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「モバイル」に暮らすということ#6:まとめ

 これまで5つの記事を通してCURBEDによるタイニーハウス:Tiny House(小さな家)に関する特集記事から、アメリカの3つのタイニーハウスコミュニティの例を紹介してきた。

#1:モバイルであるということ
#2:文化的・制度的な前提について
#3:デトロイトの新しいスターター・ホーム
#4:小さな家はポートランドの家賃高騰危機を救うか?
#5:リノのスプロールへの大型解決策は「小さい」こと

疑問

 残っていた疑問は、以下のようなものである。
・移動を余儀なくされる人々が、自分の意思で自分のいるべき場所を決めることはいかに可能だろうか。
・社会的・経済的な余裕が無ければ、移動する/しないの自由は叶わないのか。
・モバイルハウスは果たして金持ちの道楽なのか。
・「仮設」の可能性はこれらの疑問にいかに資するだろうか。

 紹介した3つの例をヒントに、これらの疑問に対する答えを考えてみたいと思う。

移動する理由

 人が移動するときの理由は、大きく3つに分けられると仮定する。
・経済的な理由:生活費が上がる/生活費を下げる、収入が下がる/収入の増加を求める、転職などで、より効率的で経済的な場所に移動するなど
・政治的な理由:政治への不安(不安定な状況、紛争など)、権力による移動の強制など
・環境的な理由:自然災害や気候変動の影響による生活環境の変化など

 今回は、疑問の内容から、(動かないことを含む物理的な)移動の自由を確保することと社会的・経済的な移動について考えることを念頭に記事を紹介してきた。その上で、どうしても個人ではコントロールできない要因は、住む形態を変えたぐらいでは対応できない。例えば政治的な理由や環境的な理由がそうだ。これらは、個人ではすぐに変化を起こすことのできない大きなシステムによって左右される。こちらについては、外部要因としてどのように人々の移動に寄与するべきかということを、最後に記述したい。

自分の意志でいるべき場所に留まれるか/余裕がなければ移動の自由はないのか

 まずは経済的な理由の場合である。これには、ジェントリフィケーション(再開発などで、より経済的上位層などをターゲットにした店舗などが増えること)などによって、家賃が上がり、生活を維持するために移動をやむをえなくなってしまう場合などが含まれる。あるいは、デトロイトの例のように、まちの産業が崩壊してしまい、生活が維持できなくなってしまうという状態も含まれる。経済的な余裕や後ろ盾をもつことは、どの程度移動を切実に考えるかに大きく関わってくる。

 まさしくデトロイトの例で見たように、安価で小さな家を建てることは、個人に「留まる」という選択肢を与え、かつ地域の経済に寄与する一員としての後ろ盾を提供する機能を負っていた。これはもちろん、技能支援などの福祉サービスが一緒になっていたからこそ、うまくいくものである。このように、ある程度のとっかかりを与えることで、個人が経済的なはしごを登っていくきっかけを作っていくことができ、ある意味セーフティネットとして機能させることもできるのである。経済的な余裕がなければ、動くも留まるも選択肢が狭まる。しかし、タイニーハウスを上手く使えば、その余裕を生み出すシステムもつくることができるのではないだろうか。

仮設の魅力/金持ちの道楽が

 イベント内で紹介したタイニーハウスはどうしてもその魅力的な姿から、デザイン性に優れ、効果そうな例ばかりが紹介されたが、簡易で小さくて良い、という利点を活かせば、安価で手の届きやすいものを提供することもできるということを教えてくれる。ポートランドの例からもわかるように、その維持費も工夫しだいで抑えることができる。

 リノの例では、高級志向のタイニーハウスが紹介されていた。いや、他の2例でも、なかなか立派な家ではないかという印象を受けたかもしれない。アメリカらしい例という印象を受けるが、これでもかれらの従来の「家」に対する期待値を大きく下げた結果なのかもしれない。時代や文化によって最低ラインの暮らしの質というのも変わる。(生活保護や公共住宅の設備について考えてみるとわかりやすい。あるいは、Wi-Fiは標準装備されているべきか?など)その辺も加味して、自分にとっての最小限の暮らしというのを考えてみてもおもしろい。

それでも自分でどうにもならない要因はある

 落とし穴は、所在する地域自体の経済があまりにも高級思考になってしまった場合、家には住めても生活費が高騰するということである。ジェントリフィケーションがその主たる例だ。例えば、生活圏内にセレブ向けの高級オーガニック食品を中心に扱ったスーパーマーケットしかないとなると、収入が追いつかない限りはとても暮らしにくだろう。庶民的なスーパーマーケットには長距離で移動しなければいけないという事態になれば、引っ越しを考えるしかないだろう。ポートランドの例は、それが多少表面化してきているのではないかと伺わせる面もある。彼らはポートランドのまち自体の暮らし方が好きでそこにとどまっているのだと思われるが、ポートランドのまちが変化した時、おそらく移動するのではないだろうか。

 これらのまちの変化は、都市計画を行う行政のレベルで考慮されるべき問題である。(そのために都市計画者の仕事があるはずだ。)公共の立場にせよ、市民的な立場にせよ、社会的な平等性の確保という視点での取り組みは必要となる。ポートランドの例のようなコミュニティのあり方を容認するなど、多様な住まい方を容認する政策などは、公のレベルで必要となってくるだろう。Affordable Housing (経済的に入手可能な家)を求める動きはアメリカ全体で見られる。ハワイでは、通称オハナ・ユニットという、庭先に簡易的な離れをつくることを容認する法律ができた。これらの公的な動きについては、ハワイの例を次のシリーズで紹介したいと考えている。

 公が公共の利益や平等性について考慮していない場合は、別の問題だ。例えば強権的な手段で立ち退きを強要したり、移動の強制が行われる場合に対しては、政治的に対抗する必要がある。

結論

 すでに一番最初の記事で結論めいたものについては言及していた。

・モバイルハウスが仮設的にあちこちにあったら、どうだろうか。モバイルハウス≒家を転々とするモバイルな暮らしと考えた時、ハウス自体を所有する必要はなくなる。まずは安価で手に入れやすい家に住んでみる。このハウスが自身の社会的・経済的な地盤となったとき、次なる場所へ、次なる家へ移ることができる。そこに住む人の社会的・経済的な流動性(=Economic Mobility)も向上することが期待できるのだ。

→デトロイトの例は、まさしく「スターター」としての家を手に入れるという事例であった。この家を踏み台に、経済的なはしごを登っていくことができるしくみがあった。

・従来のように大きく、地面にひっついた状態ではない形態であるため、「仮設」的空間としての可能性も残している。その家を置く場所は、(法律と相談すれば)案外自由自在なのである。オープンで仮設的なコミュニティに住むことにより、より自由で流動的なライフスタイルを手に入れる手段となることも考えられる。また、集合住宅とは異なる形で「集住」が実現でき、その中のコミュニティを形成している例もある。

→ポートランドの例は、まさしく「庭」に家を置くという例だった。そのコミュニティならではの特殊なコミュニティのあり方をみることもできた。形態は異なるが、デトロイトの、都市における小さなコミュニティも、従来の高層ビルによる主従ではなく、郊外的な良さも取り入れた、新たな集住のあり方を提案しているように思う。

 イベントの内容も踏まえたものであったため、あえてタイニーハウス/モバイルハウスにこだわったが、実は同じことは普通の住宅でも、集合住宅を使ってもできなくはない。ただ、色々な居住の仕方やコミュニティのあり方を考慮しつつ、これからの都市のあり方や、住宅政策のあり方を考える上で参考になる例である。これから数十年後の自分の住まい方はどうなっているだろうか。移動するか、しないのか、できるのか、できないのか、あるいはしなければいけなくなるのか…少しでも多くの戦略と可能性を持って、自由に選びたいものである。



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