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私と宇多田ヒカル

 宇多田ヒカルは1998年、まさしく彗星の如く現れた才能である。わずか15歳でCDデビュー、さらに1st アルバム 『First Love』では日本国内の歴代最高のセールスを記録、多くの偉大な芸術家がそうであるようにそれを鑑賞するもののリテラシーを引き上げた。

 なんて、ググれば出てくるようなありきたりな情報を切り貼りしたようなレビューを書くつもりはない。はっきりいってそんなことに興味はない。私は可能な限り自分の純な部分に向き合いたい。

 宇多田ヒカルは私の最も敬愛する音楽家の1人である。しかし、初めからそうだったわけではない。では、いつから?今日はそんな私と宇多田ヒカルについて、極めて個人的に綴る。

Fantôme (2016)

 私と宇多田ヒカルとの出会いはいつだろうか。
 中学生の時には知っていたかな、「あー、First Loveの人でしょ?」といった具合に。でも、その頃まで宇多田ヒカルは活動を休止していて詳しく知らなかった。だから正直なところ私にとっては昔のヒット曲を歌った人、嫌な言い方をすれば「終わった人」だった。そんな時だったと思う、テレビから「道」が流れてきたのは。

サントリー天然水 「水の山に行ってきた南アルプス」

 「へー、この人が宇多田ヒカルなんだ」とそんなことを思った気がする。いい曲だなと思いつつも、当時はそこまで歌声に惹かれなかった。ただ、今思えばこの時が私と宇多田ヒカルのはじまりだった。

 私は音楽を色々聴くようになったのが比較的遅く、『Fantôme』が出た頃はアルバムで聴くという感覚を持っていなかった。したがって、知っているのはどれもテレビで流れている曲だけ。NHKの連続テレビ小説『とと姉ちゃん』の主題歌「花束を君に」、News ZEROのテーマソングに起用された「真夏の通り雨」そして「道」、これが私にとっての宇多田ヒカルだった。

 それが今や私にとって『Fantôme』は人生で最高の1枚といえるほど大切なアルバムになった。

 'Fantôme'は"幻"や"気配"を意味するフランス語。

 その音に耳を澄ませると本作はこれまでの作品と比較して幽玄な雰囲気を纏っている。打ち込みではなく「生バンドによるプロダクション」、ピアノやストリングス、アコースティックギターの揺らぎが掴みきれない雰囲気を支えている。さらに、生バンドすなわちセッションによって生まれるグルーヴは奏者が互いの"気配"を感じ取ってこそ生まれるものであるともいえよう。

 歌唱に焦点を当てると、宇多田の代名詞ともいうべきコーラスワークは圧巻で、とりわけ本作では呼吸や吐息までもが自覚的に扱われている。このような音へのこだわりが、本作の寄り添うようなパーソナルな手触りを実現するのに一役買っていることは間違いなかろう。

 また、本作の特徴として「音の抜けの良さ」がある。言い換えるなら「音の立体感」。『HEART STATION』までとは一線を画す「音の立体感」は『Fantôme』以降、最新作『BADモード』に至るまで宇多田ヒカルのサウンドの特徴として挙げられる。これはフランク・オーシャンをはじめとしたリリース時の最新のポップスやR&Bからの影響が伺える。これは引き算の美学であろう。無駄を削ぎ落として、削ぎ落として、「余白」を生んだのである。

 "気配"とは当然目に見えるものではなく、何もないはずの「余白」に私たちが感じるものである。宇多田ヒカルは私たちが思いを馳せる「余白」を生んでくれたのである。

 次にその詩に注目すると、「道」「人魚」では"あなた"の"気配"が、「花束を君に」「忘却」「桜流し」では"死"や"喪失"の"気配"が感じられ、「俺の彼女」「ともだち with 小袋成彬」では関係性についての"幻想"、「2時間だけのバカンス」「真夏の通り雨」では"夢"という"幻想"が描かれているといえよう。

 本作で私が最も好きな曲は「忘却」である。


  熱い唇 冷たい手
  言葉なんか忘れさせて
  強いお酒に こわい夢
  目を閉じたまま踊らせて

  明るい場所へ続く道が
  明るいとは限らないんだ
  出口はどこだ 入口ばっか
  深い森を走った

 「time will tell」で「泣いたって何も変わらないって言われるけど 誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね」といってくれた時からずっと、宇多田ヒカルの詩は聴くものに寄り添い続けている。

 思うに私が彼女の言葉に力をもらえるのは、底抜けに明るいからではない。彼女の言葉は何か世界に対する諦めのようなものを含んでいる。でもそれは暗い諦めではない、明るい諦めである。宇多田ヒカルは諦めからはじめた愛の人だ。だから彼女の言葉は信用に値するのだ。だから力をもらえるのだ。
そんなことを強く思い起こさせてくれる「忘却」が私は大好きだ。

初恋 (2018)

 話は戻るが前述のように、中高生の頃はもっぱらテレビから音楽の情報を得ていた。だから「あなた」を聴いた時の衝撃は今でも覚えている。すぐにYouTubeで検索して毎日のように聴いていた。宇多田ヒカルから受けた最初の衝撃だった。

 同時期にこれまたサントリー天然水のCMソングとして起用された「大空で抱きしめて」、ドラマ主題歌に起用された同名タイトル「初恋」も聴きあさった。

 それまで同じ98年組のなかではどちらかといえば椎名林檎を好んで聴いていた私はこの頃から宇多田ヒカルに心を奪われていったのだった。

 そしてこの頃、ついにアルバムを手にした。最初のアルバムは『初恋』ではなく、TSUTAYAのレンタルCD落ちのベスト盤『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』、『Ultra Blue』期から活動休止までを対象にしたアルバムである。

 個別的で素朴な印象の『Fantôme』と比べて、『初恋』は音楽的にも詩的にも重厚感を増した作品となった。豊かなストリングスが用いられている「あなた」「初恋」「Forevermore」では特に顕著にその特徴が現れているといえよう。

 『Fantôme』で到達した内省的な詩世界は、『初恋』ではより激情的な部分を切り取っている。宇多田ヒカル自身も「『Fantome』とは違った重さを備えた、これまでで最もパワフルなアルバムになった」と述べている。

 『初恋』は"愛"についてのアルバムである。
 "気配"のアルバムであった前作は、気配を感じる主体である自己に向けられたものであった。一方、"愛"のアルバムである本作はより客体となる他者に向けられている。

 また、「残り香」「夕凪」は宇多田の作詞家としてのさらなる進化を示している。

 「残り香」では「温かいあなたの肩を探す」という言葉で部屋を去ったばかりの恋人を欲する様子を表している。「肩を探す」という言葉はこの曲で初めて耳にしたが、しかし喪失感を表すのにこれ以上相応しい表現があろうかと驚愕した。

 「夕凪」は宇多田ヒカルの世界への態度が垣間見える一曲である。

 全てが例外なく 必ず必ず いつかは終わります

 繰り返しになるが宇多田ヒカルの言葉はどこか世界に対する諦めを含んでいると私は感じている。そしてそれゆえに彼女の言葉は信用に足り、力をくれるのであると。

 であるから「夕凪」も決して悲観的な曲ではない。これは明るいニヒリズムなのであり、そこから出発して世界への愛を歌った曲なのである。

BADモード (2022年)

 さて話を戻そう。ベスト盤を手に入れてからは、ひたすらその一枚を聴き込んで過ごし、そしてそのあたりから宇多田ヒカルの活動に注目を向けるようになった。私は宇多田ヒカルという人について、かなり興味を持つようになっていた。

 宇多田ヒカルが「マツコの知らない世界」に出演したのはちょうどそんな時だった。「マツコの知らない落とし物の世界」という内容もさることながら、番組の冒頭で流れた「Automatic」のMVが私を最も惹きつけた。

 「Automatic」を聴いたのはそれが初めてだった。なにしろ「Automatic」や「First Love」といった活動初期の代表曲は残念ながら私が持っていたベスト盤『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』ではなく、『VOL.1』に収録されていたからだ。

 窮屈そうに揺れながら、しかしどこまでも自由な歌い出しの譜割りに衝撃を受けた。これが宇多田ヒカルから受けた2度目の衝撃だった。番組を見終わった頃には完全に宇多田ヒカルに夢中になっていた。

 それから、新曲が出るたびにチェックしてはひたすら聴き込み、と同時にこのあたりからアルバム単位で音楽を聴くようになりはじめていたため、過去の作品も全て舐めるように聴くようになった。

 「Time」と「誰にも言わない」はパンデミック下の受験生だった当時の私にとって大きな心の支えになったし、2021年3月9日に発表された「One Last Kiss」は大学受験を終えたばかりの私にとって何よりも心待ちにしていたことだった。

 そしてなんやかんやで大学に入った年の秋口、翌年1月にとうとう新しいアルバムがリリースされることが発表され、私はひどく高揚したのを覚えている。それが最新作『BADモード』である。

 『BADモード』は2022年1月19日、自身39回目の誕生日に合わせて配信先行でリリースされた宇多田ヒカルの8枚目のオリジナルアルバムである。pitchforkをはじめとした各種音楽メディアでも高い評価を受けた同作は、宇多田の、特に活動再開後の音楽性・詩性の深化が窺える極めて洗練された1枚である。

 私が宇多田ヒカルと出会い、惹かれていくまでもそうだったように、宇多田はタイアップが多い。
今回のアルバムも、全10曲中6曲がタイアップによる既発曲だった。

 『キングダム ハーツⅢ』のオープニングテーマであり、アメリカのトラックメイカーSkrillexとの共作である「Face My Fears」をはじめ

 『美食探偵 明智五郎』の主題歌で、うねるビートとボーカルさえもがリズムやグルーヴの始点になっているように感じられる、非常に捉えどころのない、それでいてその心地よさに心惹かれる「Time」

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の主題歌であり、波のようにきらびやかに跳ねるシンセサイザーの音色と澄み渡るような広がりをみせるボーカルが美しい「One Last Kiss」など

 個々の既発曲が魅力的すぎるがゆえに、リリース前、私はありがちなベストアルバム風のスタジオアルバムになってしまうのではないかと危惧していた。

 しかしそんなものは本当に杞憂でしかなかった。
私はあまちゃんのくせして、日本歴代最高のCDセールスを誇る宇多田ヒカルをなめていたのだ。

 『BADモード』を最初に通しで聴いた時、心が震えた。あまりの素晴らしさに畏怖した。これが宇多田ヒカルから受けた3度目の衝撃だった。

 宇多田ヒカルは自身のインスタライブにて
「やりたいことと求められていることを両立させるのがプロではないか」という趣旨の発言を残しているが、それを体現する1枚であった。

 タイアップ曲が多いことなど関係ない。『BADモード』は宇多田ヒカルのこれまでの作品と比較しても、強烈にアルバム然とした作品であった。

 自己に向けられた『Fantôme』、より他者に開かれた『初恋』、そして『BADモード』はそんな自己と他者のあらゆる関係性を見つめ直している。

 同名タイトル曲「BADモード」はパンデミック下で制作されたアルバムにふさわしい1曲目だ。

 閉鎖的で鬱屈とした空気感を表した「BADモード」。「絶不調」と同じ意味なのにちょっぴりポップでなんだか笑ってしまうようなユーモアと安心感をくれる。

 前作、前前作で重視した生バンドやストリングスは時代の煽りを受けてシンセサイザーに置き換えられ、それがこの作品の空気感を決定付けたといえよう。

 「ネトフリ」、「ウーバーイーツ」と時代の空気をたっぷり吸い込んで『BADモード』はスタートする。

 『BADモード』はアルバム然としているといったが、それは詩のテーマの一貫性やシンセサイザーを中心とした音像にとどまらない。

 既発曲がそうした一貫した枠組みに置かれ、前後の曲と共鳴することで特異な輝きを放つのである。そういったアルバムの魔法みたいなものを確かに『BADモード』は持っている。

 「君に夢中」の廻りながら広がっていくピアノリフに続く「One Last Kiss」ではシンセサイザーの音色がより力強く感じられ、そのテーマである"喪失"と向き合うことへの覚悟さえ感じさせる。

 さらにこの作品の肝となるのは中盤の「気分じゃないの (Not In The Mood)」「誰にも言わない」の流れだろう。叙景的に描かれたアシッドジャズでありパンデミック下の孤独感や閉塞感を想起させる前者から、壮麗な山々にひんやりと立ち込める霧や、その霧が晴れていくようなさわやかさを内包するアンビエントR&Bである後者への切り替わりは圧巻である。

 そしてここから視界が開かれていくように、終わりへと向かっていく。

 「Find Love」「Face My Fears (Japanese Version)」の2曲、とりわけ後者は本作のなかで少し毛色の違う仕上がりになっている。しかしながら、「誰にも言わない」「Find Love」とつながれてきた自由へと向かう決意のバトンは「Face My Fears (Japanese Version)」にも受け継がれている。同曲のビートは新たな時代へと進んでいくための助走のようでもあるし、何より後ろに控えるクライマックスへとつなぐ上では必要不可欠といえる。

 アルバムの最後は12分のアシッドハウス「Somewhere Near Marseilles-マルセイユ辺り-」
 もはや説明不要、パンデミックの収束とその後の世界への期待感を抱かせる美しき名曲。映像作品としても素晴らしい。

 オーシャンビューの部屋一つ
 予約 予約

 『BADモード』は私が初めてリアルタイムで立ち会えた宇多田ヒカルのアルバムであり、ゆえに他のどのアルバムよりも思い入れが深い。
 私の大学生活においてなによりも親しんだアルバムであり、たぶん一生聴いていくのだと思う。

収集がつかなくなってきたのでこの辺でおしまい
お読みいただきありがとうございました

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