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在仏10年を振り返って

2024年で私はついに在仏11年目を迎えることになる。
そんな節目でもあるので少し過去を年単位で振り返ってみたいと思う。いつかの自分のためにも、もしかしたら海外で今後生活していく人たちの何かの足しになるかも知れない。




2014年 (1年目)

長男を日本で出産後そのままフランスに引っ越す。もちろん仏語なんぞBonjourくらいしか知らないまま渡仏。そのまま義理両親の家にしばらくお世話になるが全くもって全てが異なる世界に兎に角苦戦する。私の仏語の第一印象はみんなボソボソ喋って何言っているかわからないである。

2015年 (2年目)
ようやく義理両親の家の近くの村にアパートを借りる。そして次男を出産する。相変わらずフランス語を喋る気にはならず英語で夫とはコミュニケーションをとっていたのを少しずつ仏語にシフトするように努力する。

2016年 (3年目)
毎日乳飲みを子を抱えて日々生活することに精一杯。そんな中義理両親のレストランのためにロゴやメニューなどを作る。義理両親がとんでもなく私を褒めてくれたった1年ウェブデザイナーをしかも妊娠中でバナーしか作ってこなかった私にデザイナーの才能があるのだから今すぐポートフォリオを作ってデザイン事務所に売り込みに行けと言われ行動にすぐに移すも、もちろん英語しかいまいち喋れない私にどんな仕事があるのだろう。結果はもちろんゼロ。それでも諦めきれず知り合いづてに日本のお客さんとの仕事をフリーで始める。

2017年 (4年目)
フリーランスで仕事をしつつ、子育てしつ暮らしていたが、3月頃鬱発症。
家族で日本へ旅行をしたり、実はここで夫と簡易式だが結婚式を済ませたりイベントはもりもりだったのだけど8月にはそのまま鬱で入院。

2018年 (5年目)
この年はずっとサンマロの海辺を歩いていた。毎日愛犬のわさびとただひたすら歩くという感覚を感じるためだけに歩いていた。海はいつもそこに在ってくれるだけでそれだけで何よりも安心した。夜になると暗闇の中で見る海は恐ろしい生き物に変わることを知った。スズキを一本釣りして捌いたりした、最高な年だったな。兎に角休むことに集中した年だった。

2019年 (6年目)
娘を妊娠して、日本で出産することに。合計9ヶ月に及ぶ日本滞在は子供たちも幼稚園に通うことが出来たりと日本の暮らしを久しぶりにじっくり味わえたのは実は本当に嬉しかった。。。ところで幼稚園に子供通わせると行事だらけで仕事どころではない。

2020年 (7年目)
コロナの外出禁止令と共にフランスへ帰ってくる。それと同時に今まで夢にまでみた憧れの会社に入社する。仕事が何よりも楽しくて仕方がなかった。

2021年 (8年目)
自分の仕事への限界を感じる。日本で仕事してユーロで納税することにも限界を感じたし、何より自分の技量にも限界を感じる。ずっと独学でここまでデザイナーをやってきたけどHowtoはネットでも本からでもたくさん吸収できるのに表面的な技術しかないことが辛かった。どうしたらいつも憧れているデザイナーのようにデザインができるか悩んで大学入学を決意。DiplômeがないとそもそもCVを見てもらえないことも、仏語が全然ビジネスレベルじゃないことも全てが今の結果に繋がっている。夫も理解してくれたこともあり大学入学への運びに。

2022年 (9年目)
まずは語学学校ということでリヨンカトリックの付属大学で語学力をB2まで上げることに。実は在仏8年目になるのに多分B1レベルしかなかった。特に文法をやってこなかったので壊滅的に仏語が書くとやばかったのだが日々使ってきていたということもありちゃんと文法を重点的に行ったらB2レベルまでは一応問題なくすぐ持ってこれた。そしてそのまま9月は私立の美大へ入学。二年次から入学するも今思えばB2レベルじゃ大学の授業に全然ついていけない。もう兎に角この年の後半は仏語で脳みそが沸騰するのではと思うほど大変だった。正直いうとクラスメイトの会話もほとんどわかっていなかった。環境が変わると使う単語がガラッと変わるので先生によっては全く理解できないままだった先生もいる。特に哲学の授業。でもこうした環境に入ったことによって本当にボキャブラリー面は伸びた。以前は仏語が3行並んでいるだけでもスッと画面を閉じたかったのだが、仏語で簡単な本が読めるようになったのは大きな成長だった。

2023年 (10年目)
在仏10年目にしてようやく自分を見つけることが出来たような年だった。大好きなデザインや制作に毎日どっぷり浸かることができて、髪の毛も以前のようにバッサリ切って好きな色に染めることができて、エレキも手に入ったのでたまに友達とバンド練習を行ったり、まるで以前日本にいた頃に戻ったかのような息の吸いやすさを感じた年だった。


兎に角在仏5年目くらいはフランスに住むことに慣れることや、子育てが何よりも大変で辛いことの方が多かった。振り返ってみても辛かったし自分なんてものはどこにも存在していなかった。かろうじてデザインという好きなものが在ったことだけが本当に私の支えだったように思う。

海外に住む、それと同時に子育てを始めた私は本当に0から始めたのだと思う。今まで好きだったものも、仕事も全て投げ出してフランスへ在住したのだから。挙句のはてにフランス語も喋れないまま来たのだから本当に遠回して今にたどり着いたように感じる。住むことに慣れ、子育てにも少しずつ慣れ、フランス語ももちろん日常の中で喋れるようになり、フリーランスで仕事をできるようになり、そのお金と言語力のおかげで今私は大学に通えるようになった。頭の良い人はきっとこんな謎な人生を辿ったりはしないと思うので、最初に仏語を学んでからフランスに来るだろうし、そのままフォーマーションを受ければ仏のDiplômeと共に職探しができるだろう。お金があれば自分の好きなこともできるだろう。私に至っては仏語ゼロでちっちゃな村に住み始めたので仏語を学ぼうにも学校はないし、日本人のお友達なぞいなければ、日本食品なぞ醤油と海苔しか手に入らないそんな村から始めてしまった。フランスに住まれる方がいるなら、心底おすすめしたいのは最初に暮らすなら大都市をおすすめしたい。外国人がフランスで生きていくのにいきなりど田舎から始めるのは本当に何もお勧めができない。リヨンに引っ越せたからこそ私もようやく色々始めることが出来たように思う。
そんな私は兎に角正反対から突き進んで今学業というフェーズにいる。2024年ではきっと大学院に進むか就職するかのまた大きな選択に迫られると思う。いつ健康を失うかもわからないし、いつやりたかった事ができなくなるかもわからない。この振り返りで感じたこと、そして来年への抱負はできることは兎に角できるうちにやる。何よりも自分のことを大事にしたい。

あとは第一に健康、第二に健康。いい加減に今年は自分の体のメンテナンスをしっかりしないといけない。未来への自分のプレゼントとしても本当に今年の第一の目標でもある。





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