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2022年振り返り「まずは自分自身が楽しむこと」

今年もあと少しなので、振り返ろうと思います。
去年はいろいろあった(後述)ので落ち着いて書く時間があまり取れなかったですが、今年はしっかりめに。文末表現がめちゃくちゃだけど、そこは許して。

【お仕事】

5年目になりました。1年生は新課程になった…けど、今のところは昨年までとほとんど変更がないので中身的にはそこまで大きな変化はない。
それから高校の情報科免許を通信課程で取得しました。全ての単位を一発合格で取ることができたので、上出来かな。来年高校で教えるかどうかは勤務先の都合に左右されるから不明だけど受け持つことになれば、その時はその時でどんなことがやれるか、かな。わからんものはわからん。
嬉しかったのは、毎年の最後に書いてもらう授業の感想で、3年生の子が「数学は苦手なのは変わらなかったけど、先生が明るく授業をしてくれたから頑張ろうと思えた(意訳)」って書いてくれたこと。
好きになるかどうかって自分がどうこうできる話ではないし、そうなるとできるのは自分がどう振る舞うかで。怒りの感情を露わにすることって実際ほとんどないし(過去には「もっと怒ってもいいと思う」と言われるくらい)、某コーチの「いつまで甘えてやっとんねん野球!」って感じのことを言おうとしても笑ってしまう自分がいるので。どうせなら笑顔で、でも伝えることはピシッと。それが伝わったのかなと思いました。

【地元の活動】

3月に予定していたイベントは中止に。2年越しにやっとできる…!と思った矢先のことだったから、正直ショックでした。
一方で、個人や市や町での活動が増えてきました。1つ目はスポーツ推進委員の活動。2つ目は町のボランティア。それからまちづくりコーディネーター。これまでは自分がいろんな人と手を組んで企画する立場しかやったことがなかったけど、今年からは何かやろうとしている人を「支える」立場を経験することが増えてきました。
これらの活動でも、子どもたちとコミュニケーションをとることが多かったなと思いました。彼らからしたら自分が一番歳が近いだろうし、自分が慣れてるのもあるとはいえ、来てもらった人たちに楽しんで帰ってもらいたいからこそ、そうやって積極的にコミュニケーションが取れたかなと。そういうところは、先輩方の振る舞いを見て、「話しかけるのが上手い。こうすればいいのかな」と自分でやってみたのが繋がったかなと思います。
自分は下から数えた方が圧倒的に早い年齢だけど、その立場を美味しいと思って、先輩方から吸収して、新たな発見の連続で楽しく活動できたかなと思います。
あと、地元紙にインタビュー記事が載りました。母親の実家の目につくところに飾られていたのは嬉しさ半分、恥ずかしさ半分かな。

【「あり方」って。】

今年あった大きな変化として、自分の中で身近で、偉大な存在の祖父がいなかったことだと思っています。会うたびに「やっとるねー」って声をかけてくれることが、どれだけ心強かったかと思い知らされました。
今年の頭に「自分のあり方を貫く」一年にしたい、と書いたけど、それはできたのだろうか。

学び続けること、挑戦し続けること、確かにできたことはある。情報科の免許や、採用試験、スポーツ推進委員やまちづくりコーディネーターだったり。。。
ただ、今年の新たな取り組みの中で、しんどいなと思うことは度々あっても辞めたいと思うことは全くなかった。生徒たちと「今年だけで情報科の免許取るんや」って宣言してたし(基本情報は落ちたけど)、そういう姿を見せることが一番の教材だと自然と振る舞っていたようにも思える。
そして自分の立ち振る舞いは、他の人から見た方がわかるのも事実で、大学時代の先輩には「インスタ見てるけど、いつも楽しんでいるようで何よりだよ」って言われたし、先に書いたように、生徒には「明るく授業をしてくれる」だけじゃなくて、「プラス思考すぎて悩みがなさそう」「一周回って闇が深そう」とまで言われるように。
俺、普通に人並みな悩みあるけど?もっとお金欲しいよ?
闇は…うん、元々この仕事しようと思った理由は闇が深いかもしれんけど。
自分のあり方って、行動レベルだと最初に書いたことだけど、無意識下では「まず自分がその場を楽しむ」ことなんだと気づいた。そうじゃないと、周りも楽しませられないから、ってプロレスラーが言ってた。

【来年は「循環」をテーマに。】

今年、いろんなところでいろんな人からお話を伺ったり、本を読んだりした中で印象に残っている言葉が次の2つ。

「この町が良くならないと、商売ができない」
「地域を育てる学力」

一番目のワードは地元で商売をしている人が話していたことで、確か「刈谷で商売している身だから、地元に還元するのは当たり前」というニュアンスだったと思う。自分たちが生きていくには、町が活性化されていないといけない、普段から地域と密接して生活している人のリアルな言葉でした。

二つ目は「学びが地域を創る」という本の中の章のタイトル。

この本では兵庫県立村岡高校の取り組みが紹介されているのだけど、中でも印象的だったのがそのワードでした。
元は東井義雄さんの「村を育てる学力」という言葉で、「進学や就職のための『村を捨てる学力』と対になり、それだと村を育てる学力にはなり得ないが、村を愛し育てられるような主体性のある『村を育てる学力』であれば、同時に進学や就職にも通用する」と主張したのだそう(上の同書より)。

これら2つのワードに共通するのは「循環」なのではないかと思うわけで。仕事をする場所が潤わないことには仕事ができないわけだから、その土地を耕す、とは違うかもだけど土壌を作らなければならない。
それから、普段から学校とかで「何のために勉強するかわからない」「こんなのやったって意味ない」「学校の勉強は受験のことばかり」と聞いてきて、俺も思ってるけど、じゃあどうすりゃええねん、とずっと思っていた。でも、この本を読んでどうしてそうなったのか、じゃあどうするといいのか。「生まれた、育った地に結びついた学びを経験することで、学校での学びにも好影響を与えられる」と思うし、自分が学校での仕事や地域での活動をする上でのヒントが得られたと思う。

少し話は変わるけど、数ヶ月前に祖父の本棚にあった本を何冊か譲ってもらった。それがこちら。

祖父は地域に根ざしたボランティアをずっとやってきた人だし、ボランティア界隈で知らない人がいないレベルの有名人だった。そんな人が、こういう本を読んでいたのは、ある意味で循環を創ろうとしていたのかな、となんとなく想像してみる。
そもそも、自分がこうした活動をしてるのも「循環」なのかもしれない。先日のまちづくりコーディネーターの交流会で、祖父にお世話になっていた方がおっしゃっていたことが今でも残っている。

「石田さんが今こうしてボランティア活動をしているのは、きっとおじいちゃんの活動を見てきたからだと思う」
「二宮尊徳の言葉『父母もその父母も我が身なり』と一致すると感じた」

実家に遊びにいけば、ボラセン(ボランティアセンター)から帰ってくるのを見たり、地元の小学校や高齢者福祉施設で草笛を披露してきたり、テレビに出るとなれば「何月何日の何時からやるから見てちょ」って欠かさず言ってきた。中止にはなっちゃったけど、のど自慢に出る予定もあった。
そういう姿をずっと見ていたのは間違いないし、のど自慢に出るって話を近所の人と話してた時には「やることに意味があるんだよ」って言ってたのも覚えている。何かをすることそのものが楽しい、そしてそれは「まずは自分がその場を楽しむ」ことに受け継がれてるのかもしれない。
学びの循環、地域の循環、楽しさの循環…いろんな形の循環があるけど、来年はそれを意識して仕事や活動をしていけたらいいなと思う。

最後になりますが、今年一年は最初の半年くらいしか日記は続けられなかったけれど、読んでくださりありがとうございました。
来年はどういうふうに更新しようか決めてませんが、気の向くままに書こうかなと思います。

みなさま良いお年を!

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