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ボランティア・寄付について思うこと:『できること』ではなく、外部リソースという理解

被災地に千羽鶴や受け入れ側の都合を確認しない寄付、いきなり来るボランティアといった話題を見るたび、自分がボランティアベースの社会貢献系NPOでボランティアをしていた時のことを思い出す。

こういうとき、相手の立場に立ってと言うより、「できるときに、できることを」という言葉を履き違えていると考えて対策したほうが現実的ではないかと思うことがある。

「できるときに、できることを、できる範囲で」ボランティア・寄付を必要とする現場でよく聞く言葉だが、これを「したいことを、したいときに、したい分だけやるもの」というふうに履き違えている人が、受け入れ側も含めて少なくないと感じる。
もう一律で、見返り・口出しなし前提の資金・物資提供、報酬なしの仕事だと理解してもらったほうが早いのではないかとさえ、思う。

有事をはじめ、ボランティアや寄付を必要としている現場は、そこのリソースだけでは回せていないから外部リソース(無償の支援)を頼っていると言える。
だから、その時にそのかたちで必要とされていない時点で、そもそもそれはボランティアでも寄付でもないと私は思う。
仕事を増やした当人、またはそれと同じ発想を持つ誰かの「してもらう立場のくせに」「何を贅沢な」「ボランティアなんだし」といった理屈に至っては、どうしてそういう話になるのかと思いながら見ている。
緊急であるなら、なおさらのことだ。

提案のすべてを善意だからと無差別に受け入れず、断るなり、部分的にもらうなりすればいいし、援助のタイミングとやり方、受け入れる人材についても、注文や条件をつければいい。
特に、災害のように突発的で毎回状況も違い、走りながら考えるしかない部分も多いことについては、普段のやりくり云々の話でもないのだから、「あれが欲しい」「これをしてほしい」「今は要らない」「それは困る」という都合を普通に言っていい。
寄付のフローやボランティアを主体的に管理する勇気を持ってほしいし、それをしないと結局意味がなくなるとも、個人的には思う。

必要な支援と受け入れ体制の情報を、各自治体がリアルタイムで更新しているURLが、冒頭の記事のラストに載っていた。
追記として、書き添えてみる。

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