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効率よく泣く

効率のいい泣き方をご存知だろうか。

マスクを目元近くまで引き上げ、うつむき加減の姿勢をキープする。場所は路上でも電車の中でもいい。あとはただ涙を流すだけ。ほろほろと。

鼻をすすり上げさえしなければ、涙はマスクの中に溜まるばかりで周囲には気づかれない。今時のマスクは性能がいいので、水分が沁みることもない。

家まで涙腺が待ってくれないときにおすすめだ。泣き止んだら駅のゴミ箱にでも涙ごとマスクを捨てればいい。赤くなった鼻は、新しいマスクでまた隠せる。

あの日わたしは、ゴミ箱にぐずぐずのマスクを捨てながら、「こんなの一円にもならないわ」と毒づいた。

本当にばか。本当に無益。

得するために男を好きになるわけではないが、赤字決算を出すのもどうかと思う。

それは半年前のことで、20代からの親友だったタガミ(仮名、2歳下)と別れた帰り道だった。

「ひかり、俺、父親になるんだ」

と、切り出したタガミを、五反田の橋の上で平手打ちした。

「耳が、痛ぇ……」

「わたしだって手が痛いわ! 心はもっと辛いわ! しっかり痛んどきなさいよ」

父親になるだなんて、妙に整った表現で切り出してきたことが頭にきた。女がいて妊娠していて、そのことを隠してわたしと遊んでいたともっと下世話に白状したらいいのに。

……いや、よくないか。よくないよくない。それでも平手打ちだ。

「ひかりにずっと憧れてた、好きだった、愛情があった。まさかこんな風になれるなんて思ってなかったから嬉しくて嬉しくて。言い出せなかった」

知るか! と、五反田の橋が折れるほど叫びたかった。

叫びたかったけどそれは叶わなかった。全身から力が抜けて、涙がとまらなかった。

タガミは昔の職場の後輩で、同じ職種の彼がわたしを慕ってくれてたのは知っていた。公私ともに辛いときに支え合ういい仲間だった。

地元の大阪で個人事務所を立ち上げた彼が、東京に出張してくるたびに誘ってくるようになったのはその少し前のこと。

「タガミと寝なきゃよかった。こんなことで友達をひとり失うなんて、わたしはとても辛いよ」

「それでも俺は嬉しかった」

知るか! と、タガミの甘えた顔を思い出しながら、帰り道にマスクを捨てた。ヤツのすごいところは、そんな日もホテルを二人分予約していたところだ。

「ひかりちゃんは、どうしたい?」

それから数ヶ月後、サナダくんが「彼女はいるけどひかりちゃんと仲良くしたい」宣言を堂々してきたとき、わたしはまじめに答えた。

「この先、泣きたくない。恨みたくないし、ひがみたくない。そういう気持ちに押しつぶされて嫌な人間になりたくない」

正解は「これ以上、男女関係として進めない」だろう。ところがサナダくんは明るく答えた。

「わかった。努力する! ひかりちゃんが辛くならないよう、全力で」

ニコニコ顔のサナダくんを眺め、結局のところ、受け入れてしまう自分の弱さが原因だと理解した。

予言しよう。 わたしはきっとまた泣く。散々泣く。

恨んで、ひがんで、そしてマスクを捨てるに違いない。今度は渋谷あたりに。

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