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而立

ご無沙汰してます。生徒にも同僚にも若く見られてるので信じてもらえないですが、21日で30歳になります。
いろいろ落ち着いたので、夏くらいからの話をまとめて書こうと思います。

試験

結論から言えば、落ちました。
内訳は1次試験は通って、2次試験でダメでした。
1次の筆記は宣言通り、教養は一般と専門ともにA評価(85点前後)を取ることはできた(論作文はC評価)。
でも、2次の面接で引っかかった。用意していたことは言えたけれど、おそらくあれでは十分ではなかったかなと冷静になった今思う。
敗因を上げるなら、練習不足と、受けようと決めたタイミングの遅さ。1年がかりで準備するのが割と当たり前らしく、自分の場合は年明けて1月の正月明けくらいだったから、いくら筆記を突貫工事的に準備して、基本情報技術者試験を模試的に使ってうまく行っても、面接をおざなりにしてしまったのがまずかったなと。
合格発表をネットで見て、1次通ったことを伝えていた方々には連絡していて、送るたびに涙腺にくるものがあった。いろんな励ましの言葉をいただいて、その時に人生で初めて悔し涙が出た。
特に「受かると思ってました」という言葉は自分の努力を知ってくれてたんだと本当に嬉しかったし、一方でいい結果を報告できなかった悔しさが同居していた。あらためて、自分の努力を見てくれていた人たちに感謝したい。
「次もチャレンジするの?」と何人かに聞かれたけど、来年は受けないかな。もしかすると今後よっぽど受けないかも。理由は後述。

情報科の免許

必要な単位は7割くらい取り終えた。夏にスクーリングに行った時の科目も全部取れたので、冬に京都に行くことは無くなった。
あとはテキストのレポート出して、テストが通れば免許が取れるところまできたので順調っちゃ順調かな。

友達と。

いろんな人との再会。
7月には高3のクラスメイトと、8月には中学の頃から付き合いのある高校の同級生、それからオンラインで知り合った人とご飯に。
昔話や今何やってんの?みたいな話までいろんなことを話せて、懐かしさに浸りながら、これからも自分のことを頑張りたいなと思える時間になった。
中でも同級生が話してた「気づいたらここにたどり着いてた」ということがなかなか示唆的だった。その友達は世間一般からすればかなり有名なすごい仕事をしていて(ここでは書けない、でも至極真っ当なこと)、高校の頃からその世界に行きたいってずっと言ってて、今年からその仕事に就いてる。そういう友達がいることは刺激になるし、自分もどうなのかなって振り返ってみた。
高校の時は漠然と「社会科の免許取りたいな、でも愛教大はその勉強しかしないから都会に出たい」ということで経済・経営系を志望して、経営学部に進学。でも社会科の免許が取れなかったから一度諦めた。そこから「例の一件」や教職を取ってる友達の話を聞いて、やっぱり免許取りたいと思って通信課程で免許を取ることにした(例の一件については下のリンクからどうぞ)

通信課程で勉強している最中もネットで情報を得て、学校の外にもいろんな学びの場があることを知って、自分の目で見て「これやりたい!」から自分で人を巻き込んでやって、学校で働くようになってからも続けてきた。
その延長で昨年は社会教育主事講習を自主的に受講して、社会教育士も取れた。ちなみに4月に出会った講習を受けた大先輩には、自主的に受けたことから「志願兵」と言われた。
それで今年からはこれまでのご縁からすごくローカルな活動に関わり始めて、市のスポーツイベントにも関わるようになった。こうなりたいという漠然とした思いはあっても、言われてみれば自分も「気づいたらここに辿り着いたんだなあ」と。

これからのこと。

来年度の話はまだなんとも言えないけれど、これまで通りどこかの学校で働きながら地元・刈谷市のことに関わっていくつもりだ。
今年から自分の住む町の行事に関わることになったことや、市のスポーツ推進委員になったのもある。昨年の秋からまちづくりコーディネーターの養成講座を受けてきて、先月修了してコーディネーターになることができた(聞いたら自分が最年少らしい)。

こうした活動をしてる中で、自分が「高校の先生」と自己紹介すると「算数/数学を教えてほしい」という声や、お子さんの勉強のことについて相談されるケースが出てきた。そこから、子どもの学びについて街単位でフォローし合えることがあるんじゃないか、という仮説を立てた。
教育関係のことをやっていこうと決めたのも、先に書いた例の一件があったからだし、友達が念願の教員になって、でも忙殺されてるのを知って、報道されてることって実際に起きてるんだと実感したからだ。「中の世界」を知らずにやるのではなくて、その世界を知った上で、中を変えるのを外からできることはあるはず、と、企画を立てたり、資格を取ったり、いろんなことをやってたらここまできた。
採用試験に落ちたのも、実際ショックだったけど、どこに配属になるかわからないし(下手したら県の端っこもある)、これまでの活動を続けるのなら、ある程度コントロールのきく働き方ができる方がいいぞという思し召しなのかもしれない、と最近思い始めている。だから、今後試験を受けることはよっぽどない、と思う。

〜〜〜

2日経てば30歳になる。20代はどんな10年だったろうかと言われたら、これからの人生でやっていくことへの足がかりはできたかな、と思う。
全てが思い通り、ではなかったけれど、ここまできたのを全て「運命」って捉えていくことで、30代も一歩ずつ進んでいけるんじゃないかな。

Mi vida no es una coincidencia.
これまでの人生偶然なんかじゃない
Todo es "Destino".
全てが「運命」

「TETSUYA NAITO ENTRANCE VTR 2018.1.4 WK12 ver.」より
(下の動画の32秒ごろ。今年しんどかった時に、この動画に何度も元気をもらいました)


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