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感性が垣間見えた瞬間に弱い


人と会話している時、
たまに「おっ、これは」と心の中で目をつぶって言葉を味わう時がある。


それは、会話の中で相手がとてもいい表現を選んで使った時や、
思いがけないその人の感性の豊かさを垣間見せられた時だ。
この人は、こんなふうに考える事、伝えることができる人なんだ、と思う瞬間がとても好きだ。


そして、それだけで一気にその人自身をすきになったり、見直したり、尊敬したり、許したりする。

自分の中で、「ことば」をとても大切にしているせいか、人から発せられる言葉にも敏感に反応してしまうのだ。

それは例えば、
喧嘩中の彼との話し合いでも、
友達への人生相談中でも、
もう会わない思った人との会話の中でも。


どんな状況でも、
「おっこれは」という瞬間はやってくる。

そして、どんな状況であろうとその瞬間に立ち会うとたちまち、その人自身を許したり、今起こっていることがどうでも良くなったりしてしまうのです。

「ことば」に、ひどく信頼を置きすぎてしまっているのかもしれない。


*************


この前、恋人の言動が怪しくて、完全に何かあると財布を見た時、浮気の証拠が出てきたことがあった。 

わたしは、問い詰めて怒って呆れて悲しんだ。
話し合っていた時
彼がしばらくうずくまって黙っていた時間があったので、「なんで黙ってるの?なに考えてる?」と、聞いたのだ。

そうしたら、
「これ(財布にあった証拠)を見つけた時のきみの気持ちを考えてたの」と言われたのだった。

わたしは、
「これからどうしたらいいか考えてた」とか
「悪いと思って反省してた」とか「どうしたら許してもらえるか考えてた」とか。
そういう回答を想像していた。

だから別角度からの答えに、ちょっと驚いた。

この状況で、その時のわたしの気持ちに想いを馳せられるんだこの人、と思い「おっこれは」となったのだった。

その回答じゃなければ、許していなかった。
だけれど、そこを今考えることができる人なんだね、と思って一回だけ許そうと思った。


完全に、悪いほうにわたしの癖が出てしまった。


**********

こういう事がたまに起こる。
わたしは、その人の予想外の感性が現れる瞬間がやはりすきで、その瞬間に立ち会えるとうれしい。

そういう時に、ぐっとくる言葉に出会うと
心の中のフォルダに保存する。


たまに、それは受け入れすぎる要因にもなるのだけれど、たぶんこれからもそんな言葉に左右されながら、そんな言葉を集めながら、生きていくのだと思う。


noteや、映画や、読書も、そのひとつ。


#コラム
#エッセイ
#言葉
#日記

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