見出し画像

#4 ”大人の勉強”

 「大人は勉強しないんですか?」夏休みNHKラジオ質問コーナー「子ども科学電話相談」で、小学生が電話越しにアナウンサー(大人)にたずねていた。WV部顧問として学生と北アルプスへの夏山縦走していた自分は,テントの中で「ウーン」と小学低学年からの鋭い”アッパー”にのたうっていた。鋭い”パンチ”。

 その後、槍ヶ岳から戻った我が家で、大人代表である父親である私が、分厚い世界遺産のきれいな写真が山ほど印刷された写真集(5,000円くらい?)を楽しそうに毎日眺めていた。それが”大人の勉強”だった。まんまと(?)計算通り、その姿を見ていた当時小学低学年だった二人の息子は、”楽しい勉強”につられて一緒に、時には一人でその写真満載の”世界旅行”を我が家の居間でしばしば悦に入り時を過ごしていた。世界史、地理、理科の雑学が私の”大人のウンチク”(教養)引き出しから繰り出され、小さな”寺子屋”状態になった。しばらくすると、学校や市立図書館から、いろんな写真付き図鑑、やがて文字だけの”本”を借りてきて子供たち自身が読みはじめ、”ねぇー、知ってる?”と家庭内”なぞなぞバトル”が始まった。知らないふりをしていたのは最初だけで、”多勢に無勢”世の中の書籍の知識の森の物量に”一小市民”たる自分の知識の”水たまり”は、白旗を振り「へぇー、そんなの知らんかったわぁー。すごいなぁー。」と連戦連敗。

 いつしか子供が高校を卒業すると、我が家での「大人の勉強」は相手がなくなり、居間で広げる本やパソコンの中身は「家でも仕事」に代わってしまい、今年で6年が経つ。

 「いつかイタリアに行きたい。」「フォロロマーノの丘に立ち、アッピア街道を歩きたい。」それが、いつも子供たちと我が家の居間の”寺子屋”で話していた自分の夢だった。今でも変わらない。


 今年の春、新型コロナで日本中の卒業式・入学式・授業開始などが影響を受けてしまった。教員である自分は「学び」について、いろいろと改めて考えた。「学び」のキッカケ・キヅキを提供する立場として、近頃忘れかけている「勉強の難しさ」を体験しよと考えた。すでに自分が知っていることをどれだけ勉強しても、それは「初めて勉強するときの戸惑い・苦労・楽しさ」がわからない。

 NHKのラジオ放送も時代とともに素晴らしい変化を遂げている。この4月からは、今までのインターネットでの先週のコンテンツ再放送もスタイル一新して、より使いやすくなった。いままで「NHK実践ビジネス英語」はテキスト購入せずに適当(?)に聞き流して、日本語で聴いても楽しい内容に「知らんかったわぁー。」と相手もおらず、一人”寺子屋”でつぶやいていた。例えば、アメリカの公立図書館に3Dプリンタが置いてあるって。図書館には新技術を地域住民に広める義務があるって。すごいやぁーん。こんな具合。

 4月から新しいこと、そう中学で何度も挫折した語学講座に、少しまじめに取り組もうと思った。やるなら、将来の夢”イタリア旅行”に直結するイタリア語!早速、テキストの電子版を購入して、15分番組週三回の再放送を毎日2回分以上はひたすら繰り返し聴く聴く。頑張りすぎないことにした。単語帳?作りません。本文の書き写し?ときどき気が向いたら。これがよかったようで、今まであきぽかった自分でも、やっと一月が過ぎました。「大人の勉強」がReBornした今年の4月。

 得られた成果、たくさん。それは次回に。一つだけ紹介すると、映画「ゴッドファーザー」でのイタリア語の会話、、、、ムッ、一言もわかりません。きっと、シチリア訛りなんだろうーと独り言。唯一分かったのは、マフィアの仲間のあだ名が「こんばんは」だったということぐらい。まぁ、カメの歩みでイタリア語を学べばいい。時間はたっぷりある、イタリアの都市が立ち直り、世界が立ち直り、10年後に自分に余裕があれば”フォロロマーノ”の丘が自分を待っている。もし行けなかったとしても、飛行場や観光地でボランティアとして採用してもらうのを目指しイタリアからの旅行客とローマの歴史談義をしたい。”Benvenuti in Giappone! ”

<次回予定: 「簡単で難しいイタリア語」>