬくぬく浸ることで、幸福を得る。
3日くらいで飽きたけどね。

あの「夏休み」と今を比べて共通するのは
友人と自由にめっちゃ会いたいでしょうか。

私に限らず世間的に同じかと思いますが、
オンラインで会うことを皆求めた末にオンライン〇〇が流行りました。

オンラインの交流に対してたくさんの向上心が溢れ交っていたと思います、溢れる愛の浸透力・・!

自分のためか、誰かのためか

何をしたくなるか、の先に
自分のためにしたいことと、誰かのためにしたいことが浮かび上がるとする。

これって結構、その人の性格や人となりが顕著に客観視できたことでもあったように感じます。

何もしたくないという意見もきっとあるでしょうが今日はちょっと目を瞑らせてください。

色々な立場や状況もあるので一個人として考えた場合、なのかな。
誰か、も特定か不特定かによるし。。ムズムズ。

何かが恋しくなる期間

何何ばかりですみません。

色々と言わずもがなですが、恋しいとまでいかなくても、何にどう自分が支えられていたのかを気付くことができた期間、でもあったように感じます。

日常の当たり前が当たり前じゃなくなった、というやつです。

人との距離も、外出するという足を運ぶ行為も、何かを恋しくなることが何かへ溢れる愛の浸透力に繋がりつつある今、ほんの少し世界は革命が起きたのではないかと個人的に思っています。

もちろん悲しみは消えないけど絶対絶対忘れない悲しみ。
これもきっと革命。
愛は世界を救う、ってどこかで聞きました私!


「夏休み」中は孤独でしたが、あの何もしなくていいとき、は私にとっては何かを恋しくなったりした大切な時間でした。

まだまだ油断はできないこれから。
いつか、大切な期間だったと言える日が来ればいいなと願います。

#文筆 #久しぶりの更新 #文章

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?