見出し画像

実家終い②(晴天の霹靂)

①を投稿してから気づいたのだけど、記事のタイトル「実家終い」って、漢字、間違ってる…?「仕舞い」?「じまい」ってひらがなに逃げるべきだったか?とかぐるぐるして、まあいいや、とそのままにしておく。(ハハハ)

さて、一歩進んで二歩下がる実家断捨離(という名の父との闘い)。思うように進まないまま何年も経ってしまっていたところに、思ってもみなかった出来事が起こる。

母が急逝したのである。

母の具合が悪く入院した、と父から連絡があってから、わずか10日ほどのことだった。

5歳年上の父の健康を心配して食事に気を遣っていた母。
持病を抱える父の通院の送迎をしていた母。
超ご長寿の祖母(母の母)の体調を心配していた母。(ちなみに祖母は100歳を超えてまだ生きている)(たぶん妖怪)
亡くなる1ヶ月前には、私と父と親子3人で温泉旅行に行っていた母。

なんとなく、私たちは、祖母、父、母の順番でお別れの時が来るつもりでいたのだ。「死」の順番なんて私たちが決められることじゃないのに、なんかもう、決めてかかっていたのである。(母だって、こんなに突然逝くつもりなんてさらさら無かったんじゃないかなあ)

だから、あまりに突然で予想外に急展開で、ぽっかり、ぽっっっっかり、大きな大きな穴が家族に空いてしまった。

①を読んでからこの記事を読んで下さっている方は、この母の急逝をきっかけに実家断捨離が進んだのかと思ったかも知れないが、ところがどっこいそれが違うのである。

お通夜を終えても、火葬場で骨を拾っても、仏壇に母の写真が増えても、四十九日が終わっても、信じられないのである。
朝、部屋からくるんくるんの髪と不機嫌な顔で起きてくる(天パで低血圧)、緑のソファに座って新聞を読んでる(祖父の形見)、趣味のハード系パンを焼くのにクソ暑い日にオーブンを予熱して家族からブーイングされてる(今日はパン焼くぞ!の決意に気温が負ける)、「ちょっと!ブロッコリーぱふぱふ切って!」「たまねぎチロチロ炒めて!」とわけわからんオノマトペで台所から指示してくる…
実家にはそこかしこに母が居た景色があって、母が欠けているのが違和感でしかない。なんかどこか旅行にでも行っていて、「ただいまー!」とか言ってもうすぐ帰って来るんじゃない?とか思ってしまうのだ。

幼い頃から、私たちがいつも自分の話をするのは父でなく母だった。
友達とうまくいかない、受験する学校どうしよう、上司腹立つ、仕事辞めたい、結婚しようかななど、大人になってからもそれは変わらなかった。迷った時背中を押してくれる、いつも味方でいてくれる、そういう存在だったのは、オタク気質自分の趣味没頭型の父ではなく、社交的チャキチャキ愛情ダダ漏れ系の母だったのだ。
間違いなく家族の中心だった母を失って、それをとても受け止めきれなくて、父も私たちも、実家の断捨離どころじゃなくなった。

寂しくて悲しくて、言葉にできないほどの喪失感に、母が居た痕跡を消していく作業なんてできるわけなかった。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?