悪しき者の死を喜ばない


旧約聖書 エゼキエル書33章11節
彼らにこう言え。『わたしは生きている──【神】である主のことば──。わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。立ち返れ。悪の道から立ち返れ。イスラエルの家よ、なぜ、あなたがたは死のうとするのか。』

飛騨清見の紅葉 2023年11月7日撮影

2023年11月パレスチナ自治区のガザにある組織ハマスがイスラエルをこれまでにない大きな規模で攻撃。人質を取るなど、物理的・心理的にダメージを与えた。これに対して、イスラエル軍はガザ地区に報復。
11月23日には、人質解放を条件に4日間の停戦が合意された。

世界中がロシアとウクライナの和平のために祈る中、大きな祈りの課題として、これまでずっと懸念されていたパレスチナ問題が浮上してきた。

ところで、このような戦争や紛争が起きると、よく飛び交う質問として、「神が本当にいて、愛と平和の神であるならどうして戦争を止めないのか」「戦争を起こしている人間に、神の裁きを速やかに下さないのはなぜか」というものがある。

その答えとしては、色々な答え方があると思う。たとえば、「戦争を止めるべきは戦争を起こしている人間自身であって、神ではない。」とか「争うことの愚かさを悟らせようとしてあえて放置しておられるのだ」などである。

では、聖書は何と言っているのかというと、答えの一つとして冒頭の聖句が挙げられる。神は悪しき者の死を決して喜ばない神なのである。むしろ悔い改めて生きることを願っておられる。
「そのような考えは甘すぎる」「いつまでも決して変わらない人間がいる」という反論はあるだろう。しかし、神は、ベストチョイスとしてご自身の考えを貫かれる。愛と平和の神は、恵みと憐みに富んだ神でもある。

私たちは、他人を指さして非難するときに、少なくとも三本の指は自分の方を向いていることを忘れてはならない。自分の周りに、自分自身は平和を築こうとしているか、嫌な人を無視したり、その人が困るように仕向けたりするようなことをしていないか。今一度、自戒も込めつつ、まずは身近なところで平和をつくる者とならせていただきたい。

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