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【小説】18年後の土星観測

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記事一覧

【小説】18年後の土星観測⑩

【小説】18年後の土星観測⑩

4月4日、梨々香は午後の仕事を早退し、その足ですぐに東京地検へと向かった。地下鉄から地上へ出ると、日比谷公園のソメイヨシノは今まさに満開の時を迎えていた。

ニュース映像などで何度も見た「検察庁」の石看板を目の前に思わず襟を正す。入口で身分証を提示し、手荷物検査と金属探知機のゲートを通り、検温と消毒を終えて受付へ向かった。

「すみません」

「接見ですか?」

「面会です」

すっかり慣れてしま

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【小説】18年後の土星観測⑨

【小説】18年後の土星観測⑨

孝太郎の勾留期間が4月4日まで延長された事自体、沢田は弁護士として忸怩たる思いだったが、この期間を釈放日までの猶予と捉え、それまで出来る限り孝太郎の減刑のために尽力すると決めた。

係わってきた事件の多くは、身勝手な理由で他人の財産や尊厳を奪い、およそ酌量の余地もない犯罪ばかりだった。今回の件も違法行為に違いないが、事件の経過から明らかになった少女の非行事実や、検察から提出された証言・証拠について

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【小説】18年後の土星観測⑧

【小説】18年後の土星観測⑧

―18年前―

「お姉ちゃん、早く公園に行こうよ、こども会の土星観測の時間終わっちゃうよ!」

「まだお母さん帰って来ないから、家を留守に出来ないよ。もう少しだけ待って」

「ねぇ間に合わないよ、もう早く行こう!」

「だめ、待って。お母さん、まだかな…」

「あっ、お母さん帰ってきた!」

 

「ええっ、二人ともまだ家に居たの!?お母さん今日は帰りが遅くなるから、先に公園に行ってて良いよって言

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【小説】18年後の土星観測⑦

【小説】18年後の土星観測⑦

真希が保護されてから1週間、和美は徐々に薄れゆく怒りや憎しみをなるべく忘れないように過ごしてきた。先日、相手方の沢田弁護士が犯人の男からの謝罪文を届けに来たが、読めばきっと情が移ってしまうことは分かっている。和美は謝罪文の受け取りを拒み、決して示談には応じない姿勢だと沢田に伝えた。

和美が勤める出版社の編集部には、明日のプロを夢見る作家の卵たちの作品が数えきれないほど送られてくる。その中から光る

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【小説】18年後の土星観測⑥

【小説】18年後の土星観測⑥

昨日訪れたばかりの中野駅に再び降り立った梨々香は、歩き慣れた南口とは逆方向の中野サンプラザ方面へ歩みを進めた。ブロードウェイの角を曲がれば、野方警察署が見えてくる。午後の面会受付の開始ちょうどに着き、消毒と検温を終えて、受付カウンターの女性に尋ねた。

「すみません」

「接見ですか?」

「面会です」

朝は元々職場に行く準備をしていたので、そのままスーツを着て来たからか、弁護士さんと間違えられ

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【小説】18年後の土星観測⑤

【小説】18年後の土星観測⑤

「16番…16番!」

「えっ、はい」

もう起床時間の朝6時半なのかと思ったが、他の人達はまだ眠っていて、今は朝6時だという。ただでさえ早起きは苦手なのに他の人より早く起こされ、さらに手錠と腰縄を付けて歩かされれば、気持ちの良い人間など居るはずもない。

 

「東京弁護士会の沢田です。どうぞよろしく」

「この度はお世話になります。よろしくお願いします」

「えっと、まずは職場への連絡からだね

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【小説】18年後の土星観測④

【小説】18年後の土星観測④

3月16日の朝、勤務先の出版社へ向かう和美の携帯に、警察からの一報が入った。

「先ほど、娘さんをこちらで保護しました」

一人娘の真希が姿を消してから2週間、捜索願を出した後も眠れない日々を過ごしていた和美は、急に全身の力が抜け、思わず舗道にしゃがみ込んだ。

「ありがとうございます。すぐに迎えに行きます」

「お母様、大変申し訳ないのですが、真希さんのお迎えは夕方まで待って頂けませんか」

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【小説】18年後の土星観測③

【小説】18年後の土星観測③

17日の午後、沢田法律事務所に弁護士会から依頼の連絡が入った。担当弁護人にとって事件には当たり外れが付き物だが、今週金曜日の担当に入ると決まった時から、沢田の心は普段より軽くなっていた。

被疑者の逮捕後72時間は警察と検察の拘束があり、一般の面会は認められず、加えて土日は面会の受付業務が休みとなる。したがって勾留中の72時間のうち48時間を土日で消化出来るのは被疑者側にとっても利が大きい。弁護士

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【小説】18年後の土星観測②

【小説】18年後の土星観測②

早朝の沢田弁護士からの電話により急に変わってしまった状況の中で、出発地と目的地だけが昨日と全く変化がないのは梨々香にとって皮肉でもあった。

昨日は、梨々香が毎月投稿をしている文芸誌のコンテスト用の応募原稿を、宛先の私書箱がある中野郵便局の窓口へ直接届けに行った。

都心から離れた地方に住んでいる場合、最寄りのポストに投函すると到着まで最低でも2日間は掛かってしまう。特に土日を挟むと、17日に投函

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【小説】18年後の土星観測①

【小説】18年後の土星観測①

3月20日、慌ただしい月曜の朝7時に鳴った着信は見知らぬ番号からだったが、もしかすると何処かの文芸誌の編集者かも知れないと淡い期待を抱き、梨々香は昂る気持ちを抑えて電話に出ることに決めた。

「もしもし」

「朝早くにすみません、木崎孝太郎さんのお姉様でしょうか」

「失礼ですがどちら様でしょうか」

「すみません申し遅れました、わたくし弁護士の沢田と申します。ちなみに今朝警察からは連絡が届いてま

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