見出し画像

【歴史散策レポ】忍城址(埼玉県行田市)

▼※本記事は以前、戦国ヒストリーSNSにもツイートした"歴史散策"シリーズを元にしています。

みなさんこんにちは!戦国ヒストリー編集部 中の人、はっちぃです。
今回は歴史散策(2022年7月22日に訪問)第三弾、忍城(おしじょう)跡をご紹介します。

忍城跡は 埼玉県北部 行田市にあります。
 行田市は、 国の特別史跡にも指定されている全国有数の大型古墳群 ”さきたま古墳群” や ”古代蓮の里"などの史跡で知られますが、近年では映画『のぼうの城』のモデルとなったことで改めて有名となりました。
 また、日本屈指の足袋の産地でもあり、さらに最近ではテレビ番組で紹介された ”ゼリーフライ” ※なども有名です。

※名前の由来は、小判形であることから”銭"がなまって「銭 (ゼリー)」、行田周辺が布の産地だったことから「布来 (フライ)」、フライパンで焼くからフライ、”富が来る”にかけて「富来 (フライ)」になった等 諸説あるそうです。

さてこの忍城、古く室町時代中期の文明年間に山内上杉氏配下の豪族 成田親泰に築城されたと伝えられています。

北側に利根川、南側に荒川が位置し、これら一級河川に挟まれた扇状地にところどころ存在する広大な沼地と、自然堤防を生かした造りとなっていて、
幾度の城攻めを受けても一度も落城しなかった強固な城として知られています。その中で 1590年、豊臣秀吉と小田原北条氏の戦い(小田原征伐)で、石田三成らによる水攻めを受けた際にも耐え抜いた逸話から「浮き城」とも「亀氏城」とも呼ばれるようになったそうです。
そして関東七名城の一つでもあります。

駐車場の反対側(大通り行田市役所側)の外堀に沿って整備された歩道があり、
城のまわりをぐるっと一周散策できます。この橋を渡ると忍城跡碑があります。
忍城跡碑側から見た外堀の様子。
忍城跡碑前の門をくぐると、右手に由来の書かれた案内板があります。
城を囲む塀。狭間(矢・鉄砲などを用いたりするための小窓)の形が、まる・さんかく・しかく。
見た目、ちょっとカワイイですね☆
駐車場側から城の敷地内に入れる入口、庭園のように整備されています。
ここを抜けていくと、城の脇を通って案内板や城碑のある方へ続きます。

 ちなみに忍城、小田原征伐により成田氏100年の支配が終焉し、徳川家康の持ち城となります。その後、忍藩の藩庁や徳川氏の譜代大名、親藩の居城となり、184年の長きに渡って忍10万石を支配します。
 明治維新でも戦火を逃れました忍城ですが明治4年の廃藩置県と同時に廃城となり、明治6年には競売されて土塁の一部を残して解体されてしまったそうです。
 なお、現在 綺麗な姿で残っている本丸跡の”御三階櫓"はのちに再建されたもので、歴史博物館となっています。

最上階の4階展望台には博物館から入れます。
博物館の開館前に訪問してしまい、この日は入館できず・・・(泣)
天気の良い日は行田市内が一望できそうですね!(写真右側:参考画像)
忍城の縄張図(城の構造をわかりやすく示した図面)駐車場 博物館入口付近に設置されています。

【おまけ1】 外堀の遊歩道を歩いていたら、こんなものを発見!

 TBS日曜劇場『陸王』のロケ地にもなっていたんですね。主人公が夜にジョギングするシーンでライトアップされた忍城の姿が映っていたり、複数回ロケ地として登場していたようです。
※ロケの様子はTwitterでも紹介されています。https://onl.tw/bqvpugx

 ちなみに郷土博物館内には、劇中に登場した ”勝ち虫 (トンボ)”(実物は竹とんぼ)も展示されているそうです。

 さて、今回ご紹介した忍城。近年 比較的注目され有名になっていましたが、今回の取材後に改めて調べてみると、まだまだ知らなかった魅力が沢山ありそうです!

忍城跡前 大通り沿いの蔵?倉庫?こんなところからも歴史を感じます。

【おまけ2】 ”忍城おもてなし甲冑隊”

 ※ Twitter や Facebookアカウントもあるようです

 町をあげて盛り上げている感じが素敵ですね!次回訪問時には、ぜひ”おもてなし甲冑隊”の皆さんにお会いしてみたいです。

 忍城跡は小さなお子さんが遊べるような公園施設はありませんが、同市内にある”さきたま古墳群”は”さきたま自然公園”となっていて博物館も併設されています。はっちぃと同年代や埼玉県内の小学生は、遠足や社会科見学で一度は訪れたことがある人も多いはず・・・(笑)
 その他にも行田市には”世界最大の田んぼアート”や”利根大堰”などの景勝地や史跡が沢山ありますよ。

ぜひ、みなさんもご家族で!
忍城からの~行田市観光、足を運ばれてみてはいかがでしょうか。