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結婚を考える相手がいるなら、相手の育ちを見なさい

 2022年9月9日、数ヶ月ぶりに会った祖父から、「結婚を考える相手がいるなら、相手の育ちを見なさい」と言われた。

 育ちは選べるものじゃないし、その人の過去よりも今を見た方がいいんじゃないかな。
 出会ってから共有した時間と、その先で共有する時間の方が大切で、育ちは関係ないんじゃないかな。

 そんなことを思いながら、話の続きを聞いていると、祖父は私の目をまっすぐに見て、私たち孫の教育にどんな風に関わったか、孫の育ちについてどう考えているか、話してくれた。



 私は、高校受験で失敗し、私立高校へ進学した。
 妹と弟がいる私が私立に通うことは迷惑になると分かっていたので、公立高校の合格発表日には、「生まれてきてごめんなさい」と大泣きした。
 今思えば大袈裟だけど、生きる世界が狭い中学生の私にとってはしんどかった。
 そして、あろうことか、音楽大学に進学してしまった。

 とにかく、私は、お金のかかる子だった。
 それを、支えてくれていたのは、祖父と祖母だった。

 私が言葉を選ぶと「支えてくれていた」になるが、祖父は「投資をした」と言葉を選んでくれた。

「投資をしてよかった。何かをやりたいと思った時に、それをできる人は多くはいない。実現できる女性に育ってくれてよかった。」

 祖父は、私のライブを観て、CDを聴いて、小説を読んで、やりたいことを形にする私をずっと見守ってくれている。
 畑違いの環境で働く私を、自分に対しての制限がない子だと思ってくれている。

 確かに、進学含め、挑戦することを許された学生時代だった。
 その経験から、想像できることのほとんどは、大きさを問わなければ、形にできると思い込んでいる。

「投資をしても、本人が頑張らなければ、失敗に終わる。」と言う祖父が思う“育ち”とは、世間一般に使われる“育ち”とは、少し違うのかもしれない。



 祖父と話をした数週間後、素敵な人から教えてもらった雑誌の中で『保護者は子どもに対して積極的に働きかけるが、自分自身の成長には力を入れられていない』という一節を見つけた。

 保護者と呼ばれる多くの人と、自身の成長についてどう考えているか議論をしたことがないけれど、なんとなく、そうなのだろうと思う。

 ただ、親でありながら、自身の成長に力を入れている人を何人か知っている。

 今年リリースした《白》のジャケットを描いてくださった あけたらしろめさん は、常に子育てとご自身の絵に対して、同じくらい大きく優しくエネルギーを注いでいるように感じる。

 私の母もまた、自身の成長に貪欲で、「今週の日曜日、勉強したいから、一緒にカフェ行かない?」と誘ってくれるし、突然「1ヶ月間チベットに行ってきてもいい?このままはダメだと思うから」なんて言い始めることがある。

 祖母も、積極的な人で、9月に国立劇場で日本舞踊を踊った。
 本番の前々日に会いに行くと、「ずっと昔から踊りたかった演目を叶えられる」と、嬉しそうだったし、本番はとてもかっこよかった。

 そして祖父は、会う度に、人生を振り返って今が1番しあわせだと話してくれる。
 それを聞くと、私は毎回泣いてしまって、祖母と母に笑われる。
 自分を育て続けた祖父だからこそ、今が1番しあわせだと言える人生を送っているのだと思う。


「結婚を考える相手がいるなら、相手の育ちを見なさい」

 この祖父の言葉には、
『自身の成長についてまな板に載せる(自然と食卓で議題にする)ような家庭で育ったのか見なさい』
『自分で自分を育てることができるのか見なさい』
という、ふたつの意味があるように思う。

 長く共に過ごす相手が、どんな“育ち”を持っているのか、知り合って共有したい。
 祖父の言葉の意味を考えてから、そんな風に思うようになった。

 今の私が「おじいちゃんとおばあちゃんの血が流れているから、自分のことを尊く思う」ように、相手も似たような感性を持っていたら、生涯最後の恋をできるような気がする。


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