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君主のいる国といない国

当記事は独自研究によるものであり、信ぴょう性は保証できません


注)君主制国家か共和制国家かは君主の有無で判断する。民主政治がおこなわれていても君主がいれば君主制国家と見做し、逆に独裁体制が行われていても君主がいなければ共和制国家と見做す。

2023年現在、君主制国家は44か国しかなく、世界の約1/5にしか過ぎない。一方で約200年前には共和制国家はフランスやアメリカなどごく僅かな国だけであり、9割近くの国家が君主制国家であった。このように君主制国家が減った背景としては、フランス革命などで民主主義や国民主権が広まったからであり、君主制の採用の有無に関わらずすべての国の政治はフランス革命に何かしらの形で影響されている。しかし、前述の通り君主制国家も44か国と一定数存在しており、時代遅れであるとは言えない。君主制国家と共和制国家、両者の間にはどのような違いがあるのか。

はじめに

まず、代表的な君主制国家として、先ほど挙げた日本、イギリス、オランダに加え、サウジアラビア、タイ、クウェート、バチカンなどが挙げられる。イギリス国王を元首とするオーストラリア、ニュージーランド、カナダなどもここに含む。一方で、共和制国家はその4倍近く存在し、代表的なものとしてフランス、ロシア、中国、インド、ドイツ、トルコ、韓国、アメリカなどが挙げられる。

君主制国家

君主制国家のうち、日本、イギリス、オランダ、サウジアラビア、バチカンの5か国に焦点をあてて考える

日本国

富士山

日本には天皇が君主として存在する。天皇は古事記によると紀元前660年からいるとされているが、歴史学的には少なくとも6世紀からいたとされており、現存する世界最古の王家と言われている。

【歴史】
古代において天皇の権力は大きく、9世紀までは実権を握っていた。次第に外戚となった藤原氏に権力を奪われるも、白河上皇や鳥羽上皇による院政により権力が復活。一時は平氏に政治を独占されることもあったが、その間も後白河上皇などによる院政には一定の影響力はあった。
しかし、12世紀末に武士政権が樹立されると、天皇家の歴史における存在感が薄まる。権力回復を目指し後鳥羽上皇が承久の乱を、後醍醐天皇が建武の新政を行ったが、いずれも失敗に終わっている。このような状態は19世紀まで続くが、明治維新により天皇は再び政治に携わるようになり、大日本帝国憲法では国家元首であると明言された。しかし、その実態は象徴的な存在であり、実権は殆どなかった。これは戦後の日本国憲法にも受け継がれ今に至る。

【君主の特徴】
日本は内閣、国会、裁判所が政治を行っており、天皇に政治的な権限は名目的・形式的なものに限定されている。

【まとめ】
日本の歴史上、天皇の権限が制限されており、13世紀以降の殆どの時代は武士に政権が奪われたか、憲法による制約を受けていたかのどちらかであると言える。

グレードブリテンおよび北部アイルランド連合王国(イギリス)

ビックベン

イギリスには国王が君主として存在する。2022年にエリザベス女王が崩御し話題となったことは記憶に新しい。

【歴史】
409年にローマ帝国がグレートブリテン島南部に置いていた属州であるブリタニアを放棄したのちに、ゲルマン人の一種のアングロサクソン人が侵入しイギリスを支配した。その後七王国時代を経て927年にウェセックス王国がイングランドを統一したことでイングランド王国が成立した。この頃には既に賢人会議と呼ばれるものが存在していたが、現在のイギリス議会の源流を汲むものではないため、話を13世紀のプランタジネット朝まで進める。
1215年、当時悪政を繰り返していたジョン王は貴族と対立し、その後ジョンの家臣がジョンに強制的に署名させたことで大憲章マグナカルタが成立した。大憲章マグナカルタは貴族や都市、教会の権利を国王が認めたものであり、現在でもイギリスで有効な法律である。1265年、このマグナカルタをヘンリ3世が無視して課税を強行しようとしたことで反乱が勃発、王が捕虜となったことでモンフォール議会が開催された。このモンフォール議会が現在の議会の源流と言われる。その後もエドワード1世が開いた模範議会を経て議会が力を伸ばし、テューダ朝による絶対王政の下でも議会の存在は無視できないほど大きかった。17世紀のピューリタン革命によりチャールズ1世を処刑したのも議会である。

【君主の特徴】
日本と同様、国王の権限は名目上・形式上なものに限定されている。一方で、イギリス国教会の首長も兼ねており宗教的な権威もある。さらにオーストラリアやニュージーランド、カナダなどイギリス連邦加盟国の元首でもある。

【まとめ】
このようにイギリスでは伝統的に議会の力が大きく、また、13世紀の時点で国王の権限が制限されており、現代では国民の象徴のような存在となっている。

オランダ王国

風車

オランダでは立憲君主制国家として国王がいる。日本の天皇家との交流も深くよくニュースなどで耳にすることも多い。

【歴史】
オランダは16世紀末にオランダ独立戦争を経てスペインから独立した。この時に独立したときの名称が「ネーデルランド連邦共和国」である。その名称から分かるように共和制であったが、その実態は世襲のオランダ総督を元首としていた。世襲の元首が実権を握っていたとはいえ、ブルジョアジーや都市貴族、連邦議会などが大きな力を持ち、国王による専制政治というものではなかった。
フランス革命後には総督ウィレム5世がイギリスに亡命し、バダヴィア共和国が建国されるが、ナポレオンに征服されフランス帝国傀儡のオランダ王国の建国の後にフランスに併合された。ナポレオン後のウィーン体制ではオランダに立憲君主制国家が樹立され今に至る。

【君主の特徴】
こちらも名目上・形式上のものに限定され、内閣の決定に従うものとされている。

【まとめ】
オランダは上の2か国と異なり、独立したのは比較的最近であると言え、また、独立以来国王による専制政治は行われなかったと言える。

サウジアラビア王国

カアバ

サウジアラビアは上の3か国とは異なり現在でも絶対君主制国家であり、要職をサウード家一族で固めている。

【歴史】
サウジアラビアは18世紀にアラビア半島中央部のナジュド地方で興った。アラビア半島の支配をめぐりエジプトやオスマン帝国と抗争を繰り返し一時は滅亡を経験している。

【君主の特徴】
専制政治を行っており、ワッハーブ主義に基づく厳格なイスラム教義を掲げている。また、コーランを憲法であるとしている。特に彼らはスンニ派であり、そのためシーア派を敵視している。

【まとめ】
サウジアラビアの国王は非常に大きな権限を持っており、さらにイスラム教、特にワッハーブ主義の権威もここに含まれている。

バチカン市国

バチカン市国

ローマカトリック教会の首長であるローマ教皇を元首とする絶対君主制。教皇選挙で選出される。

【歴史】
「バチカン市国」という観点で見ると独立した1929年からであるが、ローマ教皇及びローマカトリック教会は古代から続いていたため古代から説明する。
当初はあまり影響力のなかったローマ教会だが、次第に勢力を増し、800年にはフランク王国と結びつきヨーロッパにおける強大な力を手に入れた。叙任権闘争を通じて国王や皇帝を遥かに凌ぐ権力を持っていたが、十字軍の失敗によりその権威は失墜。宗教改革などの混乱はあったものの、いまだにカトリックの首長として世界に影響を及ぼしている。

【君主の特徴】
バチカン市国内における専制君主制を敷いており、議会も存在しない。また、ローマカトリックの首長としての影響力も大きい。

【まとめ】
バチカン市国の教皇には非常に大きな権限が与えられているが、その選出方法は選挙によるものである。ローマカトリック教会の首長も兼ねている。

まとめ

君主制を採用している国には主に2つのグループに分けられる。
1つは日本やオランダのように歴史的に元首の権限があまり大きくなかった国だ。ベルギーやスペインもここに該当する。
もう1つがサウジアラビアやバチカン市国のように元首が宗教的権威と深く結びついている国だ。タイもここに該当する。
また、イギリスは両方に当てはまると言える。

共和制国家

共和制国家として、フランス、ロシア、アメリカ、インドの4か国に焦点を当てて考える。
今回は【君主の特徴】は割愛させていただく

フランス共和国

エッフェル塔

フランスはフランス革命の地としても有名であり、ナポレオンのイメージを持つ者もいるだろう。

【歴史】
フランスの王政の歴史は5世紀にフランク王国が建国されたところから始まる。キリスト教においてアリウス派からアタナシウス派に改宗したことで勢力を拡大させた。当初は諸侯の力が大きかったが、次第に絶対王政を確立し、ルイ14世の「朕は国家なり」に代表される。しかし、課税問題などで貴族・聖職者と対立し、次に特権階級と平民の対立に移る。フランス革命後は立憲君主制を目指す動きが強かったものの、ヴァレンヌ逃亡事件を機に共和派が台頭し、ルイ16世の処刑を経て共和国となる。ナポレオン1世の第一帝政、ブルボン家の復古王政、オルレアン家の7月王政、ナポレオン3世の第ニ帝政と、君主制が復活することもあったが、1870年以降、現在まで共和制を維持している。

【まとめ】
フランスでは18世紀まで国王が絶対的な力を握り、しばしば圧政を敷いていたため、国民の不満が高まり、フランス革命やその後の混乱期を経て現在のような共和制国家になったと言える。

ロシア連邦

赤の広場

ロシアは君主を持たないものの独裁政治が続く国家である。近年はウクライナ侵攻などでニュースなどで取り上げられやすい

【歴史】
ロシアの歴史は非常にデリケートであり、モンゴル帝国による支配を受ける前のキエフ公国をロシアの歴史に含めるべきか否かの論争がある。よって、それ以前は触れず、15世紀にモンゴル帝国からの支配を脱却したところから触れることとする。
15世紀にモンゴルから独立したモスクワ大公国は勢力を拡大し、ロシア・ツァーリ国を経て1721年、ロシア帝国になった。
ロシア帝国は不凍港を目指し南下政策を進めオスマン帝国やイギリスなどと衝突していた。いずれも敗北し、極東進出を目指すも大日本帝国と衝突し敗北。この後はバルカン半島をめぐり1914年、第一次世界大戦の形でドイツ帝国及びオーストリア帝国と衝突した。ロシアは後に戦勝国となる協商国側に属していたが、東側戦線であるタンネンベルクでは敗戦が続いていた。同時にロシア帝国は国民のナショナリズム運動や民主化運動を弾圧したため、連戦連敗とともに国民の不満が高まる原因となった。
この不満は第二次ロシア革命という形で爆発、皇帝一家が処刑され帝政は終了した。最終的に社会主義政権であるソヴィエト社会主義共和国連邦が建国される。ソ連も計画経済の行き詰まりなど次第に衰え、ゴルバチョフのペレストロイカを経て解体、現在のロシア連邦に続く。

【まとめ】
ロシア帝国で連戦連敗や市民運動の弾圧により国民の不満が爆発し、ロシア革命により崩壊したが、その後のソ連も崩壊し、現在のロシア連邦では独裁寄りの政治が続く。

アメリカ合衆国

自由の女神像

アメリカ合衆国は大統領を元首とする共和制国家であり、またGDP1位の超大国でもある。

【歴史】
アメリカ合衆国の源流はイギリス国王ジェームズ1世の弾圧を逃れたピューリタンたちによる「プルグリム・ファーザーズ」に求められる。彼らが移住したアメリカ西海岸は後にイギリス領となるが、イギリスと税金問題で対立し、1776年、アメリカ独立戦争によりイギリスから独立することとなる。これ以降、アメリカは大統領を中心に拡大を続け、東海岸に到達したのちは太平洋、そしてアジアに進出している。第二次世界大戦では大日本帝国やナチスドイツに勝利し、戦後は疲弊したユーラシア大陸諸国に対して影響力を詰めるが、それによりソ連と対立し冷戦につながる。ソ連崩壊後はアメリカが世界の覇権を握るも、徐々に成長した中国と対立し今に至る。

【まとめ】
アメリカはイギリスによる植民地支配を受けていたが、アメリカ独立戦争によりイギリスの王権を「追放」し、共和政を確立したと言える。

インド

タージ・マハル

インドは南アジアに位置する国であり、2023年に中国の人口を抜き世界一の人口となったことは記憶に新しい。

【歴史】
インドは古代は多数の都市国家が分立していたが、紀元前4世紀のマケドニア王国のアレクサンドロス大王の遠征を受け、統一国家が誕生した。その後も多くの王朝が興亡を繰り返し、16世紀にムガル帝国が誕生した。しかし、次第にムガル帝国の権威も落ち、1858年に滅亡しイギリスの国王(女王)によるインド帝国が誕生した。1947年にはインドとパキスタンに分離し独立、さらに1971年にはパキスタンからバングラディシュが独立した。

【まとめ】
インドは古くは大帝国が興亡を繰り返していたが、イギリスの植民地化によりイギリス国王が皇帝にとって代わり、イギリスの支配の終了後は共和政となった。

まとめ

君主制を廃止した国は主に2つに分けられる。
1つがフランスやロシアのように近世まで国王が絶対的な権力を握った国だ。中国やイタリア、トルコなどもこれに該当する。
もう1つがインドのように植民地支配を受けていた国だ。マダガスカルや韓国などもこれに当たる。
アメリカは植民地側に圧政を敷いていたイギリスの王権が独立戦争により追放されたとみなすこともでき、両方に当てはまると言える。

しかし、殆どの旧植民地国が共和制国家となる一方で、マレーシアやモロッコのように独立後に君主制国家となった場合もあるため、2つ目の理由は一概には言えない。この場合は君主制国家の「国王の権限が歴史上小さかった」国と見做すことができる。

考察

特徴をまとめると次のようになる。

君主制国家は以下のどちらか、もしくはその両方に該当する

  • 歴史上その君主の実権が大きく制限されていた時代が長い

  • 元首の権威が宗教的権威と深く結びついている

共和制国家は以下のどちらか、もしくはその両方に該当する

  • 近世・近代まで君主が専制君主制を敷いていた

  • 植民地支配を受けていた

このように基本的に君主の有無は近世・近代までの君主の権力の大きさによって決まる。しかし、例外的に宗教的権威と重なる元首は絶対君主制でもその地位は維持されることが多く、また、植民地支配を受けていた国は君主がいないことが多い。
このことは西洋や中東に君主制国家が多く、その他のアジアやアフリカ、南北アメリカ大陸、オセアニアに君主制国家が少ないことの説明もつく。

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